47 第五騎士団第一部隊

 茂みから現れたのは三匹の狼だった。金狼を見た後だと、だいたいの狼は小さく見えるけれど、群れのボスと思しき灰色の狼は金狼に匹敵する大きさだった。灰狼の背後から一回り小柄な薄茶色と錆色の二匹が続く。

 三匹がディーンの目の前に並ぶと、白い光が彼らを包み込んだ。光が止んだ後には跪く三人の男の姿があった。


「ヴェイグ・セシル、他第五騎士団第一部隊。御身の安全を確保するため罷り越しました」


「ありがとう。ご苦労さん。賊は捕らえたか?」


 ディーンは剣を鞘に納めながら鷹揚に頷いた。初めて王子様らしい場面を見た気がする。


「森及び街道に潜伏していた十五名を捕らえました。隊長と思しき男を尋問したところ、服毒し自害を計ったため急ぎリブレアスタッドの病院に搬送しました。処置が済み次第、駐屯地に連行します」


「……そうか」


 ディーンが灰狼もといヴェイグさんの報告を聞く間、私はアルの胸に顔を伏せたまま背中に突き刺さる視線に耐えていた。

 ヴェイグさんの姿を視認した途端。否、彼が私を視認した途端、寒気を感じて身体中に鳥肌が立った。狼男に立ち向かうと決めたのに、いざ目の前にすると無意識に足に力が入り、今すぐに逃げ出したくなる。


 ああ、そうだ。本来はこうなる筈なんだ。アルとレナリスが特殊なだけだったんだ。


 私は今朝、忘れずに薬を飲んだ。大丈夫。万が一においで狼女とバレても、狂わせることはない筈。異性として多少魅力的に見える程度だろう。こうして抱き合う形になっているから、ちょっと目立つだけだ。それなのに……。


「ヴェガ兄! 手を貸してくれ! こいつも賊の仲間だと思うんだけど、なんだか様子がおかしい!」


 ヒースの緊迫した声に思考を中断され、そちらを見れば、真っ青な顔で哀れな程に震える御者の男がフィリアスに縋り付いていた。


「……死にたくない! 殺さないでくれ! 喰われて死ぬのだけは嫌だ……助けてくれ!」


「喰われて死ぬ? 何のことだ?」


 フィリアスの問いかけには答えず、錯乱した男はガタガタと震えている。その目はアルと私の足元に控える魔狼オリオンを見ている気がした。


「矢と電撃を喰らって危険な状態だったから治療したのだが、先程からこの通り要領を得ない」


「矢と、電撃……?」


「痴漢撃退電撃ブレスレットですわ! 特注品ですのよ!」


 訝しげなヴェイグさんの呟きに、アンがトパーズのブレスレットを見せて自信満々に答えた。

 おそらく長年の憂いの産物であろう、ペンで書いたような眉間の皺が更に濃くなり顔に渋味が増す。ヴェイグさんの後ろに控える二人の騎士は肩を震わせ、必死に笑いを堪えているようだった。


 初めて見るヴェイグさんの姿は、ほぼイメージ通りの強面マッチョの大男だった。

 短く刈った白金の髪は燃える馬車の炎を映して明るい金色に見えた。オクシタニア出身者らしい緑の瞳には感情の起伏が見えず、顔立ちも伯爵に似て美男だが、もっとずっとストイックな印象だ。

 アルが順調に歳をとって落ち着きが出ればこうなるのだろうという、予想そのものだった。


 そして、なんとなくアルが私をお兄さんに会わせたがらなかった理由を察した。

 狼男を憎む私でさえ、完成された大人の狼男に抗い難い魅力を感じる。彼の視界に入るだけで恐怖で震え上がるのに、自然と視線が引き寄せられてしまう。

 ラヴィアが初めてアルを見た時も、こんな気分だったのだろうか。


 狼種は女性が極端に少ない種族だから、人間の女性を惹きつけるために美男が多いという。


 私は父さんやアルを見慣れているから、ある程度耐性があるのかもしれないけど、危険な男っていうものは魅力的に見えるものらしい。

 数種存在する獣人の中で、狼男が特に嫌われるのは、狼という猛獣のイメージの悪さだけが理由ではないようだ。


 まぁいくら好ましいとは思っても、私にとっての月神セシェルはアルファルドしか居ないのだから、心配しなくてもいいのに。


 ――でも、もしアルが期限までに月神の加護を取り戻すことができず、御印みしるしを剥奪され群れから追い出される未来が決定していたら?

 御印は一族の中で最も歳若い者に受け継がれる。四人の兄弟に子供が居ない場合、アルの次に若いヴェイグさんが次の月神になる。


 そうなれば、伯爵は今度はヴェイグさんと私をつがいにしようと画策する。それは、私たちの意思などまるっきり無視した――アルが最も怖れるシナリオだ。

 そんな未来がすぐそこにあったかもしれないと思えば、アルがヴェイグさんを警戒するのも納得だ。


 頭痛を伴う嫌な想像に、私はアルの胸に顔を埋めた。足元に近寄ってきたオリオンが私の足にスリスリと身体を擦り付ける。気遣ってくれているのかと思いきや、突如、聞きなれない嗄れた声が頭の中に響いた。


『きょうだいよ。まもの、くっていいか?』


 今のはまさか、オリオンの声?


「喰う? そういうことか! ――みんな、その男から離れろ!」


 アルの警告に全員が飛び退くように御者から離れると、待ちきれない様子でオリオンが地を蹴り、男の影に飛び込んだ。その瞬間、耳をつんざく巨大な獣の咆哮が大地を揺らした。


「オルフェウス。手を貸してやれ」


 ヴェイグさんの足元から灰色の魔狼が現れ、オリオンに続いて御者の影に潜り込むと、地震は更に酷くなる。


「何が居たの? 魔狼だけで大丈夫?」


 アルの腕の中で身動いで顔を上げると、心配ないと背中を撫でられた。断続的に続く地震が燃える馬車を崩し、黒煙が快晴の空を覆い隠した。


「……正体はまだわからない。けれど、その男は魔物に憑かれている。襲撃後に証拠隠滅のために喰い殺されるようになっていたんだろう。おそらく、護送中に死んだ土魔法使いも同じ手口で殺されたんだろうね。まぁ黒竜でも潜んでいない限り、任せておいて大丈夫だよ。オリオンはやる時はやる子だからね」


 時間にして四、五分の出来事が、永遠のように感じた。

 断末魔の悲鳴の後、一際大きな揺れに森の木々が歪む。揺れが収まってしばらくすると影の中から二匹の魔狼が這い出て来た。

 赤黒に染まる四肢と口元を見れば、激闘を戦い抜いたことがわかる。強い獣臭と共に何とも言えない生臭いにおいが周囲に漂った。アルが労い、頭を撫でるとオリオンは不満げに呻る。


『まものもどき。まりょくうすい。まずくてくえない』


 雑食とは聞いていたけど、魔物も食べるとは……。

 余程不味かったのか、オリオンはペッっと黒い血の塊のようなものを吐き出し、後ろ足でちゃちゃっと砂をかけると、アルの影に吸い込まれるように潜った。


 同様にオルフェウスの報告を受け取ったヴェイグさんは、御者の男の胸ぐらを掴み、自分の目線の高さまで吊り上げた。男の足は地上から離れ、頼りなく空を切る。


「お前の影に取り憑いていた魔物は殺した。もう喰い殺される心配はない。だが、死刑を免れるかどうかは、お前の協力次第だ。……連れて行け」


 パッと手を離され尻もちをついた男は、ぐったりと俯いたまま何も語らず、ヴェイグさんの部下に連行されていった。

 王子二人と婚約者、その他数名の殺人未遂に関わったのだから、他の連中共々厳しい処罰が下るだろう。

 緊張が解けてホッと一息ついたのも束の間。


「……ねぇ君、すごく良い香りがするんだけど、もしかして仲間かな?」


 私の背中に軽薄な声が掛かる。妙に絡みつくような嫌な視線を感じて、一瞬で身体が強張った。

 御者を連れて行った騎士と入れ替わりに、逃げた馬を連れて来た騎士のひとりが私に興味を持ったらしい。

 第五騎士団は獣人部隊。この人も狼男か。

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