46 乗合馬車防衛戦
きゃっきゃ楽しそうに悲鳴を上げるアンと、涼しい顔で座席に座ったままのフィリアスに、御者も混乱しているのかアンの首筋に当てていたナイフをフィリアスに向けた。
「武器を捨てて馬車を止めさせろ! 婚約者がどうなってもいいのか!?」
まだ年若い、もしかすると私たちと同年代ぐらいの男の声だった。くたびれたチューリップハットの下の不自然に汚れた顔は、正体を隠すためだろうか。
「いいだろう。セリアルカ、ヒース。武器を捨てろ」
私とヒースはフィリアスに言われるままに鞘から剣を抜き、男の前の床に突き刺した。
御者の興奮にギラつく榛の瞳は忙しなく動き、依然として危険には変わりないのだが、騒ぎ疲れてすっかり大人しくなったアンは割れた爪を気にしていた。
流石は自称下町系お嬢様だ。肝が据わっている。
「お前もだ! フィリアス・マティス! 魔石を捨てろ!」
ナイフの鋒を向けられて、フィリアスは嘲るように、ふっと鼻で笑った。右手の人差し指にはめた大きな赤い石の指輪を抜くと、掌に転がして指輪とアンを見比べる。
「このルビーの魔石には城が買える程の値打ちがあるのだが、我が婚約者にそれ程の価値があるのだろうか? ……人間は、替えがきくだろう?」
冷笑を湛える顔は、いつにも増して悪人面で、この人が王子だということを忘れそうになる。慣れているのか諦め顔のエリーに対し、男の怒りは一瞬で沸騰した。
「き、貴様のような、人間を駒のように扱う者がいるから……!? お、おいお前暴れ、ッぐああああああ!!」
激昂する男の言葉を遮って、アンは男の脇腹にトパーズのブレスレットを押し当てた。途端、激しい電流が男の身体を駆け巡る。堪らず悲鳴をあげた男は、痙攣しながら床に倒れた。
「アンタ、後でちゃんとエリーに謝りなさいよ!?」
「無論だとも。それより、切り札を出すにはまだ早いのでは?」
小言をあっさり受け流されたアンはムッと眉根を寄せたが、猛スピードで走り続ける馬車の揺れによろめいてエリーの隣にストンと腰を下ろすと、そのままムスッと口を閉ざした。
一方、私はといえば剣を取り返して、馬車の背後から執拗に撃ち込まれる火矢や火石を、ヒースと手分けしながら切り捨てていた。
しかし剣を振るうには狭い馬車内、片手で手すりを掴み、お互いの剣がぶつからないように、掻い潜りながら立ち回るのは至難の技だ。
右に左にと巧みに馬車を操るアルのお陰で、車内に飛んでくる火矢の数は少ないけれど、防ぎきれなかった矢が馬車の天井を焼き、車内に焦げ臭いにおいが漂い始めていた。
「そいつ、外の連中とは別の組織なのかな? 胸に矢を受けていたでしょう?」
「どうかな? 頭脳労働はフィリアスに任せるよ」
私の疑問にヒースは、左手に握った短剣を一閃して火矢を叩き落としながら片目を瞑ってみせる。
顔も口調も余裕そうだけど、そもそもヒースはあまり疲労や弱みを他人に見せようとしないので、本心かどうか分かりにくい。
「あるいは、最初からこの男ごと馬車を始末するつもりだったのかもな。こうなる事は知らされていなかったのかもしれない。――しかし、このままでは埒が明かないな」
揺れに酔ったのか、青い顔で俯くエリーを心配そうに見やり、フィリアスは低く呟いた。
フィリアスは床に倒れこんだままピクピクと動いている男を座席に縛り付け、指輪の魔石から魔光銃を取り出した。フィリアスの右腕の炎の
「そんなものまで持ってたの!?」
一般庶民では滅多にお目にかかれない武器に、私は思わず声を弾ませた。
魔力を弾丸にして撃つ魔光銃は、魔石加工技術を駆使して作られた最新鋭の武器だ。魔力消費量が多いため、まだ騎士団でも扱えるものが少ないとか。
「念のため用意しておいて良かったな。背後は俺が引き受ける。君はアルファルドに馬車を止めるように言ってくれ」
銃を握る右手に鮮烈な赤の紋様が浮かぶ。ズドンと腹に響く爆音と共に放った弾丸は、虚空に真紅の軌跡を描いて道に張り出した大木に当たる。狙いを外したかと思いきや、一瞬の内に猛火に包まれた大木が追っ手を巻き込んで倒れた。
「うーわ何それー!? かっこいい! 僕にも使える? ねーねー! それどこで買える? いくらぐらい? 後で触ってもいい?」
「わかったから、集中しろ!」
緊張感の無い二人のやり取りを横目に、私は御者台の扉を叩いて呼び掛けながら開いた。
その瞬間、風を切り私の目の前に飛んできた矢をディーンの剣が弾いた。突然の出来事に呆然とする私の目の前で、飛んできた投石が馬の体を舐めるように掠めて落ちる。
「び、びっくりした……ありがとう!」
「気にすんな! お前に何かあるとコイツがダメになるからな」
お礼を述べれば軽口が返ってきた。顎で差されたアルは楽しげに声を上げて笑う。
どうやら風のヴェールは馬の方に掛けているようで、御者台に飛んで来るものはディーンが都度撃ち落としているらしい。御者台の足元には折れ曲がった矢の残骸や石の欠片が転がっていた。
「後でディーンにお昼奢らなきゃなぁ!」
「お? 聞いたぞ? 肉料理な!」
「楽しそうなところ悪いけど、アル! 馬車を止めて!」
「わかった! 全員手すりに掴まれ!!」
アルが車内に声を掛けるなり、馬車は森の小径を直角に曲がってルートを外れ、そのまま藪に突っ込んだ。
進行方向に広がる森は、月神の末裔の命令を受けて蠢き、馬車一台がやっと通れるぐらいの獣道を作る。馬車は倒木でできた橋を渡ると、森の中の少し開けた場所に急停車した。
「みんな無事……じゃなさそうだな……」
御者台に居た二人以外は皆、長時間爆走する馬車の揺れと遠心力をモロに食らい、ぐったりと手すりにもたれ掛かっていた。車内の惨状を見やりディーンは眉を上げて、隣のアルに意見を求める。
「みんな休んでる暇は無いよー! 馬車燃えてるから、はい。起きて!」
疲れきっているところに、やけに元気なアルの号令が掛かる。少し前まで寝てた奴のテンションとは思えず、苦情よりも先にため息が零れた。
まぁ狼男だし、その気になれば夜通し走れるぐらいの体力はあるのだろうけど……。
アルが馬のハーネスを外すと、解放された四頭の馬は炎に怯えて森へ逃げ出した。
座席に縛り付けられ気絶している男は、ディーンが担いで降ろし、フィリアスが脈を確かめて治療魔法を施している。全員が馬車から降りた途端、座席の天井が炎に包まれ崩落した。
まだ頭が揺れているような不快感にフラついた私を、アルの力強い腕が引き寄せた。急に引っ張られた私は、そのまま彼の胸に顔を埋めてぐったりともたれ掛かる。
「うう〜まだ目が回る……気持ち悪い」
彼の胸を叩きながら恨み言を言う私の頭に、楽しげな笑い声が降る。
「あはは、犬みたいに唸る君もかわいいよ」
「……服に吐いてやろうかこの野郎」
「そういう特殊な趣味は今のところ無いけど、君が望むのなら対応するのが夫のつと……って無言で脇腹を殴らないで!」
クリンチ状態から執拗に脇腹を攻める私の腕を掴んで、アルは私をきつく抱き締めた。私の背中をやや乱暴に摩って頭にグリグリと頬擦りする。突然の激しいスキンシップに、私の頭は疑問でいっぱいになった。
「何して……」
「しっ、いいから黙って」
耳元で聞こえたアルの声は緊迫していた。重なる二人の影から魔狼のオリオンが這い出し、私たちの周りをソワソワと落ち着かない様子で回る。
「追っ手はどうした?」
「脇道に逸れてからはわからない」
ディーンとヒースは周囲を警戒しながら剣を抜き払った。パチパチと火花を散らし、黒煙を上げて燃える馬車が、私たちの居場所を追跡者に知らせている。不自然に生き物の気配がしない森は不気味に静まり返っていた。
「絶対に僕から離れないで」
真剣な声で告げられたアルの言葉の意味を、私はすぐに知ることになる。
木が爆ぜる音と心臓の鼓動だけが響く静寂の森。獣人の鋭敏な聴覚が狼の遠吠えを捉えた。オリオンが応じて天に向かって吠える。
『ここにいる。ここにきて』
縄張りを知らせ、群れの結束と規模を知らしめ、そして仲間を呼ぶための遠吠え。
「兄さん……」
震えているのは私か、それとも君か?
森閑を切り裂き、狼男が来る。
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