放課後の狼
36 ダンスレッスン
旧校舎の古びた音楽室に、軽快なピアノの音が鳴り響く。
大きな身体を丸めて繊細な音を奏でる奏者は、けっして技巧が優れているわけじゃないけれど、正確なリズムと楽譜通りの実直な演奏は、彼の人柄が感じられて好感が持てた。
しかも、わざわざ踊りやすく拍子を取りやすい曲を選んで弾いてくれる。口に出さない不器用な心遣いが嬉しい。アルが彼――ディーンを推薦した理由がよくわかった。
三拍子のワルツ曲にダンス用のヒールの靴を履いたエルミーナと、ディーンと共に捕獲されたヒースが向かい合ってくるりくるりと軽やかに回る。
ダンスの終わりにスカートの裾を広げて優雅に礼をするエルミーナに、見学していた私とアルは惜しみない拍手を贈った。
「わぁ……すごい。エリーはお姫様みたいだ」
「まぁ! セラったら! 感心している場合じゃないわよ? 貴女もこれぐらい踊れるように練習しなくてはね」
「僕は? 僕は〜?」
ヒースは子犬のような人懐っこい笑顔で、自信たっぷりに感想を求める。私は隣でジト目で睨んでくるアルの視線を感じながら、忌憚の無い感想を告げた。
「ああ、うん、上手だった。手慣れてるな……って」
「んんん? それ、誉めてる?」
訝しげに首を傾げるヒースに、私は慌てて話を逸らした。
「ところで、ヒースはパーティーに出るの?」
「僕? どうしようかな。ほら、僕って引く手数多だし? 誰かひとりをパートナーに選ぶことなんてできないから、毎年ディーンと一緒にシス島のお祭りに行ってるんだ。――でもアルとセラが出るなら、今年は僕も残ろうかな?」
「いいよ。来るなよ。お祭りに行けよ。帰ってくんなよ」
舌打ち混じりでめんどくさそうに拒否するアルに、ヒースは余裕の笑みである。
「あれー? そんなこと言っちゃっていいの〜? せっかく僕がカメラマンを務めてあげるって言ってるのに。セラのめちゃくちゃかわいい写真が撮れても君にはあげないから」
「くっ……なんて卑怯な! これだから
「はっはっは。まいど!」
色々と物申したいことは有ったけど、疲れるだけなのでツッコミは辞退して、ピアノの前に座っているディーンに話を向けた。
「ディーンは?」
「俺は実家の方で色々と用事があってな。今年も不参加だ」
この学院には、フィリアスの他にもうひとり王子がいる。アルからそう聞いた時、思い浮かべたのはディーンだった。初めて彼と会話をした時、以前にどこかで会ったことがあるような気がした。
まぁそれは勘違いだったんだけど、あながち的外れというわけではない。私はディーンによく似た人を見たことがある。――千年前の絵画の中で。
建国祭だから、王族は色々と“用事”があるに違いない。
「まぁどっちのパーティーに出たとしても隅の方で飯食ってるだけなんだが」
「えっ……それがアリなら、私もそうしたい……」
「「それは駄目」」
アルとエリーが声を揃えて即座に却下した。誘ったアルが言うのはわかるけど、なんでエリーまで?
「僕はお義父様に君と出席するように言われているんだから。父上にも報告しちゃったし、そのつもりで色々と準備しているし」
「私も……今年はフィリアスと一緒に出るから、セラが参加してくれると嬉しいな」
エリーは頬を赤らめて恥ずかしそうに身を縮める。なんだか気恥ずかしい微笑ましい空気になって、ヒースがヒュウと口笛を吹いた。それを皮切りに、みんな口々に祝福とからかいの言葉を贈った。
「わあああ! エリー! おめでとう!」
「そっかぁ……今年から解禁か! ずっとバレないようにしてたものね。二人とも良かったねぇ」
「婚約おめでとう。俺も用事早めに切り上げて戻って来るか。……写真撮って親父に送ってやらないとな」
そう呟くディーンの横顔に、絵の中のあの人の面影を見た。
***
私が学者の街と呼ばれるイオス島に住んでいた頃、島にある王国立博物館が私の遊び場だった。
当時の私は急な引越しをしたばかりで、一緒に遊ぶ友達が居なかったし、母を亡くしたばかりで見知らぬ人間に関わるのが怖かった。
博物館は、十二歳以下は無料で入場できた。静かに見ていれば、たまに学芸員さんに『小さいのに勉強熱心で偉いね』などと声をかけられるぐらいだったので、誰にも気兼ねなく毎日のように通っていた。
かの名画“青き瞳の姫君”の向かいの展示室に、建国の英雄エリオスの肖像画がある。
銀髪に褐色の肌と空色の瞳という、かつてシュセイルの浮島に住んでいた有翼人シュス族の特徴を残すその姿は、ディーンにそっくりだった。
青き瞳の姫君が有名過ぎて、いつも見学者に見落とされてしまう不遇な絵だけれど、エリオスの肖像画も立派な国宝だ。剣の柄頭に手を置き遠くの空を見つめる凛々しい横顔は、シュセイル最初にして最高の騎士の名に相応しい堂々たる佇まい。
お姫様より騎士に憧れた私にとっては、エリオスの肖像画の方が魅力的に見えた。だから印象に残っていたんだ。
そういえば、一度あの絵の前で車椅子の男性に話し掛けられたことがあった。学芸員さんが慌ててたし、身なりの良い上品な方だったから、どこぞの大貴族だったのかもしれない。
***
「ドレスはもう用意した? 先に靴だけでも慣れておいた方が良いと思うわ。当日靴擦れで楽しめなかったら悲しいでしょう?」
エリーの声に、私は記憶から引き戻された。ドレスって?
「えっ? ドレスじゃなきゃダメなの?」
一般庶民の私には縁の無いものだし、たった一度だけ着るドレスを用意するお金なんて無い。学院の行事だし、ちょっと綺麗めなワンピースで良いかと思っていた。
それにそんなお金があるのなら、予備の剣をもう一振作りたいんだけど……。
「ああ、心配しないで。父上とお義父様から『これでセラに似合うドレスを』ってお金を預かってるから」
あっさり解決するアルに、彼の手際の良さに慣れてきた私も震えた。
「用意周到過ぎて怖い……。なんでうちの父さんと仲良くなってるんだ君は……」
横で聞いていたエリーとディーンも引いてるじゃないか!
「婿入りも悪くないなーって思ってね。本当は僕好みのドレスを用意しようかとも思ったんだけど、お義父様に聞いても君の好みや服のサイズがわからなかったからね……」
一応、私の好みを聞くつもりはあるらしい。
それにしても、昔父さんに大怪我させたって言ってたけど、すっかり仲良くなっていることに不安が過ぎる。
父さん、騙されてない?
外堀を埋めて囲いこまれている状況に恐怖を感じるのは、私の感覚がおかしいのだろうか。
「サイズなんて、見れば大体わかるけどなぁ?」
振り向いたヒースの目線の先に、偶々私とエリーが居たのは不運な事故だったと思うし、私たちの更に後ろ、丁度いいタイミングで音楽室に入ってきたフィリアスが、その発言をバッチリ聞いてしまったのも、本当に不幸な出来事だったと思う。
「ほう? 誰の、何の、サイズがわかるって?」
「………………あ、いや、あの」
胸を隠して後退るエリーを背中に庇って、フィリアスは静かに微笑む。真夏の太陽も凍りつく氷点下の微笑みで。
「ヒース……いい奴だったのにな……」
「エリーにだけは手を出すなって言ったのに……怖いもの知らずめ」
「ざまぁ」
「ご、誤解だからね!? 君たちは助けてーー!?」
フィリアスとヒースのやり取りに背を向けて、私たちはダンスの練習を再開した。途中で何度か悲鳴が聞こえた気がするけど、気のせいだ。たぶん。
エルミーナ先生の教え方が良かったのか、その日の練習が終わる頃には、かなり踊れるようになった。後はヒールの靴でも同じように踊れるように練習しないとだ。
練習に付き合ってくれた皆にお礼を言って、そろそろ解散しようかとなった頃のこと。
「アルファルドとセリアルカは残ってくれ。話がある」
堅いフィリアスの声に、私は無意識にアルの手を握っていた。
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