7 保護者の許可をいただきました
私たちが住む、このシュセイル王国は二つの御印の一族によって守られた国である。
ひとつは戦神の翼の御印。これは国王陛下が王位と共に代々受け継いでいるため、王権の象徴といわれている。
そしてもうひとつが火の神の炎の御印。王妃や騎士団長を数多く輩出している名門マティス侯爵家の当主が受け継いでいる。
「初対面だと思うが、どこかで面識があっただろうか?」
捲っていた袖を直し黒の上着を羽織ると、フィリアスは改めて私に目を向ける。冷たく厳しい視線を寄越す瞳は、王家特有の北の空の色。空に興り、空と共に歩むこのシュセイル王国において、他の何よりも貴い色だ。
「い、いいえ! 私の父は、大学の教授で古文書の研究をしています。仕事上、王宮に上がることも多くて……それで、お噂を聞いたそうです。我が家も弱小ながら御印の一族ですから、失礼が無いように事前に知っておきなさいと言われました」
曰く、王太子となって翼の御印を受け継ぐべきは、最も優れた長子だったのに、一番上の王子はマティス家令嬢の子で、炎の御印を持って生まれてしまったため養子に出された、と。
「なるほど。エリオット・リーネ教授の愛娘とは君のことか」
「フィリアス様、父は私にしか話していません。どうかお許しください」
膝を付こうとする私にフィリアスは首を振って制す。
「王宮にいる者ならメイドでも知っていることだ。今更咎めたりはしない。――それから、フィリアスでいいし敬語もいらない。ここではそういうルールなんだ」
そう言って、私に椅子を勧めた。
「もう! いきなりあんなことしたら驚くじゃない! セラ、大丈夫? 怪我してない?」
私の右手に触れてひっくり返したりしながらエルミーナは心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫だよ。ありがとう」
弾かれただけで痛みは無い。ホッとしたようにエルミーナは笑って、私の隣に椅子を持ってきて座った。フィリアスに向き直ると柳眉を顰めて問う。
「今のは何をしたの?」
「たぶん、私に敵意があるかを確認したら魔力が過剰に反応してしまったんだ。私は銀月の女神の一族だから、彼の火の神の一族とは本来敵対関係にある。魔力の相性が悪いんだ。私が手を出した時に彼が強い魔力をぶつけたら、弱い方の私が弾かれたってことだよ」
困り顔のフィリアスの代わりに私が答えると、エルミーナは「敵意だなんて!」と憤慨してフィリアスを睨む。
「普通なら少しピリッとするだけなんだ。セリアルカが御印の一族とは知らなかった。驚かせてすまない。だが、普通に名乗っても信じてもらえないだろう? …………うん。俺が悪かった。だからそんな顔しないでくれ」
むすっとしたエルミーナにタジタジなフィリアスに、私は思わずふき出した。それが呼び水になったようで、ようやく空気が和らいだ。
「――それで、緊急の用件とは?」
エルミーナは隣に座る私の手を握る。私は覚悟を決めてそっと握り返した。
「私たちの友達の話なの。その娘は……」
「エリー、良いよ。フィリアスは私に身分を明かしてくれた。私も君たちを信じる。私から話させて」
エルミーナは目を瞠り、嬉しそうに頷いた。
私は一度大きく深呼吸をして、天井を見上げる。古びたシャンデリアが暖色の光を落として、壁掛けの時計の秒針の音が部屋に響く。
今更ながら、どうして音楽室なのかやっとわかった。中の音が外に漏れないから、こういう話をするのにちょうどいいのだろう。
静かに待っていてくれたフィリアスに向き直り、私はなるべくゆっくり簡潔に話始めた。
***
「千年前の戦乱の時代に、獣人は人間の側で戦い、数々の武功を立てた。それ以来、このシュセイルでは基本的に獣人を保護している。だが知っての通り、狼の獣人に関しては彼らの自浄作用に期待している部分が大きい。それは、彼らが群れを成し集団で生きる種族であること。厳格な上下関係に拠る頭領への絶対的な忠誠心などが理由だ。君が真に恐れるべきは、そういった群れから逸れた狼男……ということになる」
エルミーナが頼れると自信を持って推薦するだけあって、フィリアスは獣人に関しても知識が豊富のようだった。適切に相槌を打ってくれるので止まることなく一気に話ができた。いずれこの国の中枢に至る人だ。必要な知識なのだろう。
「その通り。だから、こういう学院のような閉鎖された場所は一番危ない。群れの目が届かずに、逸れ狼を生み易いから」
私の母を殺したのも、群れから逸れた狼男だった。その前日、酷い風邪をひいた私はフェロモンを抑える薬を飲むことができなかった。
――あの日の光景が今も脳裏に焼き付いている。
「君の話を聞いて、いくつか疑問がある。質問してもいいか?」
「なんでも聞いて」
「この学院は、元々騎士を養成するための学校だ。そのため男子生徒が八割を越える。君が入るには少し無謀だったのでは? 今回エルミーナに問いただされなかったら、君は秘密を秘匿するつもりだったのか? 何も知らないエルミーナが危険にさらされたかもしれない可能性は?」
エルミーナが小さく息を呑む。なかなか容赦の無い質問だと、私は苦笑いする。
「転入は父さんに何度も止められた。でも、獣人は身体能力が高い。私はこの力で同じような獣人の女性を守りたい。だから、どうしても騎士になりたいんだ。そのためには狼男の一匹や二匹、素手でぶっ倒すぐらいの力をつけたい。そのために来た」
母を殺した狼男はその場で撃ち殺された。私の手で仇は取れない。ならば、私は私のような者を出さないように狼男を取り締まる立場を目指したい。そう思った。
「満月の度に朝帰りしたらいずれバレてしまう。早いうちに話す気だった。でも……勇気が必要だった。それに関してはエルミーナに申し訳ないと思っている」
エルミーナの方を向いて頭を下げると、エルミーナは首を振って手を繋いでくれた。
「私がフェロモンを抑制する薬を忘れずに飲んで、抱きついたり濃厚な接触をしなければ、においが移ることは無い。この学院の女子生徒はお嬢様ばかりでみんな高い香水をつけているし、いい具合ににおいが紛れる。エルミーナに危険は及ばないと思う」
抱きつくのはダメなのね。と少し残念そうに呟くエルミーナに、私は驚いて思わずエルミーナの横顔を見た。
心なしか私、フィリアスに睨まれてる気がするけど大丈夫? なんか変な勘違いされてない?
「……よくわかった。たしかに君は危険な存在だ。だが、それだけ備えていながら襲ってくる奴がいるとすれば、それは避けようが無いことだと思う。――それに、エリーの貴重な友人だからな。これからはより一層エルミーナの安全に気をつけてあげて欲しい」
「えっ!? それじゃあ……」
思わず弾んだ声を上げる私に、フィリアスは眉尻を下げて頷いた。
「ただひとつ、注意して欲しいことがある。この学院には俺が知っているだけで四人の狼男がいる。いずれも大人しく人間の中に紛れて静かに暮らしている。絶対に近付かないと約束してくれ」
私が近付き過ぎなければ、彼らが発狂することはない。私に異存は無かった。
「約束する」
私の答えにフィリアスはようやく憂のない爽やかな笑顔を見せてくれた。
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