音楽室の狼

6 王子様風と王子様

「へー……君がアルの婚約者かぁ〜」


 流石にその日、十二回目ともなれば、腹も立つ。


 その日最後の授業が終わった後、教室に残ってノートの整理をしていた私は、前の席に誰かが座ったことに気が付かなかった。

 突然降って来た声に集中を乱されて妙な力が入ってしまったのか、バキリと真っ二つに折れた鉛筆を机に置いて、前の席に座る声の主を見上げた。


「初めまして。僕はクリスティアルと言います。アルファルドの従兄弟だよ。よろしくね」


 私の机に頬杖をついて、人懐っこくにっこり微笑む彼に思わず毒気を抜かれて、ただ呆然と彼を見つめていた。男性が言われて嬉しいかはわからないが、目の覚めるような美男子がそこに居た。


 ふわりと毛先の巻いた明るい金髪に、神秘的な深い青の瞳。“青き瞳の姫君”という有名な絵画を思い出すその色は、吸い込まれそうな海の色。どことなくその絵の姫君に似ているように思うのは、彼が絵本の中から抜け出たような王子様顔だからだろうか。


 アルファルドの従兄弟って言った? 父方か母方かは知らないけど、この一族には美形しかいないのか? なんだか無性に腹が立つな……。


 黙ったままの私に、彼は目を瞬いて首を傾げる。ハッと我に返った私は「よ、よろしく」となんとか声に出した。彼は頷き笑みを深める。面食いだったらころっと落ちてしまいそうな魅力的な微笑みだった。


「あの人間嫌いのアルがずっと口説いていたと言うから、どんな子か気になっていたんだ。思ってたより……うん。安心した」


 今の間はなんだ? と聞かなくても言わんとすることは大体わかる。


 クリスティアルが来るまでに既に十一人に同じ質問を浴びせられてきたが、大体みんな同じ反応をしてそそくさと居なくなる。残された私は、否定して訂正する間も無いまま、このモヤモヤを抱えるという寸法だ。

 この従兄弟に言えば妙な噂も少しは収まるだろうか。


「アルファルドに従兄弟がいるなんて聞いてなかったから驚いた」


「あははは! 僕もなかなか君に紹介してもらえないから、勝手に会いに来ちゃった」


 彼の朗らかな笑顔に私の警戒心が緩んだところで、本校舎の鐘が気怠げに十七時を報せる。そろそろ、エルミーナの授業が終わった頃だろうか。


 先に授業が終わった私は、ここでエルミーナと待ち合わせをしているのだが、ふと周りを見回すと、教室には私たち二人きりだった。白夜の季節に入ったため、窓の外にはまだ明るい日差しが降り注いでいる。世界の最北の国に浮かぶ太陽が、教室の隅に蹲る静けさを軽薄な程に明るく照らしていた。


 外はこんなに明るいのに。クリスティアルのように背の高い目立つイケメンが入って来たなら、すぐに気付きそうなものだけど、全く気配がわからなかった。人は皆生きているだけで微弱な魔力を発している筈なのに、彼からは何も感じない。そのことに気がついた時、背中に冷たい汗が伝った。


 美男子はアルファルドで見慣れたと思っていたけれど、クリスティアルの美しさには畏怖を感じる。真正面から見たら最後、永遠に光を失ってしまいそうな強過ぎる光。

 君は一体何者なの? 魔物や幽霊ではなくて、本当に生きている人?

 生まれて初めて美しいものが怖く思えて、私は視線を逸らしながら努めて明るく振舞った。


「紹介って……私はそんな大した人間じゃないよ。それに、その婚約っていうのはアルファルドの勘違いだ。なんていうか、お互いの認識にズレがあるっていうか……」


「えー? そうなのー? でも、アルがそう言ってたよ?」


「だから、それは誤解なんだって」


 ……まさか君も話が通じないタイプか?

 うんざりしているのが表情に出てしまったのだろう。彼は酷く驚いた顔をした。そしてニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

 なんだ。そういう笑い方もできるんじゃないかと、人間らしいところを見て少し安心したのは秘密だ。


「……ふうん。なるほどねぇ」


 何がなるほどなのか。彼は呟いて席を立った。スラリと背が高くスタイルが良い。

 私の手元のノートに長い影が射した。


「君はアルファルドの歴代の彼女たちとは違うタイプみたいだ。まぁ大変だろうけど……頑張って逃げてね」


 ぽんと私の肩を叩いて、呆気に取られる私を置いて教室を出て行った。


 ――前言撤回。やな奴。そして、なんだか怖い奴。


 わなわな震える私に、クリスティアルと入れ違いに教室に入ってきたエルミーナが、ギョッとした顔で遠慮がちに声をかける。


「セラ? お待たせ。えっと……大丈夫?」


 今自分がどんな顔をしているのかわからないけど、エルミーナに当たるのは何か違うような気がして、ふうと大きく深呼吸をして怒りを落ち着けた。


「さっきの彼と何かあった?」


「いや、何でもない。挨拶しただけ」


「……そう」


 エルミーナは何か思うところがあるのか、彼が出て行った扉をしばらく見つめていたが、すぐに本来の目的を思い出したようで、私に向き直った。


「彼が会ってくれるって。一緒に会いに行きましょう? 私と彼はね、選択している教科が全然違うから、なかなか会えないのよ。でも今日は緊急って言ったら、すぐに時間を作ってくれたわ」


「ええー……なんだか申し訳ないよ。二人でデートしなよー」


「それは……まぁ、会えばわかるわ。さぁ行きましょ!」


 エルミーナは私の手を取ると強引に引っ張って行く。本校舎から渡り廊下を渡って、旧校舎へとやってきた。


「ここ旧校舎だよ? 肝試しでもするの?」


「おばけより怖い人だから大丈夫よ」


 なにそれこわい。

 キョロキョロと周りを見回す私の手を引いて先を歩くエルミーナは、やがてとある古ぼけた扉の前で止まる。


 三回、一回、二回、一回とノックをすると、カチャリと小さな音がしてドアの鍵が開いたようだった。こんな所に魔法錠なんてと思ったけど、元が校舎ならそういうこともあるかと納得した。


 エルミーナに促され、私はその部屋に入った。中は音楽室のようだった。部屋の中央にはグランドピアノが鎮座し、壁側に古い机と椅子が寄せられていた。そこに一人の青年が腰掛けていた。


 彼は足をゆったりと組んで、頬杖をつきながら膝の上の分厚い本に視線を落としていた。赤銅色の少し長めの髪に明るい空色の瞳の精悍な顔つき。肘まで捲ったシャツから覗く前腕はがっちりとしていて、私と同じ騎士科の人間らしいことがわかる。


 やや不機嫌そうに眉間にしわを刻んだまま顔を上げたのだが、エルミーナの姿を見るなり破顔した。ちょっと前と打って変わって優しく柔和になった雰囲気に、私は目をパチパチと瞬く。


「紹介します。私の婚約者のフィリアスです。――で、こちらが、私の友人のセリアルカです」


 順番にエルミーナが紹介すると、フィリアスは立ち上がって右手を差し出した。


「よろしく」


 騎士が初対面の相手に利き手を差し出すのはどうかと、一瞬考えたが“友人”のエルミーナの紹介だもの。信用して良いはず。そう思って、握手をしようと右手を出した。


 ――触れたその瞬間、バチッと雷が爆ぜるような大きな音を立てて私の手は弾かれた。エルミーナが小さく悲鳴を上げて口元を押さえる。


「――これはまた、珍しい者を連れて来たね? エリー」


「フィリアス!? これは……何をしたの?」


 私はフィリアスの右腕に現れた紋様に目を奪われていた。右手の甲から肩甲骨まで連なる炎の紋様がシャツの下で赤く光っていた。私の視線を感じたのか、よく見えるようにフィリアスは腕を掲げた。


御印みしるしを見たのが初めてでも、炎の御印の所持者が誰かぐらいは知っているだろう?」


 知らない筈がない。シュセイルに住む者ならきっと子供だって知っている。


「……まさか、こんな所で王子様に会うなんて」


 いたずら成功と言いたげにフィリアスは笑った。エルミーナに向けたあの優しげな笑顔はどこに行ったんだ! と言いたくなるような、それはそれは悪〜い顔で。

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