FileNo.8 プリディクション - 20

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 エリザベスと名付けられた防衛システムは、しば呆然ぼうぜんと眼前の光景を見つめていた。


 崩壊した陸橋りっきょう


 燃え上がる幾つもの乗用車と積み上げられた瓦礫がれきの山々。


 何処に居たのか、片田舎には珍しいほどの人間が道路に出て、やれ救急車を呼べだの、何がどうなってるだのと叫んでいる。


 その中央に。


 は立っていた。


 片手には一人の男子学生。うめいているところを見ると生きてはいるらしい。その背中にはカッターナイフや木の枝、鉛筆、包丁など、先ほどエリザベスが放った矢の数々が突き刺さっている。




 ――あいつ、他人を壁にしたんだ。




 宙に放り出された人間たちの位置関係を思い起こせば、確かに出来ないことでは無かった――エリザベスが答えに辿り着くと同時に、道路の中央で唯一人立っている除霊師は片手で首根っこを掴んでいた男子学生から手を離した。可哀そうに、学生は呻きながらアスファルトに突っ伏し――除霊師はヒラヒラと片手を振っている。「あー重かった」とでも言うように。


 それから除霊師はスタスタと後方へと向かった。何を目的としているのかは分からない。けれど何故か、その背に向けて矢を放つことをエリザベスは躊躇ためらっていた。予感のようなものがあった。恐らく。


 いま撃ってもすべて迎撃げいげきされる。何らかの力で。


「あーあ……」


 何かを拾い上げながら除霊師が呟いている。その背に、どうやら近隣の住民らしい男性が近づいていく。大丈夫ですか、と声を掛けながら。が。


 男性の手が除霊師の肩に置かれた瞬間。その男性は突然つんのめったように体勢を崩し、地に倒れた。


「眼鏡、壊れちゃった」


 倒れた男性など、意にも介していない。除霊師はただ、拾い上げた、フレームのひん曲がった、自身が直前まで身に着けていたその眼鏡を、愛おしそうにでている。除霊師のその様はどこか狂気をはらんでいて――エリザベスはようやく自身の使命を思い出し、両腕を除霊師へと向けた。


 刹那せつな


 除霊師が、ぐるんと首をこちらに向けた。


「見つけた」


 彼女は笑っていた。額から一筋の血を流し、スカートと白いシャツは泥とすすで黒く汚れ、肩や脇腹には複数の切創せっそうが痛々しくこびりついている。その中で彼女は笑ったのだ。瞳はグラグラと揺れている。やはりどこかおかしい――そう考えると同時に、エリザベスは『矢』を撃ちだしていた。


 それは本能と言えた。防衛システムたる自分に果たしてそんなものが本当に存在するのか、それは分からない。分からないけれど彼女は予感したのだ。迎撃されるかもしれない。だがやるしかない。


 一刻も早く殺さなければ――。


鬱陶うっとうしい」


 除霊師が呟いた。次の瞬間、その姿は、燃え上がる乗用車の傍へと移動していた。何をするつもり――そう考える暇も無かった。除霊師は乗用車のボンネットを一瞬にして引きはがし、自身へ迫りくるエリザベスの矢の、そのことごとくを受け止めた。


 炎のたける夕暮れに、ひょうが降り注ぐような音が連続して響く。


 その最中。


 除霊師は呟いた。


「早く殺さなきゃ」


「死ぬのはあんたよ!」


 エリザベスは叫んだ。姿を消すために使用していた力も含めて、すべての力を『矢』を引き寄せるために用いた。途端、遠く空に蓄積していた残弾の全てが彼女の周囲に展開される。そして、それらをすべて撃ち出し――。


「遅い」


 不意に視界がブラックアウトした。いや違う。いつの間にか凶悪なまでの力で、顔面を掴まれていたのだ。視界は完全におおい隠され、そしてそれからのしばらくの時間――地獄が始まった。


 彼女に、矢を放つ時間、余裕、余力――そんなものは一切無かった。除霊師は彼女の頭を掴んだまま縦横無尽に猛然もうぜん疾風しっぷうのように駆け、道路へ、燃え上がる乗用車へ、崩れた陸橋の瓦礫がれきへ、エリザベスの全身をいやというほど叩きつけた。その様は獣のようで、なぶられる自身は暴風にからめとられた一本の小枝でしかないことを、エリザベスはもだえるような激痛の中で思い知った。


「あの眼鏡はね」


 ひとしきりの暴力を終え、最後に道路を陥没かんぼつさせる程の力を以てエリザベスを叩きつけた除霊師は、息一つ乱れていなかった。彼女はエリザベスを見下ろしながら、ゆっくり、たしなめるように告げる。


「親友からの大事な、大事な贈り物だったの。それをこんなにボロボロにして。悪い子だわ」


「よく……言うわね。他人を盾にした、ゲスの、くせに……除霊師の、くせに……!」


「あなたが他人を巻き込ませたのが悪いの。私だって、こんなことしたくなかった。


 でも仕方ないじゃない。あなたの『呪い』、放っておいたら、いつかしょーちゃんを傷つけるかも知れないもの」


「しょーちゃん……?」


「私の親友の名前。しょーちゃんは私より弱いから、こんな呪いを受けたらきっと死んじゃう。だから私は早くあなたを殺さなきゃ。ここで逃せば、いつかあなたはしょーちゃんに呪いを向けるかも知れないから。ね、そうでしょ?」


「わたしを殺したって――」


「解呪したことにならない? 嘘ね。あなたは小学校に仕掛けられていた魔術装置の『防衛システム』とは若干性質が違う。話に聞いた魔術装置はそれ単独で作動するマシンで、『防衛システム』はあくまで邪魔者を排除するための存在だった。


 だけどこの呪いは違う。涼ちゃんが呪いの発動元である白符はくふを燃やしても、こうして私が狙われ続けたのが何よりの証拠」


 こいつ――エリザベスは胸中で吐き捨てていた。白いシャツは血と煤と泥に塗れ、その体躯は既にボロボロだ。自分と変わらぬ程にボロボロだ。その筈なのに。


 目の輝きが、異様だ。


「あなたはいわば、この呪いの司令塔。三秒に一度しか矢を放てないと思わせたり、積極的に殺意を隠したり――これは私が除霊師であることを考慮し、柔軟に戦術を組んだ結果よ。一般人相手なら、隙を見せて罠にはめるなんてことしなくても、もっと簡単に殺せる筈だし。ああ……思えば、この前この街で死んだっていう探偵さんもあなたが殺したのかしら? あ、殺したのよね。ごめんなさい愚問だった」


 ミシミシと、除霊師に掴まれたままの頭にいやな音が走った。激痛に唇をむことしか出来ない。だがそんなこと、相手には知ったことではないのだろう。


「司令塔であるあなたを殺せば、呪いの運用決定権を持つ者は居なくなる。よって攻撃は止まり、次の司令塔が補充されるまで、実質的に呪いは解除される。つまり、この呪いは操縦者が居なければ動けない自動車のようなもの。でしょう?」


 除霊師は笑いながら尋ねてくる。だがその実、返答など求めていないことは明らかだ。


「ああ、いまサイコーにムカついてるからついでに言っておくけど、私、姿を隠したあなたが近くにいるだろうことは予想してたのよ? でないと三秒ごとに的確に私目掛けて矢を放つのは難しいものね。


 あなたの『矢』は弾道を予測すればギリギリ回避できた。そのことから、放たれていた数々の『矢』の速度は恐らくアーチェリーの矢と同等かそれ以下、つまり秒速六十メートル後半と見るのが妥当だとうでしょう。逆算して、あなたは大体、私から百~二百メートルくらい離れたところからコソコソ機をうかがってた筈よ。ねえ? どう? あってる?」


 エリザベスは苦悶くもんの声を上げた。上げながら必死で考えていた。このままではダメだ。このサディストになぶり殺されて終わってしまう。それではダメだ。死はきっとまぬがれない。だがせめて。


 せめて一矢報いて死んでやる!

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