FileNo.8 プリディクション - 17

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「――お前を創ったクソ魔術師は、今、どこに居る?」


 喧嘩腰けんかごしにウィジャ盤へ告げる雷瑚らいこ先生に、あたしも、そして大井さんも、しばらく何も言えなかった。口を開いたのは数秒後……何の反応もないウィジャ盤、およびプランシェットにえかねたらしい大井さんだ。


「あの、雷瑚先生。そんなこと聞いても――」


「――見つけた」


 返事するわけないと思います、と大井さんは言おうとしたのだろう。だがその言葉をさえぎるように、先生は小さく呟いた。その声は鋭く、しかしその顔には小さな笑みが浮かんでいて、あたしはその横顔を、まるで犬のようだと思った。


 獲物の臭いをぎ取った、大型の、獰猛どうもう狩猟しゅりょう犬。


「怖い思いさせちまって悪かったな、遥。だけど安心しろ。もう大丈夫だ。


 ……そうだな、約束してやるぜ。あと三十分もしない内に片は着いて、お前の呪いはぶっ壊せる筈だ」


 先生は低く、なおも鋭い声で大井さんにそう告げた。直後だった。


 先生のてのひらからまばゆい青紫色の輝きが放たれた。ガン、という強い衝撃音と共に、先生が押さえつけていたプランシェットの欠片かけらは、そしてその下にあったウィジャ盤は、バラバラにくだけ散る。


「えっ、えっ? い、いま何したんですか?」


「ああ……承諾しょうだくなしにやっちまったな、すまねえ。見ての通り、お前に予言――っつう下らねえ触れ込みで呪いを掛けた装置をちょっくらぶっ壊した。これで『向こう』もバッチリ察しただろ……敵がうーちゃんだけじゃねえってな」


 ふらり、と先生が立ち上がった。脇腹わきばらを押さえている。プランシェットの欠片が貫通したのだから当然だ。重傷であることに疑いの余地なんて無くて――だからあたしは、なかば怒り気味に立ち上がった。


「先生、やっぱり駄目です。坂田先生が大変なのかもしれないけど、その体でこれ以上動くのは――」


「遥、確認してくれ。部屋の隅に居た女の子ってのはまだ居るか? 手の中のプランシェットはまだ動くか?」


「先生!」


 あたしの言葉を無視するように大井さんへ視線を移す雷瑚らいこ先生へ、あたしは批難ひなんの声を上げた。だが先生はポンポンとあたしの頭を叩くだけだ。あたしは尚更なおさら、頭にきた。無視はあんまりだ無視は!


「先生! 今すぐ病院に行くべきです!!」


「頼む遥、栄絵がお怒りだ」


「ええっ、えっと、あー、その……お、女の子! 居ません! プランシェット! 動かないです!」


「大井さんも! 答えてる場合!?」


「ご、ごめんなさいごめんなさい! もうわたしどうしたら――」


「あー喧嘩すんな喧嘩すんな。それから栄絵、お前に頼みたいことがある」


 誰のせいで、と言いかけたところで、先生の体がぐらりと揺れた。慌ててその体を支えようとしたあたしだったが、先生はそれを狙っていたらしい。


 先生はあたしの両肩を持って、くるりとあたしの体を半回転させた。それから。


「あたしを背負ってくれ」


 一切の遠慮えんりょなく、あたしの背中におおい被さった。


「……はい?」


「真面目にすまん。巻き込みたくないのはヤマヤマなんだが、何せちょっち体が言う事を聞かなくてな。方向は背中から指示するから、何とかあたしを敵のところへ連れてってくれ。なぁに大丈夫だ、代わりと言っちゃなんだが、何があってもあたしはお前をまもる」


 真面目に動けないのに? 守る? いやいや。


 あたしは思った。それは『無茶』というものだ。そんな火中の栗、井戸の底の亡霊を拾いに行くような真似を、誰が好き好んでするだろう? 例えそれが大恩ある先生の頼みであったとしても、だ。


「少しの間でいいんだ。あたしゃ頑丈がんじょうだし、多少は治療術の心得もある。少し休めば、まだしばらくは動ける筈だ。だから少しだけ――」


「行きましょうか先生! どこへでも!」


 あたしは力強く言い放ち先生を背負った。背中越しに感じる先生の柔らかな体躯たいく! 無茶を言ってもらえる関係で良かった! この感触を味わえるのであれば、あたしは地獄の大将とだってランバダを踊ってみせる!


「じゃ、しっかりつかまっててくださいね! まずはどこに行きますか!? 教会ですか!?」


「あー、いや、うん、悪いな、だがノリが良くて助かる。じゃあとりあえず校舎の外に――」


「承知しました!!」


 あたしは走った。先生を背中に背負ったまま全力でけた。部室の外に出て階段を一足飛びで駆け下りて小綺麗な廊下を学校の正門へと爆走する。あたしの人生においてここまであからさまな馬力が出せたことは多分無い。それほどまでに幸福とは人を強くするものなのだとあたしは思い知ったし、後から思えば、異様なスピードを出すあたしは馬として実に乗りにくいものだっただろう。それは置いておいて、とにかくあたしはあっという間に先生を背負ったまま学校の正門へ辿り着き、息を荒げながら道をたずねていた。先生は若干ヒキ気味に道を示し、あたしはそれに従う。従僕じゅうぼく! その時のあたしを指し示す言葉があるとすれば、まさにそれだった筈だ。滅私めっし! それはあたしを示す言葉として最も程遠い言葉だっただろう。あたしは疲れも忘れて走った。背で弾む先生の感触に至上の幸福を感じながら。


 だけど。


「来たか」


「何がですか!?」


 先生が呟いた瞬間、あたしの視界を何かが横切った。それは丁度、商店街の外れ、昭和の匂いの残る古い木造住宅が両脇に立ち並ぶ人影の無いうら寂しい小路の一角で、だからあたしは、最初それを、虫か何かの軌跡きせきだと考えた。そしてだから猶更なおさら、理解が遅れた。自分の視界が突然グルリと回転した理由を。強い重力を感じた理由を。そして息を吐くひまも無く、アスファルトの上からかわら造りの屋根の上へ、景色が様変わりした理由を。


「あれ?」


「舌、むなよ」


 先生が鋭く告げた。そして足元の瓦たちを打ち砕くような力強さで屋根の上を走り出す。あたしは声も出せなかった。先生を背負っていた筈のあたしは、いつの間にか――先生に横抱きに抱えられている。


「えっ、えっ!?」


「ありがとな、栄絵。そんでもってもう一つ頼ませてくれ」


 ひゅんひゅんと何かが風を斬る音がしていた。赤い紅い夕陽を受けつつ、先生は真っすぐ前を見て駆ける。そして、あたしに一つの依頼をする。あたしは目を白黒させながらその言葉を受理した。受理しながら、ようやく周囲を巡る風を斬る音、その正体を眼にした。


 プランシェットだ。


 縦横無尽に先生の周囲を、複数のプランシェットが跳ね、飛び回っている。それらは時に先生の野暮やぼったい前髪を斬り裂き、ひるがえる白衣の袖を貫き、先生の頬をかすめ、それでも尚、先生を執拗しつように狙ってくる。まるで自動追尾式のミサイルのように。一方の先生はジグザグに駆け、頭を低くして、時には姿勢を傾けながら、次々に古い家屋の屋根を飛び伝い続け、無数のプランシェットからの攻撃をたくみに回避し続けている。その様は激しい舞いを踊っているようで――あたしはようやく、先生があたしを連れてきた本当の意図を理解した。


 体が治るまでの少しの間、自分を背負って走ってほしい。一分一秒も無駄に出来ないから。確かにそこに嘘は無かった。だけど、違う。


 本当の――そして恐らく最大の動機。間違いない。


 『あたし』だ。

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