龍神物語

影月 潤

龍神物語 其の一

 龍神物語 其の一


 走った。

 全力で、ただひたすら走った。

 一人の少女――琴はただ、一心不乱に、山道を駆けていた。

 思い出すのは盗み聞きした両親の会話。

 長く続いた旱魃で、租を納めることが出来なくなったこと、そのせいで、琴を、自分の娘を、売らなくてはいけないということ。

 母親も、父親も、泣いていた。

 それでも、仕方のないことだと、このまま餓死してしまうくらいなら、どこか別の場所で生活する方が、琴にとっては幸せだということ。

 でも、それは違う。

 両親と暮らした日のことを憶えている。

 貧しくても、苦しくても、辛くても、一緒に過ごしてきた時間を憶えている。

 だから、いくらどうしようもない状況だからと言って、そんな方法でどうにかしようと考えていることが、悲しかった。

 どんなに辛くても、苦しくても、皆と共にいたい。

 自分だけが幸福を得るなんて、自分だけが救われるなんて、そんなの、違うのに。

 それを言わず、ただ、驚いた表情をしていた両親の顔を見て、琴は、ただ、その場から逃げた。

 せめて、雨が降れば。

 そうすれば、全てが上手くいくかもしれないのに。

 赤く照りつける太陽を呪った。

 決して流れてこない雲を呪った。

 それでも……両親のことを呪うことだけは、出来なかった。

 石につまずいてバランスをし、琴は前のめりに倒れる。

 乾いた土が、琴の服を汚す。

 それでも琴はそれをほろうこともなく、ただ、しゃがみこんだまま、両手を合わせる。

「神様っ……」

 声が出た。

 ただ、小さな手を握りしめて、空に向かって思いを馳せる。

 雨が降れば。畑がまた、潤ってくれれば。

 そうすれば、全てが上手く行く。

 ひたすら、天に向かって祈りを捧げる。

 落ちてくる雫は雨ではなく、自分の頬から、目から流れてくるもの。

 もっと、この乾いた大地を潤す雫を。天からの恵みを。

 ただそれだけを思い、琴は、強く天に祈る。



「それが、そなたの願いか」



 声が聞こえた。

 聞き違いかとも思う。

 聞こえてきたのは男性の声。

 温かな、それでいて、神々しい声が、琴の耳に入ってきた。

 顔を上げると、そこに、一人の男性が立っていた。

 清楚な緑色の着物に身を包み、こちらを静かに見下ろしている一人の男性。

 細めではあるが、整った顔立ち。

 凛とした表情の中に、なにやら強い決意のようなものが見て取れた。

「それが、そなたの願いか」

 同じ言葉を繰り返した。

 琴は泣き腫らした顔のまま、じっと男を見つめる。

 男は何も言わず、ただ返事を待っているように見える。

 その表情には一つの迷いもない。強い視線で、じっとこちらを見ている。

 ほんのわずかな、時が流れる。

 風が吹き、草が揺れ、木が動く。

 その周りの出来事がまるでこの世界から切り離された映像であるかのように、琴には、目の前にいる男以外の全てのものが、何か不自然なもののように見えた。

「……はい」

 静かに、答える。

「私の、願いです」

 かすんだ声で、小さな声で。

 それでもしっかりとした言葉で、琴は答えた。

「そうか」

 男が答えた。答えてから、静かに目を閉じた。

「そなたの想い、よくわかった」

 男が歩き出す。

 琴とは反対の方向へ、静かに背を向けて。

 一歩歩き、二歩歩き、やがて、男の体が、静かに光を放ち出す。

 光は男の体を包み、周囲の景色を隠し、そして、琴の身の回りにまで、光が及ぶ。

「ならば、そなたの願い、叶えよう」

 男の体が浮き上がる。

 片方の手を天に掲げ、静かに浮き上がってゆく男の体を、完全に光が包み込む。

 光はやがて一つの大きな球体となり、その球体から放たれる光の眩しさに、琴は手で目元を隠した。

 指の隙間から見える光の中から、何か、大きなものが見えているような気がした。



「叶えてやろう……我が名は龍神」



 声が聞こえる。

 それは、空気を揺らして耳に入ってくる言葉というよりは、頭に直接言葉が響いているような感覚。

 光が周囲に満ちる。

 球体の中から、その形が現れる。

 その姿は、人の姿ではなかった。 

 長い体。細い手足。蛇のように伸びた体と、天にも届くかもしれないような、大きな羽。そして、まるでなにかの動物のような、大きな頭。

 そう――その姿は、龍の姿だった。

 龍が空へと舞い上がる。

 その龍の体が、月の光と重なった時、その龍が大きな声を上げた。

 まるで夜の闇に響き渡る、狼の遠吠えのよう。

 その声の大きさに、琴は思わず、耳を塞いでしまった。

 塞いでもなお、心の芯まで届くような、大きな声。

 苦しくなり、琴は耳を塞いだまま、かがみこんで目を閉じる。

 息苦しさを感じる。

 恐怖すら覚える。

 木々の音も、風の音も、聞こえなくなった。

 ただ、龍の叫びだけが、心の、体の、深いところへと響いた。



 どのくらい経ったかわからない。

 かなりの時間が過ぎたような、そんな感覚だけ残っている。

 顔を上げる。

 龍の鳴き声が、止んでいる。

 琴は勢いよく立ち上がって、空を、龍を見た。

 龍を照らす月は、真っ黒な雲に隠れて、見えなくなっていた。

 ――雲。

 あたり一面を、真っ黒な雲が覆っている。

 その雲が、静かに音を鳴らし始める。

 それはぽつぽつと静かに響き、そして、琴の顔に、服に、足元に、静かに水滴が落ちてくる。

 それは乾いた地面に吸い込まれ、地面に黒い、丸い染みを作る。

 ――雨だ。

 雨が、降ってきたんだ。

 人々の叫び声が聞こえた。

 もう日も沈んでいるというのに、村人が家の外に出て、大声をあげていた。

 その家の隣の住人も、その隣も、さらにその隣も。

 皆が、家の外に出て、空を見上げていた。

「雨だーっ!」

 そして、その何ヶ月かぶりの天からの雫に、口々に叫んだ。

 乾いた地面を真っ黒に染める雫が、地面に次から次へと降り注いでいた。


 服が濡れているのなんて、気にならなかった。

 琴は、地面に膝をつく。

 びしゃ、という、懐かしいような音がした。

 地面が、濡れていた。

 こらえていた涙が、また溢れ出す。

 しかしそれは、違う。

 これは、喜びの涙。

 嬉しさに溢れてくる、涙。

 龍神と名乗った龍が、静かに空から降りてくる。

 龍の姿が段々と大きくなり、そして、また光を放ったかと思うと、その姿は、元の男の姿に戻っていた。

 両足で、地面に降りる男。

 空から舞い落ちる雫に濡れながらも、男は真っ直ぐに琴を見つめる。

「そなたの願い、叶えたぞ」

 びしょ濡れのまま、そのように口を開いた。

 顔から、髪から、雫が舞い落ちる。

 それが地面に落ち、それもまた、地面に吸い込まれてゆく。

「はい……」

 琴は立ち上がった。

 頬から落ちる、雫。

 天の恵みか、それとも涙か。

 そんなこと、もう琴にはどうでもよかった。


「ありがとうございます……龍神様」


 琴は龍神に笑顔を向け、そう言った。




 千年ノ後  其の一




 奇妙な音が聞こえるのは、ここ最近だった。

 さらさらさらさらと、そんな奇妙な音がとめどなく聞こえてくる。

 最初は耳に何かいるのかと思ったが何もなく、なにかいるのかと思って部屋にお札を貼っても効果はなく、部屋で大音量で音楽を流したところで、その音がやむことはない。

 しかし、それすらも慣れるものだ。なに、ちょっと耳がおかしいだけ。

 竜は日常に訪れる小さな違和感を気にもせず、ただ、惰性な日々を過ごしていた。

 彼はごくごく一般的な、ただの学生だ。

 ここ日本の未来を担う若者を育成する機関、高等学校の生徒である。

 しかしここの学校はそんな大層な機関ではなく、成績のいいのも悪いのもごったにした、ただの普通の公立高校だ。

 竜はただ、近いというだけでここに来たし、将来の夢だとか、行きたい大学だとか、そんなものはない。

 朝起きる、学校に行く、寝て過ごす、とっとと帰る、寝る。

 部活に入るでもなく、何らかの活動をしてるでもない。

 竜は、毎日をただのんびりと過ごしていた。


 チャイムの音が響く。誰もが聴きなれたこの音は、救うものを救い、しゃべるものを黙らせ、座らせるものを立たせる音だ。

 明治維新時の偉人の話を随分と熱く語っていた教師も、チャイムの音に驚く。

「なんだ、もうこんな時間じゃないか」

「せんせー、リョウマになると熱いっすからねー」

 生徒から笑い声が響き、いくつかの人が立ち上がる。

 また明日なと大声で言い、ジャージ姿の教師は去った。

 昼休みだ。

「なんか、呼ばれてるような気がしないか?」

 昼休みの竜の第一声はそれだった。

 空いた机を占拠し、弁当箱なりパンの入った袋なりをあけていたミツルとコウスケは、一瞬だけ、動きを止めた。

「呼ばれている?」

「誰に?」

 二人ほぼ同時に声を出し、竜の方を見る。

 竜はこくりと、小さく頷いた。

「なんていうか、始めるぞ、来い、みたいな感じで、何度も呼ばれている気がするんだよな」

 その言葉を聞いて、ミツルとコウスケは顔を見合わせる。

「ほー、萌えるシチュエーションだね~」

 割と真剣に言ったつもりが、ミツルにはどうも、そういう風に聞こえたらしい。

「なんだナカやん、日々エロいもんに目を通してるから、幻聴でも聞こえるようになったんじゃないか?」

「前半は激しく否定するが」

 竜はいつも通りに、返す。

 二人といる時は、いつもこんな感じだ。

 ボケてるつもりもないし突っ込んでるつもりもないが、いつの間にか、周りから見るとコントのようなやり取りになっている。

「それと、たまに和服の人が見えるような気もする」

 急に思い出したかのように、竜が再度口を開く。

「わふくぅ?」

 コウスケは意外な単語だとでもいうように、その言葉を大きく繰り返した。

「おい、それやっぱしエロいんじゃないのか?」

 ミツルはニヤニヤしながら竜を見る。

 苦いものを噛んだような顔で睨み返してやると、ミツルは冷静な顔をして腕を組み、

「ふむふむ、今までの話を総合すると、ナカやんを呼んでいるのはおそらく……」

 推理でもするかのようにあごに手を当ててから、ミツルは竜に指を向ける。

「巨乳の巫女さん、だな」

 向けた指を銃を撃つように軽く上へ動かして、ミツルは言った。

「巫女さんキターっ!」

 コウスケも笑いながら、いかにもな反応をする。

 どこから巨乳がきたんだ、と思いながら、竜は大きく息を吐いた。

「気にすることはないんじゃないか、実際に誰かに呼ばれているわけじゃないんだろ」

 ミツルは弁当箱に入っていた、一口サイズのから揚げをつまんで、そう言う。

「まあ、そうなんだけどな」

 竜はただ小さく、それだけを口にした。

「本当に誰かに呼ばれていたりしてな。ああいいなあ、俺も誰かに呼ばれて~」

 コウスケはさもうらやましそうに、パンを持ったまま両手をあげた。

「おまえにゃ無理だ、せめて、その顔のいやらしさを二割は削減しないとな」

「おにょ、失礼なことおっしゃりますなミツルたん、某は心の美しさで勝負でおじゃるよっ」

 各人の反応を見ながら、竜は外を見る。

 教室の窓から見える自然の景色は、今日もいつもと変わらない、透き通ったような感じがしていた。



 放課後になり、竜は勉強道具を机に放り込み、ほとんど空っぽの鞄を持って立ち上がる。

(龍ジ……)

 立ち上がったとたん、また声が聞こえてきたような気がした。

 思わず外を見る。

 そこから見える景色は、変わらない。

 そう、変わらないはずだ。

 山は緑を讃えていて、町は灰色に染まっている。

 何も変わらない。

 竜は気のせいだろうと思い、何食わぬ顔で歩き始める。

 教室を出ようと扉に手をかけた、そのとき。

「こら、中山竜っ!」

 今回は気のせいじゃない。

 呼ばれた。しかもフルネームで呼ばれた。

 しかもその声は、あまり聞きたくない人物の声だった。

 ぎこちなく、まるでさびたロボットのようにギギギ、と、少しずつ振り返ってみる。

 そこには、腰に手を当てて、むすっとした感じの顔でこちらを睨んでいる、女の子がいた。

 当クラス学級委員長、響里歌(ひびき りか)。

 その里歌が、なぜかこっちをじっと睨んだまま、動かないでいる。

「どこにいくの?」

 里歌は敵意すらこもった声で言った。

「じゃ、またな、委員長」

 竜はそれに素直に答えることはせず、軽く手を上げてそのまま教室を出ようとする。

 ぴしゃり、という音が響いて、開いていたはずの扉が勢いよく閉まった。

「あんた昨日、委員会サボったでしょう?」

 今にも飛びかかられそうな表情で里歌が睨みつけてくる。

「委員会があるから学級委員は出席すること。そう言ってたでしょ、副委員長?」

 竜はこのクラスの副委員長ということになっている。

 各クラス、委員長一人、副委員長一人。男女一人ずつを選出すること。それに立候補するものがいなかったら、推薦。そしてそれもなかったら、くじ引きというのは世の常だ。

 そしてその各ニ十分の一ほどのくじに、見事当たったのが里歌と竜なのである。

「待てよ、昨日はサボったかもしれないが、その前は出たぞ」

 両手を使ってオーバーにそう力説する。

 しかし、里歌はそんなことにいちいち反論せず、目つきを細くして竜をにらみつける。

「ウチのクラスはまだ何も決まってないの。この前のアンケートの集計だって終わってないんだから、少しは手伝いなさい」

 手首を捕まれて、そのまま引っ張られる。

「……面倒だな」

 引っ張られながら、そんな事を口にする。

 里歌が眉間に皺を寄せ、口元ににやりと笑みを浮かべて振り返る。不気味だ。

「もし今日手伝わないなら、明日までにクラス発表の内容を決めて、まとめて、そのまま生徒会に提出して、その後の修正だとか計画だとか、ぜーんぶやってもらうことになるけどいい?」

「ぐっ……」

 竜が絶句する。

「くぅ……手伝います」

「よろしい」

 簡単に折れた竜に対して里歌がため息混じりに言う。

「じゃあ早く終わらせるわよ、見たいテレビがあるんだから」

 そう言って里歌は席につき、机の上にいろいろと資料を並べる。

(面倒なのはお互い様か)

 そう思いながら竜は勢いよく椅子を引いて、少し乱暴に座り込んだ。


 そして話し合いは、長かった。

「ちょっと、聞いてるの?」

「へっ? ああ、うん、聞いてる」

 ぼんやりするたびに怒鳴られながらも、一応話し合いは進んでいる。

 生徒会にもらった分厚い企画書に目を通しながら、里歌はさらさらとノートに字を走らせている。

 時々何か話しかけられるような気もするが、竜の耳には入っていない。

「だとすると抽選かなあ。抽選の時はあんた、くじ引きなさいよ」

「ああ、いいんじゃないか」

 言葉を聞かないまま適当に答える。

 視線を感じたため、ふと顔を上げると、里歌がこちらを睨んでいた。

 自分は何かまずいことを言っただろうかと思い、ごまかすように付け加える。

「大丈夫だ、なんとかなる」

「……そうね」

 納得していないような顔で、とりあえずはそう答える里歌。

 とにかく会話は成立しているようだ。

 安心して、竜は再度、企画書に目を通し、今年はどんな騒ぎを起こそうか、なんて、物騒なことを考えていた。

(龍ジ……よ)

 また、何か聞こえた。

 今回ははっきりと明確に聞こえたような気がした。

「おい、何か言ったか、委員長」

「はぁ? 何も言ってないわよ」

 隣にいる里歌に聞いてみるが、何も言ってないらしい。

(龍……ン……よ)

 また聞こえた。

「ともかく、クラスの意見は一致しているから……」

「待てよおい、今聞こえたろ」

 里歌の会話を切って、竜は立ち上がる。

「さっきから何言ってるの?」

 おかしい。

 里歌には聞こえていないらしい。

 しかし、はっきりと聞こえた。

(龍神よ)

 明確な言葉となって、それが耳に入る。

「ほらっ!」

「何よ?」

 思わず大声を出す竜に、里歌がびくりと反応する。

 今のは聞こえないはずがない。

 声が響いた。

(龍神よ、来い)

 言葉は段々と明確になってゆく。

 竜は立ち上がって、教室のドアに手をかけた。

「ちょっと、どこに行くのよ?」

 里歌が何か声をかけてきているが、竜はそれどころではない。

 間違いなく聞こえた。

 そしてその声は、自分を呼んでいる。

 確信はない。

 それでも、そう思うのだから、そうなのだろう。

「ちょっと、中山竜っ!」

 里歌が声を出しながら、ついてくる。

 竜はただ、真っ直ぐ、まるで何かに導かれるように歩く。

 階段を上り、大きなドアを開け、そのまま、屋上へ出る。

 真っ赤な空、真っ赤な雲、真っ赤な太陽。

 周囲が一望できるこの場所に立って、竜は辺りを見回す。

「なんなのよ、もーっ!」

 少し遅れて、里歌が入ってきた。

「ちょっとなんなの、教室戻るわよ」

 里歌の言葉は竜の耳には入らない。

 ただ、校舎の近くに存在する、そんなに高くない山の方。

 何かがそこにいる気がした。

(龍神よ)

 そして、響いた。

「えっ、な、何?」

 里歌が反応する。

 初めて聞こえたその声に驚愕しつつ、里歌も辺りを見回す。

 龍はその声の発信源がどこか、なんとなく判ったような気がした。

 上を向く。

 自分たちの頭上に、なにやら、映像のようなものが流れていた。

 広い部屋。そして部屋の中央に飾られている、大きな砂時計。

 さらさらという音をたて、上の方に溜まっている砂が少しずつ、下へと流れてゆく。

 上に残る砂はわずか。

 竜の心臓が跳ねた。ぞくりと、なんとも言えない不思議な感覚が体を包み込む。

 その、砂時計の砂が、落ちたとき、何かが始まる気がする。

 胸を抑えると、そこが、わずかに熱くなっているような気がした。

 もう一度、上を向く。

 砂時計の上部に溜まる、砂は、全て下部へと舞い落ちた。

 さらさら、という音が止み、途端に笑い声が聞こえる。

 くつくつという、奇怪な笑い声。

 聞いていると不快になってゆくような、そんな、嫌な笑い。

(時が来た)

 一瞬だけ、影が見えたような気がした。

(さあ始めよう)

 その影が、言葉を放つ。

 本当にその言葉が影から放たれているのか、その影は一体何なのか、何もわからなかった。

(龍神!)

 確認しようと目を凝らした瞬間、見えていた映像がはじけた。

「な、何?」

 里歌が声を上げる。

 その声で我に戻り、そして、その事実に驚愕した。

 体が動かない。

 両足が、何かに固定されている。

 そして、先ほどまで映像が流れていた場所に、大きな、黒くて丸い大きな球体が現れる。

 固定されて動かないはずの足は、そのまま静かに浮き上がり、まるでその球体へと吸われるように引き寄せられる。

 周囲の風が、渦を巻いて球体へと入っていった。

「何なのっ?」

 隣を見ると、里歌の体も浮き上がっている。

 竜はどうしたらいいかわからず、ただ必死に手を伸ばして、里歌の手を握る。

 里歌が目を閉じる。

 目を閉じて、何かを口にしている。

 しかし、里歌が何を言っているのかも、どんな表情をしているかも、周りで渦を巻く空気の中でわからなくなっていった。

 風が強くなる。

 吸い寄せる力はさらに増し、体はもう、完全に地面から離れている。

 まるで重力が反対になった感じ。

 上に、落ちてゆく。

 それがひどく矛盾したことだということすらわからず、ただ、二人の体はその球体に吸い寄せられる。

 風に呑まれ、渦に巻き込まれ、二人の体は少しずつ、少しずつ。

 球体に飲み込まれていった。

(龍……神?) 

 強い風に目を開くことすら出来ず、ただ、竜はおそらくは自己へと向けられていたその言葉を、心の中で反復した。

 その単語に、聞き覚えはない。

 ないはずだ。




 ゆっくり目を開くと、緑色の景色が見えてきた。

 たくさんの木々が視界を覆い、その隙間から、わずかに日の光が漏れている。

 体を起こそうとすると、まるで重石でも乗っているかのように体が重かった。

 わずかに体を起こして、辺りを見回す。

 見回した後、自分の目がおかしいのかと思い、両目を手のひらで擦り、そしてもう一度、見回してみる。

 しかし、何度見返しても、そこは、自分が先ほどまで場所とは違う場所だった。

 辺り一面、ずっと緑が続いている。

 ここはそんな緑の真ん中の、わずかに開けた場所だ。

 まるで円を描くかのように木々が並び、その中心部分に、一つの縦長の石が置いてある。

 その景色はどこか、見覚えがあるような気がした。

「ここ……」

 近くから声が聞こえ、振り返る。

 少しだけ離れた所に、里歌の姿があった。

 里歌も今気がついたようで、静かに立ち上がって、周りを見回している。

「どこ?」

 里歌がこちらを向いて、そう聞いてきた。

 辺りは一面の緑に囲まれた場所で、上はわずかに開けており、ちょうど太陽が見える。

 太陽の位置と角度からして、先ほどまで自分がいた時刻とは大幅に違うらしい。

 再度、首を左右上下と動かしながら、状況を確認する。

 ちょうど、竜が向いた先の木と木の間から、少し離れた景色を見ることが出来た。

 竜はその方向へ向かって歩き出す。

 里歌も少し不満そうな顔をしながら、竜についてゆく。

 木と木の間をくぐって、大きな草をまたいで、そして二人は、視界が開けた場所に出た。

 少し高い場所になっていて、遠くが一望できる、そんな感じの場所。

 そこで二人の呼吸が止まる。

 そこから、遠くの景色が一望できるのだが、そこは。



 自分たちの知っている、場所ではなかった。



「……な、何あれっ?」

 里歌が声を張り上げる。

 その場から一望できる風景は自分たちの住んでいる世界だとは思えないような、そんな光景だった。

 瓦の屋根がいくつかと、他は辺り一面が森林地帯ほとんどが緑色だった。

 そして、何よりも。

 その景色を圧倒的に支配している、一つの存在があった。

 白く、長い体。

 長い胴体についている、四本の足。

 そして、大きく開いた翼。

 大きく開いた口と、顔の上部に位置する場所に存在する、二つの目。

 まるでワニとトカゲを合わせて羽をつけたような感じの、生き物。

 それは、そう。

 ドラゴン、という名が、最も相応しい表現だった。

 伝説上の、想像上の、実在しないはずの生物が今、目の前にある景色の中で優雅に、そして、華麗に羽ばたいている。

「な……何なのあれ」

 里歌が怯えたように言う。

「……ドラゴン」

 竜は静かに口を開いた。

 ドラゴン。

 その、景色の中にいるドラゴンの口から、真っ赤な炎が噴き出す。

 炎はたちまち地面を燃やし、緑一色の景色に赤い色を作り出す。

 その燃え盛る炎の周りに、人間の姿が見える。

 逃げ惑うもの、倒れた人に肩を貸す者、流れとは逆に、ドラゴンへと向かってゆく者。

 竜は無意識に、駆け出す。

 今自分が見ている景色の中で、誰かが助けを求めている。

 そう思うとつい足が動いてしまい、気づけば必死に腕を振って、全速力で走っていた。

 急な坂道を、足で滑り降り、木々を避け、草原を走る。

 走りながら横を見ると里歌も同じことを考えているのか、大きく腕を振っていた。

「一体何だってのさ!」

 走りながら里歌が叫ぶ。

「知るかよ!」

 竜も半ば叫ぶように、その言葉に返した。



 その、ドラゴンが暴れまわっている場所に近づくと、そこはもう酷い有様だった。

 家が崩れ落ちていて、畑は炎に包まれ、そして、逃げ惑う人々は必死に足を動かしている。

 竜は近くで倒れていた小さな男の子の側まで駆け寄る。

「大丈夫か、おい!」

 頬を何度か叩いて呼びかけると、男の子は小さく目を開く。

「里歌、この子を頼む」

 竜はその子を里歌に預けて、立ち上がる。

 里歌も頷いて、その子の頭を静かに抱えた。

 竜が走り出す。

 上空に見える、大きなドラゴン。

 その神秘的とも言える姿の、竜は正面に立った。

 びくん、と心臓が跳ねる。

 何か、よくわからない感覚に包まれる。

 そんな感覚の中、ただ、竜は目の前に存在するその姿を、ただ、じっと睨みつける。

 白いドラゴンが、こちらを向いた。

 目が合う。

 真っ白な体に光る、青い色の瞳。

 一目で丸いことがわかるような、顔の上部に存在するその瞳に、ギロリと睨み返される。

「へえ……」

 その白い姿が、声を上げた。

 特別な鳴き声でも、意味不明な言葉でもなく。

「やあ、龍神」

 しっかりと聞き取れる、理解できる言葉を、その、白い龍が放った。

「何?」

 竜が聞き返す。

 白いドラゴンはその言葉に対して回答をよこすことなく、ただ、真っ白い光を放った。

 眩い光に、ただ竜は目元を隠す。

 その真っ白な光は少しずつドラゴンの姿を包み込んで、そして、一つの白い球体となった。

 その球体が降下してくる。

 竜と同じくらいの高さになったとき、光が弾けた。

 白い光が周囲に拡散して、消える。

 まるでシャボン玉が弾けたように消え、そして、先ほどまで球体があったその場所に、真っ白い着物に身を包んだ、一人の男が立っていた。

「久しいな龍神。まさか、戻ってくるとは思わなかったぞ」

 旧友にでも会ったような口調で、その男は竜に向かってそんなことを言う。

 竜は身構えるだけで、何も口にしない。

 こんな奴、知らない。

 知らないはずだ。

「ああ、そうか」

 竜が何も答えないでいると、男は思い出したように口を開いた。

「今のそなたは、私のことは知らないのか」

 少しだけ口元に笑みを浮かべて、男は言った。

 男が小さく笑う。笑って、軽く息を吐く。

「私こそ、黄龍に仕えし神という名の龍の一人」

 右手を掲げ、その手を左に向けて、そして、少しだけ勢いをつけて右に払う。

「白龍!」

 そうして、右手が風を切る音と共に、男は、そう、名乗った。

 竜には何もわからない。

 ただ、理解不能な言葉を並べられただけ。

 疑問符を浮かべる竜を見て、白龍と名乗った男はまた口元を歪めて笑い、そして、一歩、こちらに近づいた。

 一歩足を出しただけで、竜は警戒し、身を低くする。

 それを見て、白龍は足を一歩前に出しただけで止めた。

「何を怯えているのだ龍神。そなたは元々、私たちの味方なのだ」

 そしてまた、理解できないようなことを口にする。

「み、味方だと?」

 竜がやっと口を開く。

 白龍はその言葉に口元を釣り上げる。

「そう、味方だ。そなたも我らと同じ、龍の一族なのだから」

 意味がわからない。

 この、目の前に立っている奴の言っていることが、全く持って理解できなかった。

「っ……!」

 突然、白龍が体を後ろに反らした。

 刹那、先ほどまで白龍の体があった場所に向かって、一本の矢が、真っ直ぐに飛んでゆく。

 その矢は白龍の眼前を抜け、少しだけ離れた場所に生えていた木に勢いよく突き刺さった。

「ほお……」

 白龍は矢が飛んできた先を睨みつける。

 竜も思わず、振り返った。

 そこに、一人の女性が立っていた。

 一つにまとめてある、一本の長い髪。

 上は純白。下は真っ赤な袴。

 俗に言う『巫女装束』の姿をした女性が、鋭い目つきで白龍に向けて弓を構えている。

「これはこれは」

 その巫女装束の姿を見て、白龍は小さく口を開いた。

「『琴』の名を持つ女。お会いできて光栄だよ」

 白龍が巫女に向かってそう話しかける。

 巫女は白龍へと視線を戻して、軽く笑う。

「ええ、私も光栄です、白龍。このような場所であなたと戦えることが出来るなんて」

 笑みを浮かべたまま、敵意を込めた目で白龍を見、そう口にする巫女。

「ここで出会った以上は逃がしません。あなたにはここで消えてもらう、白龍」

 そうして、キリっとした表情に戻って、ギリギリという音が聞こえるまで弦を引く。

 その様子を見て、白龍はただ、目を閉じて小さく笑う。

「人の身で、私に傷をつけることが出来るとでも?」

 白龍がそう巫女に問う。

 巫女は答えず、表情一つ変えず、ただ、真っ直ぐ白龍を見る。

 白龍が体をわずかに動かし、巫女に向かって背を向けた。

 それを、好機と見たのか、巫女の指の力が、抜ける。

 そのまま、弦の力によって飛ばされた矢が、真っ直ぐに白龍へと向かう。

 白龍は背を向けたまま、その矢のほうを見ようともしない。

「なんとも愉快だ」

 白龍がそう口を開く。

 そして、矢が白龍の身へと届く、その瞬間。

 白龍が、矢に向けて手のひらを広げた。

「人の身で、よくもまあぬけぬけと!」

 矢が手のひらに当たった。

 本来ならば、手のひらを貫いて、腕にまで突き刺さるはずだ。

 しかし、そうならなかった。

 矢は手のひらに当たった瞬間に動きを止め、そして、一瞬のうちに、矢は百八十度反転する。

 そして、最初からそうであったかのように逆方向へと飛び、矢を放った人物へと、巫女装束の女性へと伸びる。

「っ!」

 巫女は驚愕の表情を浮かべるだけだ。このままでは避けられない。

 竜は足に力を入れて地面を蹴り、巫女の方へと駆け、そして飛ぶ。

 矢が飛んでくるよりも早く、巫女の体は竜によって押し倒され、矢はそのまま、巫女の後ろにあった建物の残骸へと突き刺さった。

 ゆっくりと立ち上がり、竜は白龍を睨みつける。

 白龍は見下すような目線をこちらに向け、

「人間を助けるか……龍神らしい、ということかな」

 そう、口にした。

「なぜ人の味方をする。なぜ人を助ける。そのような下等生物、放っておけばよかったものを」

 白龍が表情を変えずにそんなことを口にする。

 竜はその言葉を聞いて、拳を握りしめた。

「下等生物だと? お前だって、人間だろうが!」

 その言葉を聞いて、白龍は意外そうな顔をする。

「何を言っている」

 そして、笑い声を含んだ声で口を開く。

「私は神! この世を統べる者だ!」

 両手を広げ、そう言う白龍。

「そなたも私たちと同じ存在! なのに、なぜ、そのような弱小生物の味方をする?」

 巫女を指さし、叫ぶ。

 竜は答えず、ただ、強く拳を握りしめた。

「あなた、まさか……」

 巫女が立ち上がって、竜を見る。

 一瞬だけ、巫女に視線を移す。

「怪我はないか?」

 そう声をかけると、巫女は頷く。

 少し安心しつつも、もう一度、白龍を睨みつける。

 睨みつけ、そして、静かに息を吐いてから、口を開いた。

「わかんねえ」

 その言葉に白龍は何も言わず、ただ、黙ってこちらを見る。

「お前の言ってることがわかんねえよ。味方だとか神だとか敵だとか、そんなのわかんねえ」

 白龍をにらみつけたまま、竜は静かに口を開く。

「下等生物だ、弱小生物だって……一体何を言ってやがる!」

 しかし、そんな叫びを聞いても、白龍はただ笑うだけ。

 聞いているこちらの方が不愉快になるような、そんな笑い方で、ただ、小さく笑う。

「事実を述べているだけだ」

 笑った後、口を開く。

「私たちにあがなう者など、この世界に存在する価値すらないのだ」

「ふざけるなっ……!」

 白龍がそう口にした瞬間、竜が駆けた。

 握り拳を作り、ただひたすら足を動かし、白龍に向かって、走る。

 白龍の眼前で足を止め、大きく腕を振りかぶって、竜は、作った握り拳をそのまま、白龍の頬へ。

 ぱちん、という音がして、白龍の手のひらに、竜の手が収まった。

「甘いぞ龍神」

 手のひらが、白い光を放つ。

 とたんに竜の体はまるで後ろに引っ張られるかのように、宙を舞う。

 白龍の余裕すら感じさせる顔がどんどんと遠ざかってゆく。

 竜の体は、そのまま背中から地面に落ちた。

 背中から落ちた衝撃か、体がすぐさま言うことを聞かない。

 とにかく竜は立ち上がろうと、両手に力を入れて地面を押す。

「人の姿で私に触れようとするなど……恥を知るのだな」

 白龍は余裕すら感じさせる表情でそう呟く。

 竜は必死に片足を立て、両足をしっかりと地面につけ、そして、足をふらつかせながらも立ち上がる。

 立ち上がると、すぐ近くに白龍がいた。

 白龍は一歩一歩、こちらに近づいてくる。

 息を整えている暇もない。

 ファイティングポーズを取る時間もない。

 ただ、こちらに向かって真っ直ぐ迫ってくる白龍を、竜はただ、にらみつけることしか出来なかった。

「龍神様!」

 声が聞こえた。

 それは、自分に向けられた言葉ではないと思ったが、その声に、つい竜は振り返ってしまう。

 いつの間にか、先ほどまで近くにいたはずの巫女が、少し離れた場所から、こちらに向かって走ってきている。

 手には、一本の刀。

 両手で抱きかかえるように、刀を持っている。

「この刀を!」

 巫女がそう言い、両手で大きく振りかぶって刀を投げた。

 刀は地面に落ち、そのまま、地を滑って竜の足元へ。

 竜はその刀を拾い上げる。

 巫女の様子からその刀はすごく重いものなのかと思ったが、手にしてみれば、全然重くない。

 顔を上げる。

 すぐ近くには、白龍。

 ためらわずに竜はその刀を鞘から引き抜く。

 片手で大きくその刀を振り上げて、白龍に向かって振った。

 白龍が手のひらを向ける。

 刀は手のひらに当たって、そこで動きを止めた。

 斬りつけも、突き刺しもしない。

 まるで、何か壁でもあるかのよう。

 白龍が手のひらから放つ白い光に阻まれて、その刀は、それ以上進むことはなかった。

「なんだ、この力は……」

 しかし、白龍は顔を歪める。

 がくがくと、わずかに手が震えているのがわかる。

 そんな様子を見て、竜は全体重を刀にかける。

 白い光ですらをも切り裂くように、手のひらを叩き割るかのように、自分の体重を、自分の力を、一本の刀に秘める。

「うおおおおおぉぉぉ!」

 叫ぶ。

 白龍の顔が歪む。

 少しずつ少しずつ、白龍の手のひらが放つ光の中に、刀がずぶずぶと吸い込まれてゆく。

 光の膜に喰い付き、白龍の手のひらに喰い込み、そして、刀は勢いよく、振り下ろされた。

「くうっ!」

 赤い雫が飛ぶ。

 白龍の手のひらに、一本の線が入る。

 竜が手にした、その、一本の刀が。

 赤い雫を、剣先から落とした。

「ちっ……」

 白龍が舌打ちする。

 手のひらを握り締める。

 わずかとはいえ傷つけられたことに、白龍は少々気が立っているようだった。

「私を傷つけるなどと……人の身で、神である私にあらがうなどと!」

 忌々しそうにこちらを指さし、叫ぶ。

 竜は再度刀を構え、真っ直ぐ白龍を見据えるが、

「終わりです、白龍」

 後ろから聞こえたその言葉に、つい振り返ってしまった。

 後ろにいるのは巫女。

 巫女は鋭い表情で白龍を見据え、一度目を閉じ、そして、開いてから、口を開いた。

「『龍殺しの剣』。それが、その刀の名です」

 白龍がその言葉を聞き、目を見開く。

「ま、まさかっ!」

 白龍は手のひらを広げ、そして、傷口を見た。

 一本の、細かったはずの傷口が、みるみるうちに広がってゆく。

 まるで傷口自らが生きているかのように、傷口が蠢き、広がり、そして、手のひらを飲み込む。

「相手が龍である限り、その傷が例えわずかなものでも、あなたは剣に傷つけられた時点で滅びる運命にある」

 手のひらの傷が、手首へ。

 手首の傷はひじを飲み込み肩を包み込み、そして、白龍の体にいくつもの線が走る。

 そんな様子を、竜も、そして白龍も、驚愕の表情で見つめていた。

「う、うわああぁぁぁ!」

 白龍が叫ぶ。

 体が白い光に包まれる。

「馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な! そんな馬鹿なあぁっ!」

 天を見据えて、大声で叫ぶ。

 白龍の体が、真っ白い光に包まれ、変化してゆく。

 人の姿から、先ほどの、真っ白い龍の姿へ。

 その体は体をくねらせ、空を泳ぐようにして、どんどんと高く高く上ってゆく。

 大声、雄叫びというよりかは、悲鳴のような声を上げ、空へ。

 そして、その体にいくつもの線が入り、やがて線は体全体を包み込み、そして、体が真っ赤に膨れ上がる。

 最後にもう一度、あたりに響くほどの大きな声を上げて。

 その、真っ白な体は、弾け飛んで消えてなくなった。



「す……すげえ……」

 手にしている武器を、改めて掲げる。

 ほんのわずかにかすっただけ。

 本当に小さな傷をつけただけ。

 それだけだというのに、その切り刻んだ傷は幾重にも広がり、そして、文字通り、「龍」を「殺し」た。

 存在すらなくし、形すら残さない。

 完全な、抹殺。

 『龍殺しの剣』。

 それが、この刀の名前。

「すげえ……」

 天高く、剣を掲げる。

 その瞬間、周りから歓声が起こった。

 周囲にいた者たちが、口々に勝利の言葉を、賞賛の言葉を口にする。

 竜もそれらの声に反応して、大きな雄叫びを上げた。

 それに同調し、周りの声がますます大きくなった。

 それに答えるように、竜はもう一度、大きな声を上げた。

 思い出したように後ろを向く。

 そこには、先ほどこの剣を届けてくれた巫女がいる。

「ありがとう、おかげで助かったよ」

 にっこり笑って、そんな感謝の言葉を口にする。

 しかし巫女はというと、なぜか涙を流していた。

 もしかして自分が何かしでかしてしまったのではないかと混乱する。

 慌てるように両手をせわしなく動かして、巫女へと近づく。

「え、あ、あの、どどど、どうして泣いてるのっ?」

 しかし巫女はその言葉に答えることもなく、静かに目元を拭って、

「やっと、巡り会えた……」

 そんなことを口にした。

「へ?」

 ハテナマークを頭に浮かべる。

 すると、突然。

「龍神様!」

 そう叫んで、巫女が竜の胸元へと飛び込んできた。

「えっ、ええっ?」

 突然のことで驚愕する竜。

 しっかりと手を回されて、がっちりと身体を掴まれて、きつく、きつく抱きしめられる。

 何かとても柔らかいものが、竜の胸に押し付けられる。

(む、胸が……)

 その、結構な大きさを押し付けられて、竜は顔をにやけさせてしまう。

「あ、いた、竜……?」

 そんなちょうどいいタイミングで、崩れた建物の影から男の子を背負った里歌が姿を現した。

 情けない表情のままそちらに視線を移すと、里歌は、眉を寄せた変な顔をこちらに向けた。

 ちょうどいい具合に、情けない表情を見られたようだった。




 to be continued




→ go to the next story 龍神物語 其の二

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