私の中、私は生きる

第1章 「暗がりの向こう側」(1)

　何だろう、この世界。今にも解れて切れそうなクレヨンで、ぐしゃりと塗り潰した瞳に黒と白の尖りのある壁が刻み込まれている。気付いた時には、陰と陽に分かれた境目に私は立っていた。身体に纏わり付く灰色の気持ちを、両手を開いて...閉じて、繭を脱ぎ捨てる。手を閉じる動作をして気付いたけど、少し感覚が鈍くなっているような気がする。背中に聳える壁に触っても殆ど感覚が無い。天井までの高さ、私の身長から考えると二、三メートルはあ る。この場所は一本道の廊下みたいで、左を向けば暗闇が覗き、右を向けば小さな光が陰をより濃くする。何故こんな場所にいるのだろう。別に一度来た事のある場所でも無いのに ......。

「ふふっ...漸く気付いたかしら？」

　その幼く無機質に語り掛ける甲高い声は、ドラム缶の中に向かって叫んだと思える程頭の中を反響し脳を揺らす。それ声に耐えられくて、自然と髪の毛を紙屑のように握り締め、地面に倒れて頭を抱え悶えた。

―――走り去った轢き逃げを前にやっとの思いで身体を起こし、その声の方に歪んだ顔を向けると、一人の少女が我が子を見守る母親のように微笑んでいた。頬は吊り上がり、口元の彫りにはくっきりと陰影が出来ている。

「貴女にはこれからここで暮らして貰う事になるわ。どう暮らすかは、貴女が自由に決めてくれれば良いわ」

　レースの付いたリボンを吊り下げたドレスを着た少女。背後の光の所為で服の詳しい色は 分からないけれど、白か黒であることは、陰陽の濃さで大体把握出来る。意識を戻す...という表現が正しいのかは分からないけれど、私は確か積み重ねてきた積み木を崩した筈。泥沼の上に立ち尽くすようにとても憂鬱な気分。彼女の話す言葉がどうでも良くなる程に。

「私も余り時間が無いものでして。最後に、一つだけ訊いて良いかしら？」

　ドレスの少女はフリルを揺らして近付き、私の頬に手を添えた。それは温もりを感じる訳でも無くて、頬を風に撫でられるような感覚。

「貴女は最期、あの終わり方で後悔はしていないの？」

　少女の吐く一つ一つの吐息に思わず身体を震わせる。私は深く考え込むような事はしな かった。それを思い出そうとすると閃光のような日々が、闇に吸い込まれてしまうような気がしたから、私は只その事を恐れて身を引いた。

「あれが、私の出した答えです。後悔はありません」

　少女はつまらなそうに首を振って苦笑し、私にとって眩い星の方へとカーテンをそっと閉めた。すると、先程までの明るさが嘘だったみたいに、私の元から光が走り去って行った。一寸 先の物さえ認識する事が出来ない、視力が奪われ盲目になったような気分。突然の事に心 の余裕が無くなり、その亀裂に流れ落ちるように恐怖心がに襲われる。感じるのは廊下を吹き抜ける風の音、地に足付ける感覚だけ。私は何もする事が出来ずに、座る事を拒み呆然と立ち尽くしていた。......私は、これからどうすればいいの。