第33話 領主の過去、一難ありて 3

 次にオスカーと顔を合わせたのは、少したってからだった。

 ソフィアの家に滞在するようになって、カタリナ様は少しだけ表情が柔らかくなった。

 王都にいるころのカタリナ様は、いつも何かに怒っているような厳しい顔つきだった。もともとお綺麗な顔立ちだから、痛々しい表情にも見えた。そして少しずつ食べ物も食べられるようになってきた。


 ソフィアはご飯を持っていき、カタリナ様と少しずつ時間を共有するようになった。最初のころソフィアはカタリナ様に嫌われていると思っていたから、緊張していた。

 だが、そんな様子は今のカタリナ様からは感じられなかった。普通に接してくれるし、普通に会話もする。

 そして今日もご飯を持っていき、お天気の話などして居間に戻るとオスカーがいたのだ。


「オスカー様、おはようございます」


「ソフィア、朝ご飯を頂いてしまった」


「おいしいでしょう?たまごも朝一番にとれたものだし、お野菜もつんできたばかりよ」


「朝ご飯を食べ忘れることが多いから、ヨゼフさんにぜひ食べていってくださいと言われてしまった」


「ヨゼフは優しいでしょう?」


 当家の住み込みで働いてくれるヨゼフ一家。ヨゼフは人の表情をよく見ている。忙しそうにしているオスカーをみて、朝ご飯をすすめてくれたのだろう。


 ソフィアはオスカーの傍の椅子に座り、紅茶を飲んでいるオスカーを見た。

 オスカーはカタリナ様によく似ている。新しい赴任地での仕事、そして王都での侯爵家のこと。そして両親のこと。いろいろなことがあってオスカーは忙しそうだ。


「ソフィアが母上のこと、みてくれていると聞いた。ありがとう」


「いえ、そんなたいしたことはしていないのよ。ココとキキがよくカタリナ様のところに行って、お話をしているらしいの。カタリナ様には双子たちとお話してもらって、こちらが助かっているのよ」


「母上は女の子がほしかったみたいだな。父上が家を空けがちだったから、そばにいて話を聞いてくれる存在がほしかったのだろう。俺ではそれはできなかった」


 後悔まじりに呟くオスカー。ソフィアは首を横に振った。


「わたしこそ、オスカー様のこと全然知らなかったのね。家のこと知った気になっていたけれど、オスカー様の大変さを知らなかった。ごめんなさい」


「ソフィアには心配してほしくなかった。ソフィアには何も心配がなく侯爵家にきてほしかったのだが。いろいろしてみたが、結局だめだったな。逆に心配をかけてしまった」


「そう、だったの。家族って難しいのね……わたしは家族に恵まれて、両親の仲がよくて。それが当たり前だと思っていたのだけれど。オスカー様の家をみて、そうじゃないのだと知ったわ」


「家族だからこそややこしいことがあるのかもしれない。血のつながりはやっかいだと思う」


「そうなのかもしれないわ。家族も人と人だから……」


「そういう意味で、ソフィア達の家族にはよくしてもらっていた。家族以上に優しく接してくれたよ。小さい頃からずっと」


「そう思ってくれるなら嬉しいわ」


 オスカーが家族を褒めてくれると、ソフィアは嬉しくなった。

 自分が好きな人達だから、褒められると嬉しい。

 だが、オスカーはどうなのだろう。家族に対して複雑な感情をもっているようだ。

 しかし、ソフィアには想像しかできない。オスカーの立場ではないのだから、オスカーの苦しみはわからない。カタリナ様もぽつりぽつり話をしてくれるが、ソフィアには聞くことしかできない。

 カタリナ様の苦しみは、カタリナ様自身が一番よくわかっていると思った。


 そしてソフィアはオスカーをカタリナ様の部屋へ案内した。

 オスカーとカタリナ様は二人になると、まだ空気はぎこちない。オスカーもカタリナ様にどう接すればいいのか迷っているようだった。


 カタリナ様は、過去のことをソフィアには懺悔(ざんげ)していた。自分の苦しさのあまり、オスカーに当たってしまったこと。そして、怒りや恐怖からソフィアにも辛くあたってしまったこと。

 自分の立場になるソフィアを思うと、婚約に賛成できなかったこと。カタリナ様の苦しみが少ない言葉から伝わってきた。

 

「カタリナ様、オスカー様がいらしてくれました」


  ソフィアはカタリナ様がいる客間の扉をノックした。そしてそっと扉を開ける。

 カタリナ様は窓の外を眺めていた。

 ベッドにいることが多く、一日を寝て過ごしていることが多い。カタリナ様は疲れがたまっていたようで、泥のように眠り込んだ。

 お昼ごろに目を覚まし、ゆっくりとブランチをとる。日の光を浴びながら、本を読んだり、じっと外の風景を眺めている。


「ソフィア……、オスカーも来てくれたのね」


 ソフィアの背後にいるオスカーに気がついたカタリナ様は、特に表情をかえることなく頷いた。

 オスカーがベッドの傍にある椅子に腰をかけ調子はどうかと話しかけた。

 二人の様子を見守っていると、扉がノックされた。珍しいこともあるものだ。

 扉をソフィアが開けると、花をいっぱいにかかえたソフィアの父がいた。


「お父様!素敵なお花。どうしたの?」


「王都に花を出荷している農家の人に頂いたんだ。綺麗だろう」


 優美で、すがすがしい美しさの白い花。大きな釣り鐘状の花びらが美しい。

 ふわっと華やかな色が部屋を彩った。

 それをカタリナ様に持って行く父。ベッド傍の花瓶に活けようと思ったらしい。父が丁寧に整えた花は、はじめからこの部屋にあったようにしっくりきた。


「美しいです、フレデリック様ありがとうございます」


「花を見ると心が穏やかになりますよね。カタリナ様もどうか美しいものをたくさんみてください。きっとそれが一番のクスリになると思います」


「そうでしょうか……」


「わたしも王都から来た身ですので、こちらにいると癒されることが多いです。土地は広くて食べ物も美味しい。自然も豊か。朝夕の太陽の動きも感動的です。人間らしくいられる時間があるのがいいですね」


「王都にいるときは、確かに空が明るくても暗くても、気にしたことがなかったかもしれません」


「王都はいろんなことが複雑で、毎日当たり前のことを感じられなく時間が過ぎてしまいました。わたしには王都の時間が合わなかったのかもしれません」


「フレデリック様のような優しい夫と、素敵なビアンカ様はわたしの憧れでした。二人のような夫婦になりたいとずっと思っていたのです。素敵な時間が二人には流れている気がして」


「ビアンカには苦労をさせてしまっていますよ。彼女の強さにはずっと助けられています」


「ビアンカ様はこちらに来ることに反対はなかったのですか?」


「はい。結婚するときに、もしかしたらこちらに戻ってくるかもしれないと言っていました。貴族の位もなくなるかもしれない。だから最初は結婚できないとビアンカに言ったのです。彼女には苦労をかけるとわかっていましたからね」


 ソフィアはカタリナ様と父の話を聞いていて驚いた。

 父と母のなれそめなど、人づてでしか聞いたことがなかった。ソフィアにはずっと父と母は同じ思いだから、ここまで一緒にいられたのだと思っていた。


「ビアンカ様が……?大変なお覚悟ですわ」


「ええ、わたしはビアンカにかないません。でも彼女のおかげで、わたしはすばらしい人生を送れています。もちろん喧嘩もありますよ。でも話し合いを忘れないです。お互い我慢することもあるでしょうけれど」


 カタリナ様は父とじっくり話しこんだ。そして父と話したカタリナ様は、すっきりした顔をしたようだった。


 父は人を癒す力でもあるだろうか。

 父の手は緑の指のようだ。植物たちが元気になり、ぐんぐん育つ。もしかして人間にも効果があるのかもしれない。


「わたし、強くならなくてはなりませんね。いまさらなことが多すぎるのでしょうけれど」


「一人で強くなるのは辛いことが多いです。みんなでカタリナ様をお支えしますよ。もちろんオスカーくんも。カタリナ様の頼れる息子さんじゃないですか」


「ありがとう…、ございます」


 ハラハラと涙を流して頭を下げるカタリナ様。

 そんな様子をソフィアとオスカーは見守った。ソフィアはオスカーを見ると、少しだけオスカーの目が涙でにじんでいるような気がした。


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