第11話 彼の噂、伝説の人 1
「え……、オスカー様が?どうしたの?」
夕飯のあと、双子たちを自室へ向かわせた。寝る支度をさせるためだ。
そして夕飯の片付けをしながら、仕事が終わった母・ビアンカの話を聞いた。
母は家族のなかで、唯一貴族と今でも接点がある。
最近、貴族のなかで話題にのぼる人物。それがオスカーなのだそうだ。母の話を聞きながら、ソフィアは食器を片付けていた。
「そうなの。オスカーという名前を聞いて、まさかあのオスカーのことだって気がつくのが遅くなってしまったわ。だって、まるで別人なのよ」
「別人?」
母は、今日も貴族のご令嬢たちに歌を教えに行っていた。
母は楽器もいくつか得意である。母の歌や演奏を聴きたいと、大人気の講師業は日々予約でいっぱいである。
母も人の前にでるのは嫌いではないらしく、ご婦人たちとの歓談を楽しんでいるようだ。
「ええ、遠目で見た限りだったけれど。随分男の人らしくなったわ。前は、育ちのいいお坊ちゃん風ではあったけれど。垢抜けなくて、お母様の趣味のような服を着ていたじゃない。髪型も、服装もかわってしまったの」
「オスカー様が。確かに見た目はいいのだけれど、服にはこだわりはなかったみたいだったわね。おしゃれに目覚めたのかしら」
「もともと優秀ではあったでしょう?女性に対しても紳士だし、ソツがない振る舞いだから目立ってはいなかっただけでしょうね。最近、ご婦人たちのサロンではオスカーの思い人について話題になっているのよ」
「まあ、思い人?恋をすれば、人間かわるのかしら」
しばらく姿を見せないオスカー。
やはり貴族には貴族にあった恋があるのだ。あれだけ熱烈にせまってきたのに、あっさりと心は変わる。
オスカーは本気ではなかったのだとソフィアは思った。
だが、一方で安心もしていた。身分違いで、格も違う相手と並ぶ必要もない。
「オスカー様に好きな人ができたのは嬉しいことだわ。婚約も解消してよかったわ。やっぱり政略結婚は気が進まなかったから」
「母様は、オスカーでもよかったと思っていたのよ。あの子は、ソフィアを大切にしてくれていたでしょう?確かに政略結婚は、わたしも好きではなかったけれど……。お祖父様たちも無理にはさせるつもりはなかったようだから……」
「え……?」
「まあ、過ぎたことだわ。わたしはオスカーにもソフィアにも幸せになってほしいなと思っているわ。オスカーだって小さな頃から知っているから、まるで他人という感じはしないのよ」
母が先を濁した言葉が気になった。
だが、確かに過ぎたことを言っても仕方ない。
ソフィアも新しい生活が始まったのだし、オスカーだって新しい生活があるのだろう。
ソフィアは、昼間作ったタルトと、叔父さんがお土産でくれたフレーバーティーを母にだした。母は仕事の疲れもあって甘いものに小さな声をあげる。
ソフィアはそんな母を見て笑顔でフォークを置いた。
*******
「オットーさんも?」
次の日、いつものように大通り裏の店にきた。
オットーさんと仕事の打ち合わせをしたのち、最近話題になっていることについて話をしていた。
するとオットーさんからもオスカーの話を聞いた。
最近、大通りを通るとご令嬢たちが黄色い声をあげる。それがオスカーなのだという。
オスカーは大通りの店を何軒か持っていて、自ら店に足を運ぶこともあるという。すると大通りに姿を見せる。その姿がかっこいいと話題になっているのだ。
「わたしもびっくりしたのよ。あの野暮ったいオスカーがよ?一回り大きく見えるの。確かに体格は悪くなかったのだけれど、いつもワンサイズ大きめな服を着ていたじゃない?しかも体にフィットしてないから、服に着られている感じで。よっぽど彼の仕立屋のセンスが悪いなと思っていたのだけれど、それがもう見る影もなくて」
「そんなに違うの?服だけでそんなに変わるのかしら」
「服を作っている人が何言っているのよ。服で印象はかわるでしょう?でも、あれだけ似合わない服を着ていたのだから……今思うとわざとやっていたとも思えるわ」
「そうなのかしら……」
ソフィアはオスカーの服について、考えたことがなかった。確かにサイズなどはあっていないとは思っていたが、自分が口を出すことはできない。
オスカーは母親のいうことに従っていたので、母親に買ってもらった服を着ているのではないかと思っていたのだ。意見できるほどの仲ではなかった。
「でも、自分で着たい服もあったのかもしれないでしょう?もういいじゃない、オスカーのことなんて。最近、オスカーの話題ばかりで少し飽きちゃった」
「あら、そんなにオスカーのこと聞くの?」
「ええ、お母様から貴族のご婦人たちの注目の的だってね。キキとココもオスカーが遊びにこないかってわたしに聞くのよ。もう、関係ない人なのに」
「あらあら」
オットーは意味ありげに笑ったが、何も言わなかった。
ソフィアはオットーに意味する表情がよくわからなく、首を傾げた。オットーはそれ以上何も言うことなく、いつもの通り展示する洋服の打ち合わせをした。
ソフィアは話が終わると、自宅に帰るべく大通りを歩いて行った。
「あら、人だかりだわ」
ソフィアは、大通りにある宝石店に人が集まっているのを見かけた。貴族の馬車がとまっていているようだった。
あの店は、確か最近オーナーがかわったと聞いた気がする。誰がオーナーになったかは聞かなかったが、新しいオーナーは貴族なのかもしれない。
すると、馬車から男が降りた。ひどく男前の貴族の男性だった。
貴族で最近はやっている襟足が短い髪。そして彼は金髪である。意志の強そうな瞳で真っ直ぐ前を見ている。着ている服装は、貴族が好むきらびやかな衣装ではなかった。
シンプルだけれど、質のよい生地だと遠目で見てもわかる。
「あの服、すごい」
ソフィアは尊敬しているデザイナーがいる。ソフィアが目指している、ドレスと作業着の中間の服。機能性を重視しながらも、シルエットが綺麗で、無駄をそぎ落としたシンプルで究極の引き算を意識した服。
そう、彼が着ているのはソフィアが憧れているデザイナーの服である。
「あの、服見てみたい」
うっとりとソフィアは服を見入ってしまう。確かに着ている人も素敵だし、服も似合っている。
たまには目の保養もいいものである。ソフィアはつかの間の幸せを噛みしめながら、自宅に帰っていった。
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