第35歩 共闘

『ガァルルグゥァァア』


 レッドグリズリーの咆哮ほうこうが、樹々が激しく薙ぎ倒されていく音と共振する。


 怒りや憎しみよりたちの悪い、狩りを楽しんでいるかのような声色。

 その咆哮の色が森を染め上げ、樹々を震わせる。


 少しでも気を抜くと、後退あとずさりしそうになる。逃げてしまいたくなる。

 そんな人族の生存本能を刺激する咆哮に、ソラはダガーで自身の頬を傷付けることで無理矢理に恐怖を掻き消した。


 その咆哮は、レッドグリズリーという存在は。

 それほどまでに、真が決まったソラの心をも震わせてしまうほどに、力量差のある相手。


 ―― それでも…。


    僕はバーダントベアの突進でさえ、ザックのように止めることができない。

    それでも……。


    僕はレッドグリズリーを止める。――


 ソラはライガーに先行して走り始めると、自分が先手を取るんだという意志を込め直し、レッドグリズリーへと相対した。

 草木を抜け、全貌をあらわにするレッドグリズリー。


 レッドグリズリーと比べれば、バーダントベアが痩せこけた瀕死の熊のようにすら思えてくる程の体躯。

 その体躯目掛けてソラは利き手左手の小太刀で斬り掛かった。


 それに対するは、レッドグリズリーの薙ぎ払い。

 いや、レッドグリズリーにとっては羽虫を相手にする程度の只の払いだったかもしれない。


 しかし、そんな只の払いでも、ソラにとっては重た過ぎる一撃。

 小太刀ごと腕を払われたソラの全身が、後方へと飛ばされる。


「グラァァア」


 間髪入れず、ライガーがレッドグリズリーの背後から背中へと渾身の力でみついた。


 しかし、幼体の牙は強靭な毛皮にはばまれ、体躯を素早く転回させたレッドグリズリーにいとも簡単に振り払われてしまった。


 どれだけ正攻法で攻め続けても、攻撃の通らない相手。

 しかし、そんなのははなから承知の上。


 レッドグリズリーに払われること三度みたび

 樹々に叩きつけられる度に全身が悲鳴を上げる。

 地面を削りながら吹っ飛ばされる度に表皮が血を滲ませる。


 地面に這い蹲って戦うソラの全身は、既に自身で付けた頬の傷さえ判らなくなる程にボロボロで。

 でも、それでも。ソラは小太刀を振るい続ける。


 そして、ソラの四度目の斬り掛かりが、払われて空を斬った。

 それまでの三度と全く同じ過程。しかし、結果が同じとは限らない。


 ソラは、レッドグリズリーに払われた反動を自身の膂力りょりょくに上乗せしてからだを回転させ。

 右手のダガーをレッドグリズリーの爪先へと投擲とうてきした。

 

 訓練ではバーダントベアに弾かれた一投。

 しかし、その教訓がソラの狙いを変えさせた。


『ガグギァァアアアアア!!』


 爪先に深々と刺さるダガーに、レッドグリズリーは狂奔きょうほんした。


 羽虫如きに傷付けられ、傷みをいられる屈辱。

 狩りの楽しみに消されていた魔物の殺戮本能が沸々ふつふつと湧き上がる。


 二足で立ち止まっていたレッドグリズリーの前足が地に着く。

 と同時に、地面が抉り消えた。


 そんなレッドグリズリーの敏速な初動に、まだ体勢の整っていないソラが対応できるはずもなく。


「ぐっ、」


 レッドグリズリーの突進を小太刀で逸らそうとするも適わず。


「かはッッ…」


 ソラは後方上空へと吹っ飛ばされた。


 落下場所には折れた若木わかぎ。ソラは受けた衝撃の大きさによって受け身が取れる状態になく。

 ソラの腹部を若木が貫く……その寸前。

 若木に触れるか触れないかのところで、ライガーがソラを咥えて自身の背に乗せた。


「ありが、とう」


 まだ息を整えられていないソラがライガーに言う。


「うん…大丈夫。まだやれる。やってやろう!」


 ライガーと会話するように背の上でそう口にしたソラは、そのままライガーの首筋にまたがる。すると、ライガーはソラを乗せて場所を移るように後退した。


 しかし、後退するライガー以上の速さで接近してくるレッドグリズリー。

 その第二新界の魔物は、ライガーも自分も速さだけは負けないとたかを括っていたソラの想定を大きく上回ってきた。


 それでも三度の薙ぎ払いをギリギリで回避してみせたライガーは、レッドグリズリーを中心に広範囲の電撃でんげきを放った。


 【雷撃らいげき】。

 ウルフ種とライガー種を隔てるこの魔法が、ライガーのひたいつのから発せられるこの雷魔法こそが、ライガーを雷牙ライガーたらしめる所以ゆえん


 広範囲の雷撃らいげきは効果は薄いも、目眩めくらましにはなる。

 雷撃の光と痺れに便乗し、ソラとライガーは森へと姿を消した。


 ソラとライガーのその行動に、自身を焚き付けておいて逃走する二匹の羽虫に、レッドグリズリーは激怒した。


 怒りそのままに巨木を引き抜き振り回すレッドグリズリー。

 レッドグリズリー周辺の若木が倒され、見る見るうちに森の樹々に閉ざされていた視界が広がっていく。


『ガルグァァアアアアアア』


 隠れている場所は魔力で分かっている、掛かってこいと言わんばかりに、一点を見据え怒りの咆哮を上げるレッドグリズリー。

 

 そして、その視線の先から放たれる雷撃。

 レッドグリズリーはわずらわしいとばかりにその雷撃を巨木で受ける。


 一撃、二撃。

 今度は広範囲ではなく命を刈り取る為にレッドグリズリーの頭部に狙いを絞った全力の雷撃。


 しかし、一回り大きくなったとはいえ、幼体の魔力では巨木を焦がすので精いっぱいの威力だった。


 それでも草陰から放たれ続ける雷撃に、痺れを切らしたレッドグリズリーは、巨木を臆病おくびょうなな敵に向かって投擲とうてきした。


 しかし、それでも放たれる雷撃。

 レッドグリズリー当然のようにけてしのぐ。


 はずだった。


 背後にいるはずのない、魔力の全く感じないソラがいなければ。


 ライガーによって放たれ、レッドグリズリーに避けられた雷撃は、レッドグリズリーの背後に迫っていたソラの小太刀へと直撃。


 しかし、それによってソラが絶命することも感電することもなく。

 雷撃は小太刀の刀身に収束していく。


 断魔水。魔力を断つ水。それを全身に被ったソラへは魔力が通らず。

 行き場を失った雷撃は小太刀の刀身へと収束した。


 そして、魔力を断たれているがゆえに、ソラの存在に気付くのが遅れたレッドグリズリーの頸椎へと、雷撃の滞留した小太刀が刺し込まれた。


「とどけぇーーー!!」

『ガグギァァアアアアア!!』


行き場を失っていた雷撃がレッドグリズリーの体内で発散し。


  パキッ


その乾いた音と共に、レッドグリズリーの魔石は砕かれた。

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