第十四章 ベルクレス
第十四章 ベルクレス(1)苦痛でしかない記憶でも、ぼくにはあれしかない
光の筋が、泳いでいる。
優しい日の光の中に、身体が浮かんでいるように感じる。
ゆらゆらと揺れる光の中で、ぼくは目を覚ました。
ここはどこだろう? 天国だろうか?
スズランに宇宙船で轢かれて、爆発四散しても奇跡的に生き残り、そこから色々なことが始まったというのに。
結局、なんだか、あっけない最期だった気がする。自分でも、どうやって死んだのか、はっきりと思い出せない。
……光の向こうに、ぼくの過去が見える。そろそろ、自分の人生の総括の時間なんだろうか。
かつてぼくは、人から認められたかった。他の人とは違って、尊重する価値のある人間だと思われたかったんだ。
けれど、一方でぼくは、何に対しても情熱を持てずにいた。だから、人よりも努力するということもできなかったし、稀にそんな気持ちになったとしても、長続きなんてしなかった。
だからぼくは、自分の陥った状況をどうにかする前に、こう考えるようになった。
“あいつは生まれつき才能があったんだ。あいつはコネで昇進したんだ。あいつは立派な肩書きがあるからだ――”。
それにひきかえ、ぼくは何も持たないのに、人からバカにされながらも、頑張っているじゃないか。それは、恵まれた連中よりも偉いってことじゃないか。
ぼくは、ぼくよりも前に進んで行く人々を背中を見ては、うらやみ、妬み、そして軽蔑した。
ぼくは、ぼくよりも歩みの遅い人々を振り返っては、嘲笑い、見下し、そして軽蔑した。
複雑な、どす黒い感情をずっと抱えて生きてきた。
それが、あのとき一度、死ぬまでのぼくの姿だ。
新しい世界に生まれ直してから、全てが一変した。
美しい容姿、優れた能力、そして立派な肩書き。
かつて欲しかったものすべてが、ここでは手に入った。
ここでは、みんなが大事にしてくれる。みんなが頼りにしてくれる。みんなが尊敬してくれる。
死んで生まれ変わっただけで、何もかもが変わったんだ。この世の春だ。ぼくはもう、取るに足らない人間なんかじゃない。満たされているはずだ。
なのに、違った。本当に努力を重ねている人たちは、何もかもが違ったんだ。
―― ネージュ。
彼女はレクトリヴ能力者として周りを圧倒していた。組織の中でも立派な肩書きがあり、集団のリーダーだった。
彼女こそ、かつてのぼくが羨んでたまらなかったような人物だ。
だけど彼女は、現状に満足していなかった。彼女の力で、どうしたら人々を救えるのか、世の中から理不尽をなくせるのかと苦悩していた。
しかも彼女はまるっきり恵まれた出自というわけでもなかった。彼女は戦禍のなかで両親を失い、祖父とは生き別れ、洗脳されてギデス大煌王国の戦闘員になった。
そんな彼女が、自分自身ではなく、他人のためになることばかりを考えているのだ。ぼくなんかとは根本的に違うとしか言いようがない。
――スズラン。
彼女は一度の過ちで、ぼくを宇宙船で轢き殺してしまった。そしてそのあとは、奇跡的に生き返ったぼくのために、命をかけて守ってくれると誓った。
けれども、彼女の本当の姿は、有能で、度胸があり、全人類のための幸福の国――「あたしの国」を作りたいと宣言するような野心家だ。
スズランは、もし、「ぼくの命」と「全人類の幸福の国」とが天秤にかけられたとしたら、迷わずぼくの命を選ぶだろう。
たった一度の過ちのために、彼女は全人類への貢献を捨てることまで考えている。つまるところ、ぼくは彼女にとって足かせであり、かけがえのない存在なのだ。
ぼくは光の中を泳ぎ、奥へと進んでいく。
そこには、黒づくめのヴァルクライがいた。
「なんだあ、貴様も死んだのか?」
さあ、どうだろう。ぼくには、今ひとつ自信が持てない。
「俺は、畏れられたかった。俺は、敬服されたかった。俺は、認められたかった」
そうだ。ぼくは認められたかった。
「俺は、独りになりたくなかった。人から相手にされたかった。寂しかったんだ」
わかるよ。ぼくもそうだ。
「だから、俺は気に入らない奴を全部殺したかった。俺を侮辱するやつ、俺を軽んじるやつ、俺を怖がるやつ、俺を独りにするやつ――」
いいや、それは本心じゃないはずだ。
「そうだ。俺は、独りになりたくなかった。誰かと一緒がよかった。誰かと一緒にいたかったんだよ……」
死にゆくヴァルクライの嘆きが、光の中に響き渡った。やつの姿はもうそこにない。
天に召されたか、あるいは地獄に落ちたか。
ぼくはこの得体の知れない光の空間を、さらに奥へ、奥へと進んでいった。
◇◇◇
光の球が、ぼくを呼んでいた。
光の中を泳いで近づいてみると、光の球はぼくに語り始めた。
『ようやく意識を取り戻したようだな、ユウキ』
この場所では、音は残響ばかりを伴って、かなり聞き取りにくい。
「誰?」
『あー、俺だ。ザネリウスだ』
「ザン!」
見知った人物の呼びかけに、ぼくは嬉しくなる。
『思った通り、そこでなら、お前は存在できるみたいだ』
「思った通りって、ここはどこ?」
『マルス・レコードの中だ』
マルス・レコード――それは惑星マルスを覆う銀色の計算機構造物の総称だ。そんなものの中にぼくがいることの理由に、見当がつかない。
「どういうこと?」
『……それを話すには、少し長くなる。俺はあのとき地面に捨てられたお前を拾って、マルス・レコードに繋げたんだ。幸い、踏まれたりはしていないから損傷はなくて――』
ザネリウスの説明はいきなり要領を得ない。地面に捨てられた? 拾った? マルス・レコードに繋げた?
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
『なんだよ』
「捨てられたとか拾ったとかどういうこと? 最初から全然わからないよ」
『ああー、うん』
ザネリウスはしばらくの間、黙り込む。そして、核心の話をする。
『ユウキ、お前は人工人格だったんだよ。お前の身体の本当の持ち主の代わりに、身体を動かすためのな』
「人工、人格――?」
『ギデス大煌王国の連中は、惑星マルスを去るときに、人工人格であるお前をユウキの身体から取り外して、捨てていったんだ。よもや、俺がこうしてお前を取り扱えるなんて思いもしなかったんだろうが』
ぼくは、人間ではなかった? そして、つくられた人格に過ぎなかった? ……そうであれば、疑問がわいてくる。
「じゃあ、ぼくの記憶は一体なんだったんだ? 人を妬んで、羨んで、努力もせずに認められたいと願っていた、あの記憶は――」
『おそらく、人工人格に最初にセットされたデフォルトの記憶ってとこだろうな。お前がもし、ギデス大煌王国につくられたんだとするなら、ギデスの誰かが埋め込んだ、存在しない偽物の記憶だ』
偽物の記憶。
あの苦難に満ちた人生、どす黒い感情に支配された鈍色の青春が、すべてつくられたものだったなんて。
あんな苦痛でしかない記憶でも、ぼくにはあれしかない。そう思うと、凡庸な人間であったときのことが急に愛おしく思えてくる。あんなに苦しく、あんなにも辛い記憶だったというのに。
もし、その記憶が一切合切すべて嘘なんだとしたら、ぼくはどこから来たというんだ?
ぼくは一体、何者なんだ?
「ぼくの最初の記憶は、肩書と、能力さえあれば幸福になれると言っていたんだ」
『……ああ』
「それがどうだ。いまは、肩書や能力どころか、身体さえもなくなってしまったんだ! おまけに頭脳は人工人格! なんだそれ!」
ぼくは大声で笑い出した。人の持っている些細なものに嫉妬していた自分が馬鹿らしい。ぼくにはなにもない。本当に、笑えてしまうほどに、なにもないのだから。
『ユウキよ』今度はタケシマ老人の声が聞こえる。『お前さんがここで目を覚ましたのも、まだ仕事が残っているからじゃ』
「仕事……?」
『スズランたちは、まだ戦っておる。最後の戦いじゃ。あやつらは、お前さんを取り返そうと、ギデス大煌王国の本拠地へと乗り込んだわい。今頃、お前さんの身体はお前さんのものではないと知って、辛い思いをしておる頃じゃろう』
タケシマ老人の言うことが、素直に理解できた。スズランたちなら、ぼくが誘拐されたと思ったら助けに行くだろう。けれど、ぼくを助けるのには、絶対に失敗したはずだ。だって、ぼくはここにいるんだから。
今度は、キツネのブニの声がする。
『みんながユウキのことをまってる。わかるね?』
わかるよ。スズランは、ネージュは、ゴールデン司令は、ランナ博士は、カイは、リッジバックは――みんなは、ぼくの帰りを待ってくれている。
『さいごのたたかいが、なんのためのたたかいか、わかるね?』
わかるよ。ギデス大煌王国との決着、ミューとの決着、そして、ぼくの身体の本当の持ち主――すべての黒幕と決着をつけるための戦いだ。
『ユウキにはいま、ほんとうのじしんがある。そうだね?』
その通りだ。ぼくには結局、人間として生きた過去はない。人間の脳もなければ人間の身体もない。笑えるほどのないないづくしだ。
でも、ぼくには、ぼくであることの自信がある。
『じゃあ、ユウキ、行くんだ。その先へ。マルス・レコードの深層へ』
ザネリウスの声に、ぼくは深くうなずく。ずっとずっと、奥深くにへ行こう。誰も見たことのない、マルス・レコードの最深部へ――。
◇◇◇
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