第十三章 エルツェンゲル(6)なにも違わないのかもしれない、けれど

「なっ……!?」


 スズランは自分の耳を疑った。全人類に、生まれ直してもらう――だって?


 ダ=ティ=ユーラはミューの頭を撫でながら、彼の思い描く理想の人類宇宙について述べる。


「いまの人類では、外宇宙の侵略者に対抗するのは不可能だ。それに、将来の人類でも、人類以上の早さで進歩する文明にはいずれ滅ぼされる。であれば――」


「お、おい、お前……」


「であれば、全人類が、もともと一個体ずつ、強大な力を持つ種族であったことにすればいい。それが、強い帝国をつくる以上の解法だ」


「全人類を強い個体にするだなんて、いったい、どうやって……」


「きみたち人類には、マルス・レコードという便利な装置があるじゃないか。旧人類が戦争のために建設したあの装置が、この計画に活用できるんだよ」


「まさか、そのためにミューをマルスの巫女にしたのか?」


 叫ぶようなスズランの声に、ダ=ティ=ユーラはただ静かにうなずく。


「マルス・レコードは人類の版図に限り、現象を思いのままに書き換える計算機構造物だ。いま、ミューはマルス・レコードの力を最大にまで引き出すことができる。おれとミューはその力を使って、全人類がもともとレクトリヴ能力者だったという世界をつくる」


「いや、そんなばかな。いくらマルスの巫女でも、そんなことまでは……」


「おれとミューは、マルス・レコードを使って、時をさかのぼって人類の祖先にレクトリヴ能力者の因子を埋め込む。埋め込むのはミューの強力な因子だ。いうなれば、全人類がミューの息子・娘になるということだ」


 ダ=ティ=ユーラが語っている間、ミューは黙って彼の膝の上に頬を乗せ、しなだれかかっていた。というよりもむしろ、そこで落ち着いてくつろいでいるかのようだ。


 ダ=ティ=ユーラは、ギデス大煌王という男による人類宇宙の統一という選択肢を捨て、ミューという女による全人類の産み直しを選んだというのだ。


 その事業のために、ダ=ティ=ユーラはスズランをパートナーとして勧誘してきた。彼女に、従姉であるミューの胎を利用して新秩序を創造する事業に参加しろというわけだ。


 そんなことに同意できるだろうか。


「お断りだ。それは人類が人類でないものになってしまうということだ。それに、ミューを使ってそんなことをやるなんて、あたしには認められない」


「人類でないもの、か」ダ=ティ=ユーラは挑戦的に笑う。「であれば、きみはミューを、ユウキを、人間でないものと考えていたのかな?」


「それは……」


 反論がすぐにできない。スズランはミューやユウキを人間ではないと考えたことなど一度もないからだ。


 ここへきて、ようやくミューが言葉を発する。


「スズラン、私はこれを心の底から望んでいるのよ。私はダ=ティ=ユーラを信じている。だから、信じている人の望むものを叶えてあげたいのよ」


「ミュー、でも、こいつは、ミューを利用しようとしているんだ」


「ちがうの。私はダ=ティ=ユーラ――かみさまとともに行きたい。それを彼は叶えてくれるの。これで、私も人類のかみさまになるの。彼の望みを叶えることで、私の望みも叶うの」


「そんな……」


 そんなのおかしい、とスズランは言いたかった。けれど、そう言い切れるだろうか。


 規模が大きすぎるだけで、ミューの理屈はきわめて素朴だ。誰だって、好きな人の願いは叶えたいし、願いを叶えることで自分も満たされるものではないのか。


 けれど、一方で、スズランには、ダ=ティ=ユーラとミューに手を貸すと答えることもできなかった。


 それは、人類がいまの人類であるという、そのありかたを否定することだからだ。


 しかし、ユウキやミュー、リッジバックやネージュなどのレクトリヴ能力者が人類ではないのかというと、決してそんなことはない。


 人類ってなんなんだ?


 あたしの望む幸福の国と、ダ=ティ=ユーラの目指す幸福の国――いったいなにが違うというのだろう。


 なにも違わないのかもしれない、けれど。


「あたしはやっぱり、あんたたちのやり方は認められない。……あたしはそこまで傲慢にはなれない」


 スズランの宣言にも似た発言を聞いて、ダ=ティ=ユーラは高笑いを始める。


「ははは、傲慢、ね。全人類を導き、幸福の国を建設するという願いを持つもの同士――傲慢なもの同士と思っていたが、相容れないようだね」


 ダ=ティ=ユーラが椅子からおもむろに立ち上がる。ミューは彼の脚に取りすがっている。


 交渉が決裂したということは、すなわち、宣戦布告がなされたということだ。スズランとリッジバックはこれから、どこともしれない宇宙の深いところで生まれた、この超常の存在と雌雄を決する必要があるということだ。


 スズランもリッジバックも戦闘態勢をとる。


 決戦だ。こんな決戦を迎えるには、あまりにも準備が足りていないけれども――。


 ◇◇◇


 そんなとき、窓の外に一隻の航宙艇が迫ってきた。航宙艇には巨大な主砲を据え付けてある。


『ぶっ殺しに来たぜェ! 貴様らァァァ!』


 窓の外の航宙艇から、通信音声が発され、最終要塞エルツェンゲルのフロア中に声が響き渡る。声の主――あの航宙艇に乗っている人物は、ヴァルクライだとすぐにわかった。


『さっき俺を攻撃しやがったのはどっちだ? ミューか? それとも……』


「おれだ」


 ダ=ティ=ユーラはヴァルクライの通信に答えた。主砲の先がダ=ティ=ユーラに向けられたが、彼は一切動じなかった。


『貴様がこのギデス大煌王国の真の支配者ってやつなのか? ……いや、貴様はユウキとかいう、統合宇宙政体のイヌなんじゃなかったのか? どうなってやがる』


「おれはダ=ティ=ユーラ。全人類を正しい方向に導く存在だ」


『なにを言っているのか全然わからねえなァ! それにしても貴様ら、仲良さそうにしやがってよォ!』


 おかしな話だ。いま、人類宇宙の命運を分かつ決戦をするところだというのに、ヴァルクライの目から見れば、それでも「仲が良さそう」に見えるというのだから。


『俺がこの世で一番憎くて愛しいミューを侍らせて、俺がこの世で一番見下していて目が離せないスズランと会話中ってわけかい。俺に全く効かないザコ火柱を浴びせた男も一緒にか!』


 ダ=ティ=ユーラは窓の外のヴァルクライの艦をまっすぐに見ていた。武器を向けようと、怒鳴りつけようと、彼にはそよ風が吹いているかのようだ。


『俺を瀕死にまでしたお前のせいだ! 俺を醜くしたお前のせいだ! 俺を理解してくれなかったお前のせいだ! 俺の肩を持ってくれなかったお前らのせいだ!!』


 ヴァルクライは主砲から三発、赤黒い球体を撃ち出す。そこではじめて、スズランにはその武器が『漆黒の法』であるということがわかった。


 ギデス大煌王国における最強の兵器――そして、この人類宇宙における最悪の大量破壊兵器、『漆黒の法』。そんなものを、ヴァルクライは自分の艦に搭載して、脅しているのだ。


 三発のうち一発は惑星オルガルムの街を吹き飛ばし、一発は最終要塞エルツェンゲルの下層部を吸い込んで消滅させ、もう一発はあらぬ方向へ、宇宙の彼方へと消えていった。


『馬鹿にしやがって! 馬鹿にしやがって! 俺のことを馬鹿にするなァァァ!!』


 要塞が強烈な衝撃に見舞われる。


 スズランは立っていられず、床に両手両膝をついた。リッジバックはサイボーグだからか、要塞が傾いてもその場にしっかりと立っていた。ダ=ティ=ユーラとミューは微塵も動いていない。


『俺は独りなのか! 俺だけが独りなのか! お前らなら俺のことが解ると思ったのに! お前らばっかりだ! お前らばっかり、互いに解り合って仲良しごっこをして……、なのになんで俺は除け者なんだ!』


 さらにもう一発、『漆黒の法』が撃ち出される。それはエルツェンゲルの最上層をかすめ、背後の都市を飲み込んだ。あとには円形のクレーターだけが残った。


『俺は独りでいい! 俺はお前らとは違うんだ! 俺こそが孤高、俺こそが至高! 頂点にいるのはひとりでいい! 俺は捕食者、貴様らは俺のエサだ! 貴様らザコに、俺の気持ちが解ってたまるか!』


 またも一発、『漆黒の法』が撃ち出され、再度エルツェンゲルの根元――惑星オルガルムの大地に直撃した。当たったのが下層だったのが幸いしたが、最終要塞エルツェンゲルはこれで、土台を完全に喪失した。


『俺は独りになんかなりたくない! 俺は理解されたかったんだ! 俺は、褒められたかったんだ! 俺の気持ちをわかってほしかったんだ! 俺は誰かと一緒にいたかったんだ!!』


「可哀相なやつ」


 ダ=ティ=ユーラは窓の外のヴァルクライの艦に向けて、片手を差し出した。彼の知覚が、艦を巻き込んでいく。


「どんな存在も死ぬときは独りだよ。……お前は、少なくとも、生まれるときには独りじゃなかった。その分、いくらかマシだったろう?」


 刹那、巨大な真空の刃がヴァルクライの艦を切り裂いた。一撃ではない。艦は一瞬のうちにいくつもの方向から切断され、そして圧し潰される。


 ヴァルクライは航宙艦と『漆黒の法』もろとも、破壊し尽くされ、惑星オルガルムの重力に引かれていった。


 ◇◇◇ 

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