第八章 天幻要塞・下(3)失われた記憶、残された記録
「う、裏切るのか、ネージュ中尉!」
ラーム中将の声がこだまする。中将の両足が凍り始め、彼はその場から動けなくなる。ネージュのレクトリヴ能力だ。
「私には、あなたが裏切ったように聞こえました」
「たわけ! 頭目が生きている限り負けはないのだ! つまり、私さえ生きていれば、この戦い、負けることはないのだ! それがなぜわからん?」
ネージュは深い溜息を吐く。銃口の先は、ずっとラーム中将の額を捉えている。
「ひとつきかせてください。中将、あなたは“ギデスによる宇宙平和”についてどうお考えですか?」
「なに? なんだ、こんなときに」
「ギデス大煌王の目指す宇宙平和のありかたです。中将はどう考えているのですか?」
「ギデス大煌王国はなるべくして宇宙を支配するのだ! 優れたもの、強いものが支配する権利を持っているのは当然のことだろう?」
「では、そこで生まれる不幸な者たちはどうするのです?」
「そんな連中、クズだからクズに相応しい人生があるだけだ! ギデス大煌王国には何も関係がない! そんなことより私を早く安全に本国へ移送しろ! 褒美は取らせる。だから……」
「それでは、私はあなたとともに歩むことはできません。残念ながら」
「や、やめろ……!」
引き金を引き絞る代わりに、ネージュはラーム中将を全身氷付けにした。彼は死んではいないだろうが、喋らなくなってしまった。
「ネージュ」
「これがザイアス要塞の戦いの結末だ。私は、今後の身の振りについて考える必要がありそうだ。……統合宇宙政体で即刻処刑などにならなければな」
「そんなことは、ぼくが絶対に阻止する。絶対に」
「……それは頼もしいな」
ネージュはかすかに笑った。
◇◇◇
惑星ザイアスを完全に制圧したぼくら――特務機関シータは、旗艦のリリウム・ツーがエージー、ビーエフを伴って、政府機能ステーション・ビシュバリクへ凱旋帰国することになった。
そのころ、惑星ザイアスと同じように、惑星シダルゴ、惑星アンダルシアのあたりも制圧を完了したといいう情報が届いてきた。勝利の知らせは、今後ますます増えるだろうという見通しだ。
リッジバックはリリウム・ツー艦内のラボで治療を受けていた。新しい腕と脚のパーツを付けるのだという。このあたりは、スズランが権力を使って強硬に押し通した。
リッジバックはギデス大煌王国の軍人だったけれども、元々は自分の知り合いであり、もはや統合宇宙軍を裏切る心配はないと言い切ったのだ。これで許されるのは、スズランだからだろう。
艦内の廊下を歩いていると、手錠を掛けられたネージュと出会った。彼女は特務機関シータの男性職員ふたりに両脇を抱えられている。だが、本来その程度の拘束は無意味だろうとは思う。
特務機関シータの職員のうちひとりが、ぼくに言う。
「ユウキさん、こいつは営倉から出されました。またもやスズラン少尉のはからいだそうです」
「そうか。やっぱりそうなると思ってたよ。……ここから先はどこへ?」
「司令室です。手続き上、司令の許可があってようやく釈放となりますので」
「そう。それならここから先はぼくが引き継ぐよ」
「いや、……われわれの仕事ですので」
「いいんだ。ネージュはぼくの知り合いなんだよ。だからまかせて」
「……了解いたしました」
職員ふたりはネージュの両腕を放し、ぼくに対して敬礼する。ぼくも軽く敬礼で応じると、ネージュに見えるように進行方向を指さす。
「司令室まではぼくが案内するよ。……きみがぼくたちのところに来てくれて良かった」
「ここまでのところ……丁重な扱いには感謝している。だが、今後、正直どうしたものかと思っているよ」
ぼくとネージュは、リリウム・ツー艦内の廊下を、司令室に向かって歩く。
「そうだろうね。ぼくでさえ、成り行きで統合宇宙軍・特務機関シータに入ってしまったけれど、いまだに変な気がするよ」
「あのスズランという子は、なかなか無茶をするようだな。私の釈放も本部に掛け合って通してしまったようだ。私が艦内で暴れるようだったらどうするつもりなんだろう」
「スズランは思い切りがいいんだ。思い切って、相手のふところに飛び込んでしまうんだ。……いつもびっくりさせられるけどね」
「興味深いな。一度話をしてみたいね」
まがりなりにもネージュは敵軍に捕まっている状況だというのに、落ち着いていて、表情はやわらかい。
◇◇◇
司令室の前に着いたぼくは、部屋の入口のビープを鳴らす。
少し待ってくれという声が聞こえ、ネージュと一緒に待ったのち、扉が開いたので入室した。
部屋の中では、ゴールデン司令が椅子に座ってデスクで仕事をしていた。
「ゴールデン司令、彼女がネージュです」
「話は聞いていおる。ラーム中将確保の際に協力してくれたそうじゃな――」
そう言いながら、椅子を回転させて向き直ったゴールデン司令は、彼女の姿を見て、絶句した。
「な――」
言葉を発せないゴールデン司令を相手に、ネージュはやや格式張った自己紹介をする。
「ギデス大煌王国、天幻部隊ネージュ隊隊長、ネージュ中尉です。丁重な取り扱いに感謝する」
「ユ――いや、まさか」
「司令、どうしたんです?」
司令の様子は明らかに、ネージュの姿を見てからおかしい。
「い、いや――」
部屋のビープが鳴る。
誰かがゴールデン司令の部屋に入ろうとしているのだろう。だが、いまは取り込み中だ。
またビープが鳴る。
もはや連打しているという感じだ。
渋々ながら、ゴールデン司令はデスク上のインターホンのボタンを押す。
「なんじゃ一体」
『司令、ランナです。急ぎの用です。開けてください』
「用事ならメッセージを送ってくれればそれでいい」
『そういうレベルの話ではないんです。これはすぐに直接お見せしないと』
あまりの押しの強さに、ゴールデン司令は仕方なく部屋のドアを解錠する。
ランナ博士は小走りに入室してきたが、部屋の中にぼくとネージュもいるのを見て、少し驚いたようだった。だが、ぼくたちには軽い会釈だけをして、博士は司令のほうへと近寄る。
「……司令、これを見て下さい。ネージュ中尉の遺伝情報が統合宇宙政体のデータバンクでヒットしまして、その該当者というのが……」
ランナ博士はタブレット端末をゴールデン司令に見せる。画面に何が表示されているのかは、ぼくのほうからは見えない。
「こ、これは……、やはり……」
「お気づきでしたか、司令」
「ひと目見て、まさかとは思ったが……」
ゴールデン司令の目から熱い涙がこぼれる。
いや、しかし、この展開はどういうことだろう。完全に、ぼくとネージュは放置されてしまっている感じがある。
だが、ゴールデン司令は泣きながら椅子から立つと、そのままぼくたちのほうへと歩いてきて――これにはさすがにぎょっとした――そして、ネージュの両手を取って膝をついた。
「よく無事でいてくれた……、ユキ……」
「え、えっと……」
この状況に、ネージュは表情でぼくに助けを求める。といって、ぼくにできることなんて何もない。
ゴールデン司令が感極まりすぎて何もしゃべれなくなってしまったので、ランナ博士が代わりに説明をしてくれる。
「ネージュ中尉、あなたは、ゴールデン司令の生き別れのお孫さんなのよ。遺伝データではっきりしたわ」
「えっ……」
たしか、ゴールデン司令は元々惑星ザイアスに住んでいて、五年前のギデス軍の侵略の際に統合宇宙政体へと亡命したのだと聞いたっけ。その際に一家が離散してしまったとのことだったけれども。
「こんなに大きくなって……。うおおおおおおおん」
ゴールデン司令が大変なことになってしまっている。
「一体どういう冗談なんだ。ここでの歓迎の作法はこんな感じなのか? えっ、冗談じゃない? えっ……」
◇◇◇
結局のところ、特務機関シータによる――もとい、ゴールデン司令によるネージュの熱烈歓迎は、不発に終わった。最後まで、ネージュを混乱させただけだったからだ。
事務的な話としては、ネージュの身柄の安全は保障されることになり、いまのところ確定はしていないが、追って特務機関シータによる管理下に入るという通達が届くだろうとのことだった。
ぼくとネージュはゴールデン司令の部屋をあとにした。
「驚いたね」
「ああ……」
ネージュの表情はまだ微妙な様子だ。ゴールデン司令の泣きながらの歓迎を、どう受け取っていいか戸惑っている。無理もない。
「でも」とネージュは呟く。「私は、何か、知っている気がするんだ。司令が言っていた、ユキという名前を……」
ぼくは、以前見たゴールデン司令の端末に十二歳程度の金髪の少女の写真があったことを思いだしていた。いま思えば、あの少女はネージュだったのだ。
あの端末のロックが『YUKI』の四文字で開いたのも、今なら意味がわかる。スズランはぼくの名前が鍵になっていると言っていたけれど、種明かしされてしまえばなんのことはない。あれは自分の孫の名前を鍵にしていただけだ。
「ユキにユウキか。なんの偶然だろう」
ぼくは笑ってしまった。
「……まあいい。ユウキ、艦内を案内してくれ。折角狭い営倉から出られたんだ。広いところに行きたい」
ネージュの申し出に、ぼくは応じる。
「わかった。じゃあ、まずはブリッジに行こうか。艦長――スズランにも会えると思うから」
廊下からブリッジに至るドアをくぐると、そこには多数の職員がいて、政府機能ステーション・ビシュバリクに向かう航路のための仕事をしていた。
スズランは艦長席に座り、オペレーターたちの仕事ぶりを見ていたけれど、ぼくたちふたりが近づいてきたのに気がついて、振り返った。
深い緑の艶髪に、一筋の白いメッシュ。青々とした山の谷間に咲く、スズランの花を思わせた。
「おかえり。それと、ようこそ、リリウム・ツーへ」
われらが艦長は、ぼくの帰還とネージュの乗艦を、ほっとするような笑顔で歓待してくれたのだった。
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