第七章 丘の上の屋敷(6)かみさま、待ってる

 ぼくとネージュは、ミューをどこか安全なところへ連れて行こうということで意見が一致した。


 識別票の修理の件からこっち、寄り道をしてばかりだが、この際だ。しっかり面倒を見ようと思う。


 ミューとの会話は非常に不安定だが、どこから来たか、本人にまず聞いてみるのが一番だろう。そういうことになって、とりあえず、ぼくが質問してみると、答えはこうだった。


「ミュー、丘の上のお庭にいたの」


「庭?」


「広いお庭。白いお家。ミュー、お庭、好き」


「庭って、どこの?」


「白いちょうちょも大好き」


 話は途端に通じなくなる。


 それっぽっちしかない手掛かりから、ネージュは仮説を立てる。


「きっと、アルマの丘の宮殿だろう」


「宮殿?」


「ああ。旧ザイアス共和国の大統領官邸だな。今では、迎賓館として使われているらしい。水辺のガーデンが絶景だと有名だ。このあたりでそれらしい場所といえば、そこだろう」


 なるほど。さすが、この惑星ザイアスに長く住んでいるだけのことはある。


 ところで、ネージュはいまでは、軍服のジャケットを脱ぎ捨ててしまった。こう何度も軍服が災いの種になるとなれば、軍人だとわからない格好になってしまったほうがいいだろう。彼女はいまや、上衣は紺色のタンクトップ一枚だ。


 ぼくたちは一度、アルマの丘方面に向かうバスに乗ろうとした。バスを待っている間はなにも問題もなかったのだけど、到着したバスに乗り込もうとした瞬間、ミューが騒ぎ始めた。


「いや! 狭いの! 怖い!」


 結局、バスには乗れずじまいだった。なので、ぼくたちは仕方なく歩くことにしたのだが、ミューは屋外でも、人通りの多いところでは怖がり、歩みが極端に遅くなった。


 ミューは実に色々なものを怖がるのだ。


 彼女はぼくやネージュが手渡した食べ物や飲み物を受け取れずによく空振りする。目がはっきりと見えていないのか、距離感覚が掴めていないのかはわからない。


 大きな音は怖がるし、ふらふらとしてまっすぐ歩けない。身体の色々な器官が弱いのだとは思うが、一方ではジャンク屋の店主にどれだけ殴られても平然としていたように、常識外れの頑丈さもある。


 いや、共通して言えるとしたら、視覚、聴覚、平衡感覚、そして痛覚のどれもが鈍かったり鋭敏すぎたり――要は適切なレベルでバランスが取れていないのだ。


 松葉杖をついてゆっくり歩きながら、ネージュはミューに問う。


「ミュー、きみは迎賓館――いや、白い家にずっといたのかい? あそこは長期間滞在できるような場所ではないと思うけど……」


「ずっといたの。けんきゅうじょ。狭いところ、怖いところ」


「研究所……? 惑星オルガルムにいたのかい?」


「オルガルム、しらない。狭いところから広いところ。お庭。小川。お魚」


 手掛かりがほとんどない。……いや、待て。狭いところから広いところに来たという証言は、意味がありそうだ。彼女は狭い場所を極端に嫌う。パニック症状を起こすほどだ。


 元々狭い場所にいたけれど、例によってパニックを起こし、そのため広い場所が確保できるアルマの丘の宮殿に移されてきたということだろうか。


 今度はぼくが、ミューに質問をする。


「白い家には知り合いがいるんですか? 誰か、面倒を見てくれるような人が」


「白い家。かぞく、いっぱい。レスミル、パルカ、アニモ、ヘーサ、……」


 ミューは人の名前らしいものを列挙していく。家族が? そんなにたくさんいるのだろうか。


 名前を列挙しながら、ふと、ミューは発言を止める。そして、ぼくを、そしてネージュを指さす。


 何かと思って、ぼくとネージュは顔を見合わせたが、どうやら名前を聞いているらしいと思い至った。


「ぼくはユウキ」


「私はネージュだ」


 ミューの表情が明るくなる。彼女は満面の笑みを浮かべた。


「ユウキ、ネージュ、かぞく」


 どうやら、ぼくたちはミューに受け入れられているらしい。それにしても、彼女のいう家族という言葉は、家族そのものを意味するのではないらしい。仲間、とか、味方くらいの意味なのだろう。


「ダ=ティ=ユーラはかみさま」


 突如として、ミューはここにいない誰かの名前を挙げた。唐突だったので、ネージュには、その名前が一回では聞き取れなかった。


「ダ=ティ……?」


「神様?」


「ダ=ティ=ユーラはかみさま」


 もういちど、はっきりとした発音で、ミューはそう言った。彼女は笑顔だ。


「ミュー、ダ=ティ=ユーラ、まってる。かみさま、まってる」


 彼女は何を言っているのだろう? わからない。彼女は「かぞく」の話をして、それから「かみさま」の話をした。「かみさま」の話は、彼女にとってそれだけ身近な話なのだろうか。


 ミューは、神様を、待っている……?


 ◇◇◇


 夕暮れ前に、ぼくたちはアルマの丘の宮殿にたどり着いた。


 宮殿の敷地は高い鉄柵で囲まれていて、背の高い門扉の前に、ブラスターライフルを担いだギデス軍人がふたり立っていた。


 ぼくらが近づくと、ギデス軍人たちは怒鳴るようにきいてきた。


「何だ! お前たちは!」


 これに対しては、ネージュが堂々と答える。


「私は天幻部隊所属、ネージュ中尉だ! 女性を保護してここへ来た」


「なにが中尉だ軍服もなく……。い、いえ、これは中尉どの!」


 近づくにつれて、ネージュに見覚えがあったのか、ギデス軍人たちは居住まいを正した。


「こちらの女性を保護した。確認してくれないか」


 ネージュは門を守っている軍人たちにそう言った。軍人たちは疑うような眼差しをミューに向けたが、その一瞬あとには驚きの声をあげていた。


「ミュー様!」


「なんということだ。こんなに汚れてしまって。すぐに連絡いたします!」


 ギデス軍人たちは門扉を開け、うちひとりが奥の迎賓館に向かって走って行った。通信機で連絡を取らないということは、まだギデスの側も通信妨害が掛かっているのだろう。


「ミュー“様”か……」


 ネージュはギデス軍人たちの驚きように圧倒されていた。


「もしかして、ミューさんって、貴族か何かなのかな?」


 ぼくはそうきいたが、ミューはただただ「うふふ」と笑って何も答えなかった。


 ◇◇◇


 ぼくたち三人は迎賓館の中へと通された。


 高い天井と豪華なシャンデリア、高くまで続く大階段のホールにつくと、ミューは風呂と着替えのためといってメイドたちに連れて行かれてしまった。


 さて、残ったぼくたちはどこへ連れて行かれるのだろうと思っていたら、唐突に、ギデス兵たち三人にライフルを突きつけられたのだった。


「え、な、何?」


「小僧、お前には統合宇宙軍の関係者という疑いが掛かっている。別室へ来い」


 困ったことにこの疑いは正当だ。ギデス大煌王国政府の施設にノコノコと入ってしまったのがまずいといえばまずい。


 だけど、それをネージュは制止した。


「お前たち、待て。彼女は私の友人だ。何をしている」


「いや、しかし、ネージュ様。この小僧は映像記録にある統合宇宙軍のスパイと似ておりまして……」


「その小僧というのをやめろ。“彼女”は私の友人だと言っているだろう。墜落した私の手当をしてくれた恩人だ」


「し、失礼いたしました!」


 ネージュが凄んでくれたおかげで、ギデス兵たち三人はライフルをぼくに向けるのをやめ、敬礼してからそそくさと去って行った。


「あ、ありがとう……」


「……こんなところで騒ぎを起こされてもかなわんからな。今回だけだ」


「それでも、助かるよ」


 ぼくが笑いかけると、ネージュは口を尖らせて視線を逸らし、頬を掻いた。


 ◇◇◇

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