データ・ロスト 〜未来宇宙戦争転生記

鷹来しぎ

第一章 シータ研究所

第一章 シータ研究所(1)一度殺してしまったんだ

 目を覚ましたとき、ぼくは清潔なベッドの上に横たわっていた。身体中に包帯が巻かれ、点滴――ではない謎のケーブルが右腕と左腕に何本も挿されている。


 幸いなことに、痛みはほとんどない。少し頭がぼんやりする程度だ。真っ白い天井だけを見ているのもつまらないので、身体を起こしてみることにした。


 すると、壁際の椅子から立ち上がり、ぼくのほうに小走りでやって来る人影が見えた。ややパンキッシュな衣装やメイクをした少女、女子高生くらいかなと思える。


「やっと、やっと起きた! ごめんな! ごめんなっ!」


 ぼくには、彼女がなぜ謝っているのか、さっぱり見当も付かない。しかし、奇抜な衣装とは裏腹に、彼女の目には涙が溜まっていて、一見してこの少女が心優しい子なのだということがわかった。


「な、ちゃんと見える? この指は何本?」


 少女は右手でピースサインをつくる。それくらいはすぐにわかる。


「二本」


「じゃ、じゃあさ、ここがどこかもわかる? お前が誰なのかも」


「ここは……病院? で、ぼくは南……南勇季(みなみ・ゆうき)……」


 その答えには、少女は、鼻をすすりながらも、小首をかしげた。ぼくは何か、回答を間違えただろうか。


「ここは、ケルティアのシータ研究所内の集中治療室だよ。病院に見えるのも無理はないけど。で、名前は……ユウキ。……ユウキで合ってるんだけど、ミナミってなんだ?」


 ぼくは、ユウキ……なのか? なんだか、記憶が混乱している気がする。ケルティア? シータ研究所? 聞いたことがない。それはなんだろう?


 ぼくの記憶の限りでは、ぼくは――


「ぼくは、軍を除籍になって、意気消沈していて、建設現場を通りかかったときに――」


 落下してくる巨大な鉄骨。それが最後の記憶だ。急に吐きそうになり、ぼくは両手で口を押さえた。


「だ、大丈夫かお前」少女は慌ててベッドに乗りだしてきた。「やっぱり、脳に異常が残っているのかな。ごめん、本当にごめん」


「ど、どうしてキミが謝るんだよ」


「だって……」


 少女はうなだれ、そして言いよどむ。そうだ、ぼくはまだ、決定的に重要なことを知らされずにいる気がする。


「だって、お前のことをひき殺したのは、あたしなんだから……」


「ひき……殺した?」


 何を言ってるんだ? 現に、ぼくはこうして生きてるじゃないか。


 彼女の声は震えている。


「あたしの航宙艦がコントロール不能になってしまって、なんとか人気のない場所に墜落したはずだったんだけど……あんなところに、農作業をしている人間がいるなんて……」


「え……?」


「憶えていないようだけど、ユウキ。あんたは農作業中、あたしの航宙艦でひき殺したんだよ。その直後に航宙艦は爆発炎上したから、お前、バラバラになったうえに黒焦げに……」


 想像しただけで身の毛がよだつ。そんなことってあるのだろうか。いや、宇宙船事故はありえるのかもしれない。だけど、そこで明らかに死んだような人間が、こうして生き返るなんてことがあるのだろうか。


 あと、そもそもだけれど、どうやらこの世界には宇宙船があるらしいことがわかった。いまわかったくらいなのだから、いまのぼくには、この世界のユウキとしての記憶はさっぱりないようだ。代わりにある記憶は、うだつの上がらない元・軍人――。


 勇季が鉄骨に潰されて死に、ユウキが宇宙船にひかれて死んだとき、なにかが交わったようだ。そして、現にぼくはここにいる。


 だから、いまのぼくには、宇宙船にひき殺されたという実感がない。


 彼女の言うとおり、ぼくは殺されたのかもしれないけれど、当事者としての実感がない以上、彼女を責める気にはなれなかった。


 だが、そうして何も答えずにぼうっとしていたから、ぼくが怒っているのだと勘違いしたのかもしれない。彼女は一層取り乱したようになると、咳き込むように言う。


「ご、ごめん! 本当にごめん! 一度殺してしまったんだ。許してもらえないことはわかってる。だけど、許してほしい。なんでもするから……」


 美少女(奇抜な格好をしているけれど)が目に涙を溜めて、「なんでもするから」と言う姿には、どきりとしてしまった。


「ま、まあ……」ぼくは平静を装いつつ、話題を逸らせようとした。「まずは名前を聞かせてもらっていいかな」


 彼女は驚いたように一瞬きょとんとすると、ああ、と理解したような顔になった。


「あたしはスズラン」


 スズラン……か。変わった名前だけれど、良い名前だと思った。


 緑一面のスズラン畑に、白い花が付いているさまを連想した。そういえば、彼女の緑色に染められた髪――白いメッシュの入ったその髪は、スズラン畑を思わせた。


「スズラン、ぼくはここから動いて良いのかな? その、ケーブルがたくさん挿さっているけど、治療は終わったのかなと思うんだけど」


「わかった。医者を呼んでくる。待ってて」


 スズランはそう言うと、この白い部屋を出て行った。ぼくはというと、出入り口のドアが自動ドアであることに感心していた。個室の出入口が自動ドアなんて、もといた世界では記憶にない。


 彼女の帰りを待っている間、ぼくはベットの上で座っているしかなかった。なにせ、両腕には謎のケーブルが無数に挿されたままだ。


 ふと、ベッドの下になにかがいる音がした。ごそ、とベッドの下の構造になにかが当たる音。そして、にゃーんという啼き声がした。


 視線をベッドの横手に向けると、黒猫がベッドの下から出てきたのが見えた。黒猫はぼくのほうを見上げると、もう一度、にゃーんと啼いた。


 病室に動物がいるなんて、とぼくは思った。もとの世界の衛生感覚ではちょっと考えられない。でも、この世界では、案外普通なのかもしれない。


 部屋の扉がまた開き、スズランが戻ってきた。彼女は連れてきた医者らしき人と看護婦らしき人に、「お願いします」と言っている。やっぱり良い子っぽい。


 医者たちがぼくの両腕からケーブルを抜いていく。不思議と痛みはなかった。痛かったら嫌だなあとは思っていたので、その点はよかった。


「あれ、こんなところに猫が。なんで病室に」


 スズランが黒猫を見つけてそう発言する。「なんで病室に」と言っているからには、この世界でも、動物が病室にいるのは相応しくないだろう。衛生感覚はあまり違わないのだろう。よかった。


 彼女は黒猫を捕まえようとしたが、黒猫は開いているドアを抜けて逃げていってしまった。彼女はそこまで執心していないのか、猫に逃げられても、まあいいか、とだけ言った。


 ただ――ひとつだけ奇妙だったのは、走り去っていく猫の気配を、それが部屋を出て行ったあとでさえ、かなり遠くまで追うことができた――ような気がすることだ。

 

 ◇◇◇

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