花の火星居住日記。

戸 琴子

第1話


花が火星に着ゐたのは、嘉亀十七年の夏のこと。

むんちゃん(母)とその妹である叔母(ろうず)そして花の弟、実之助じつのすけとの四人で長々と旅路を越えて到着したのであるが、ロケツトより外にでたはじめの風景と云うのはことさら記憶に強く残つてゐる。


明るい空港、大きな窓グラス、そこから見えるのは荒涼とした土地であつた。


アパートに着くと、むんちゃんが扉をあけて中へ這入つた。

そしてかの女はあつと声をあげた。


花が横からのぞいてみると、そこに火星人がゐたのである。

火星人自体に驚いたのではない。勝手に部屋にゐたので驚いたのだ。火星人は道道いくらでも見た。


火星人は机に座つて、紅茶を呑んでゐた。


「こんにちは」

こう云うとき恐れずにいちばんに声をかけるのはろおずの役目である。


火星人はこちらを向いた。けれども何も云わなかつた。

あとから知つた事であるが、彼は話せないのであつた。ちなみに他の火星人は何の苦もなく人の語を話すのである。


火星人はこちらに気づくと、をろをろと立つて、お辞儀をした。

「いい人そうじゃん」

ろおずが朗らかに云う。人ではない。けれど間違つてないと花も思つた。


火星人は実之助の前にくると手の一本をさしだした。実之助は握手をする。すると火星人は安心したのか、その場で眠りはじめてしまつた。


「では、荷物をかたつけましよう。ろおずは車から荷物を運んで。花は玄関でそれをうけとつて荷解ほときつつ中にいれる。それを貰つた実之助はリビングにゐる私にそれを持つてくる。私が其々かたつけていきます」


むんちゃんの指示どをりに四人はてきぱきと働いた。


眠つてゐる火星人はそのままにされた。


ろおずは横着者で、花の近くまで荷物を持つてくると、そこでぽをんとそれを投げた。

飛んでくる箱が重いものか軽いものか判じえない花は、毎回びつくりしながらそれを顔でうけとめるのだつた。


実之助はちょこまかと走り走り、二往復に一回つまずいた。

どてんと云う音といつしょに

「aaugh」

と云うさけび声が聞こえると、それは彼が転んだことである。

しかし奇跡的なことにそれで投げ飛ばされた箱は毎度見事にむんちゃんの手元に届くのだつた。


一とをり運び終えると、むんちゃんは火星人を机のうえにおいて、みんなで囲んだ。

それで彼のいれた残りの紅茶を呑んだ。

そのときの審議の結果、その火星人の名前は「うめえ」に決まつた。

火星なので「まあず」なのだけれど、それだと「不味ひ」みたいなので「美味ひ」の「うめえ」であつた。

「not bad idea!」とろおずが云つた。それで決定した。


そうして、花はあらたにうめえを仲間にして火星での生活を始めたのである。

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