ようこそ、キミラノ書店へ!

甘粕冬夏【書籍化】通勤電車で会う女子高生

第1話 こんなシチュエーションを実現したい!


 彼女は泣いていた。


 他人に関心を抱かない草壁尚文が猫屋敷華恋ねこやしきかれんに声を掛けようとしたのは、彼女が書店の奥でうずくまって泣いていたからだ。


 最近になって読書が趣味になり始めていた高校二年生の草壁は、自然と本屋へ通う事が多くなっていた。 その中でも駅のすぐ近くにあるキミラノ書店は通いやすく、店内の雰囲気もいい。


 そんな本屋で一つ年下の美少女がバイトをしていた。


 美少女という言葉は安易で好きではないが、それでも彼女を表すにはちょうどいいか、むしろ足りないくらい。 そう思わせるのが猫屋敷華恋ねこやしきかれんという少女だった。


 さらりと揺れる金髪は肩に掛る程度。 抱きしめれば折れてしまいそうな華奢な体と、触ればプニッと効果音が弾けそうな肌は独占欲を刺激した。


 猫屋敷は学校でも話題になるほど人気が高く、彼女を狙っている男子も多い。 もちろん草壁も猫屋敷のことは知っていたが、だからと言って所詮は赤の他人。 見て見ぬふりをするのが、いつもの草壁だっただろう。


 それでも声を掛けてしまったのは、制服姿のまま本屋の片隅でうずくまる猫屋敷が、捨て猫のように誰かの助けを求めているように感じたからだ。


「えーっと、猫屋敷……だよな?」


 草壁の声に反応した彼女は、まだ涙で潤んでいるオリーブグリーンの瞳をこちらへ向けた。


「あ……」


 女子の声がこんなに響くものなのかと草壁は方向違いな感動を覚えた。


「俺にできることがあるなら手伝おうか」


 すると猫屋敷は、ぱあっと可愛らしい笑顔を咲かせた。


「本当……ですか」


 トンと心臓の下からノックするように鼓動が跳ねる。

 瞬間、草壁は自分の変化を隠そうと慌てて平然を装うが、それでも一度動き出した心はそう簡単には収まらない。


 悟られぬようにと猫屋敷から目を逸らすが、その先には彼女の胸があり、再び視線は別の方向へ。 傍から見ればギョロギョロと目を動かす情緒不安定な怪しい人間になっていた。


 そんな草壁には気づかず、猫屋敷は手に持っていたラノベを勢いよく広げ、挿絵の入ったページを見せた。


「なっ!?」


 ここで草壁尚文は挙動不審者から一転、全ての動きをピタリと止めた。


 猫屋敷が持っていたラノベには男同士が複雑濃厚に肉感たっぷりでねっとりと絡み合う状況が描かれている。 いわゆるBLモノというものだ。


 ただのBLではない。


 濃密かつハード。 バーストオブクライシス。 限界を突破し、狂い狂わせ合う様子はわずか一ページで見た者の視界をブラックアウトさせるほど強力だった。


 そして猫屋敷は言った。


「お願いします! このシーンを再現してみてください! 頼んだ人全員に逃げられてしまったんです!」

「できるか!!」

「さっき手伝うって言ってくれたじゃないですか」

「俺にできることならとも言ったはずだ」

「できますよね?」

「できねえよ!」


 全力で目の前の美少女を拒絶する草壁。

 当然だろう。 そこで表現されるBLの描写は、もはや人間の領域を超越しているのだから。


 だが、猫屋敷は臆さない、怯まない。

 立ち上がり、距離を詰めた猫屋敷は頑なに信じることわりを主張する。


「思い描いた世界観を現実にしたいと考えるのは人の本能じゃないですか」

「お前のは煩悩だけどな!」

「人間なんて99%煩悩ですよ!!!!」

「多すぎだ!! 人類に謝れ!!!!」


 その時だ。

 モデルのような美しい女性がスッと横に現れ、優しく声を奏でた。


「待ってください、猫屋敷さん」

「あ、綴野さん」


 声を掛けてきた女性は書店スタッフが着用するエプロンを着ており、ネームプレートには店長代理・綴野つづりと書かれていた。


 オシャレな三つ編みポニーテルに落ち着いた物腰。 白い肌は絹のようで、上品な綴野の魅力を引き立てていた。


 やっと猫屋敷の暴走を止めてくれるまともな人が現れたことに安堵する草壁。


 綴野は細い人差し指をピーンと立て、にっこりと女神スマイル。


「再現されたそのシーンは撮影して等身大パネルにしましょうね。 きっと販促キャンペーンの目玉になりますよ♡」

「絶望しかねえぇぇぇぇ!!!!!!」


 リアルBLの等身大パネルというイカレたことを提案する綴野に草壁は叫んだ。


 すると綴野は唇に細い指を添えて、草壁に優しく微笑む。


「それにしても自分からお尻を差し出すなんて、すごい方ですね」

「いやいや。 差し出してませんから」

「そんな、ご謙遜を♡」

「謙遜する要素が全くないんですけどね!」


 否定はした。 が、綴野は無視をした。


「あなたのような人材は貴重です。 是非うちで働いてみませんか?」

「お断りします!」


 身の危険を感じた草壁は即座に拒否。 当然の反応だろう。


 しかし綴野つむぎには通用しない。

 彼女は端末を取り出して、素早く操作をする。 


「さっそく明日のシフトに入れておきました。 遅刻しちゃダメですよ」

「……俺の話、……聞いてくれませんか?」

「話は聞きますが、意見は受け付けません。 それでもと言うなら聞きますが?」

「鬼か!」

「天使ってよく言われます♡」


 こうして草壁尚文は個性派スタッフがひしめき合うキミラノ書店で、半ば強制的にバイトをすることとなった。



 今日もキミラノ書店はお客様のために魅力的な本を用意しています。


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