ドラゴン

 ドラゴンは世界最強の生物だ。

 人間を見守っている?


 違う。最初から気にもとめていないだけだ。

 そこに慈悲など無く、人間が蟻を踏み潰してもなんとも思わないように、その羽ばたきで何十人の人間が死のうが、気にもとめていないだろう。

 あいつからしたら、人間個人の見分けどころか男女の見分けすら着いていないはずだ。

 

 住処である山頂に人間が侵入しても奴は気にもとめないのはなぜか。

 人間程度に危害を加えられることなど無いと油断しているからだ。


 儀式を前に、アントルシャはアルカ族のアンバーを自室に呼んで、これからの予定を伝えた。

 フェッテが行方不明になった後に王宮入りした、まだ若い女宮廷魔術師だ。

 

「えーとーつまりー。アントルシャ王子はどうしたいんです?」


 アンバーが小首をかしげる。その動作はひどく幼く見えるし、そう言う風に自分を見せたいという意図もどこかに感じた。


「ドラゴンは夜中は世界を飛び回り、魔力を吸収しているのだと聞いた」


「はあーまー。そうですねー。ドラゴンは魔力生物の一種でもありますからねえー。魔力だけで生きてる生物ーって意味なんですけどー」


「そこをつく。卵を持ち出すぞ」


「あの。王子。僭越なんですけど、それに何の意味があるんですー?」


 いくらなんでも、危険すぎる。アンバーはますます首を傾げた。


「ない」


「……?」


「だが、やる。俺が英雄であると世に知らしめるために!」


「陛下や王妃様には言ったんですー? それ」


「言える訳ないだろう。だからこそお前を呼んだのだ。お前、収納魔術が使えるよな。協力してくれ」


「ええ!? あたしが持っていくんですかー? まじですかー!? あたしが一番危ないじゃないですかー!」

 

 アンバーは流石に拒否しようと思った。

 王子に対しては、職務上の関係以上に好意を抱いている。


 特に劣等感にまみれて時々わけのわからない事をしでかす所が、最高に可愛いとすら思っている。

 だけど、今回のは閾値を超えている。死人すら出かねないし、何より王子自身も危険だ。


「頼む。アンバー。俺はこれを乗り越えないと、何者にもなれない気がするんだ」


 二人きりとは言え、王族である彼が頭を下げる。

 その意味を、きっと王子はわかって使っている。

 アンバーは顔をぐしゃりとさせて、これ見よがしにため息を付いた。


「どうせ一緒ですよ。今までだって、これからだって。行為に意味はなく、何をしたって、結局王子自身が思い込んでるんですから」


 あえて不躾に、不敬に話した。王子はぴくりと肩を震わせ、顔を上げた。

 怒ったわけではなさそうだが、とてもつらそうな顔をしていた。

 そういうところも、可愛らしいとは思うんだけれどもね、とアンバーはもう一度内心で嘆息する。


「だが、俺は――!」


「わーかりましたー。わかりましたよぅ。やりますってばー」


「そうか! 恩に着るぞ、アンバー!」


「はーあ。生きて帰れるかなあ、あたし」



……。


 テントから出ると夜だというのに明るかった。

 山頂が、まるでそこに太陽が出来たかのように明るく燃えている。

 ついで、空気を切り裂くような咆哮があたりに響いた。



「皆さん、集まって! 慌てないで!」


 先生が叫んでいる。普段は何が起きても眉一つ動かさないカドリー先生が、ひたいに汗を浮かべている。

 相当なことが起きているようだった。


「先生、何が――」


 オレの叫びは、爆音にかき消された。

 なにか巨大なものが、漆黒の空を駆け降りてくる。

 そう思った次の瞬間には、辺りに爆発が起き、豪炎に包まれていた。


「落ち着いて! パーティリーダーはメンバーを確認! 各自の判断で山を降りなさい! ここに居ては、危険です! 早く山を、山を降りなさい!」


 生徒たちの悲鳴にまじり、それぞれの名前を叫ぶ声が怒号のように響いていた。

 泣き叫ぶもの。メンバーを探すリーダー。がむしゃらに走り回るもの。

 楽しかったはずの山ごもりは、一瞬で地獄と化していた。


「Arca! a no tett!」

 

 混乱の嵐の中央で、そいつは地響きのような声で言った。

 炎の中で真紅に輝く、刃物のように鋭い赤い鱗。天をつく二本の角。見上げるほどの巨躯からは、黄金色に光る瞳が、オレ達を見下ろしている。

 恐怖を感じる前に体が震えた。頭で理解するよりも本能で分かってしまったんだ。

 こいつは、死そのものだと。


「ドラゴン! なぜ私達を襲うのです! 私達はあなたに危害を加えない!」


 カドリー先生がドラゴンを見上げて、叫んだ。


「A hee Arca! ma esh amica t invo!」


「アルカ族が、卵を盗んだ……? 何を、言っているのですか。うちの生徒はそのようなこと――」


 問答無用。

 そう言うかのごとく、ドラゴンが吠える。

 風圧に、先生が怯んだ。


 この場にいるアルカ族は、シエルだけだ。

 ドラゴンは、確かにシエルの方を睨んでいる。

 そいつが「fao」と一言唱えると、灼熱の塊がドラゴンの大口の前に形成されていく。

 人間の2倍はあろうかと思う、巨大さだ。


「逃げなさい! 我もたらすは水妖の恵み。ウォーターウォール!」


 先生がドラゴンの前に水の壁を作るのと、塊が発射されるのは同時だった。

 壁にめり込んだ炎塊は、水を蒸発させ、辺りに凄まじい熱気と水蒸気が満ちていく。

 だけど、それも一瞬だった。

 すぐに炎塊はシエルに向かって直進した。


「シエル!」


 咄嗟に、シエルの前に先生のと同じ術を貼った。

 2度目だったのもあってか、ようやく炎塊は止まった。

 そのままシエルの手を掴む。


「シエル、逃げよう! なんかわかんないけど、あいつはシエルを狙ってる! シュシュ!」


「なに!」


 意外と元気そうなシュシュの返事にちょっとホッとする。


「オレはシエルと別方向に逃げる! パーティーをまとめて下山して! フリックを探してクラスをまとめて!」


「でも、それだとあなた達が!」


「大丈夫。オレは、必ず戻ってくる」


「……信じてますからね!」


「シエル、行こう!」


「え。あ……う、うん!」


 シエルの手を掴んで、オレ達は黒い森の中へ駆け出した。

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