女の子、男の子。
お腹の奥がちくちくする。体が重い。
「うー。いたた……っ」
オレは独りつぶやいて、お腹をさする。
夜道にひとりぼっちだし、お腹は痛いし、心細いし。
なんで今日生理はじまるかな。まだ先のはずだったのに。
男の子に戻すぞって意気込んでいる子に会いに行くっていうのにさ、なんて言うか間が悪いよ。
はあ。とため息を付いた。
体は、どう取り繕っても、女なんだ。
シュシュにオレの事情を話すにあたって、シエルやフリックにも聞いてもらうか悩んだ。
オレが王子だったこと。フェッテのこと。殺されかけたこと。もう、生まれた場所には帰れないこと。
話してしまいたい。きっとシエルとフリックなら受け入れてもらえる。その確信はあった。
でも、下手に情報を知らせることで、二人を巻き込んでしまう可能性だってある。
それは怖かった。
だから、オレはシュシュのいる貴族寮にひとりで向かった。
玉ねぎカフェでの一件。当日の夜。
すっかり話し終わった後、シュシュは勢いよく立ち上がって、ルティレをびしっと指した。
完璧なドヤ顔だ。
「やっぱり、あたしが思っていたとおりだったわ! エカルテはエトワルだったのよ! どう、ルティレ!」
「お嬢様。あたしが出てますよ。それに王子……とお呼びいたしますが。失礼ながら、私はすべて信用したわけではありません。正直な所、今もあなたが本当のエトワル王子であるのか疑っております。いくつか、質問をよろしいでしょうか?」
ルティレは腕組みをしたまま、オレを油断なく睨んでいる。
こほん、とシュシュは咳払いし、豪華なベッドに座り直し、執事に向かって怪訝そうな目を向ける。
「本当に疑り深いわね、あなた」
「お嬢様をお守りするのが俺の使命ですから。疑うのが仕事です。では、参ります」
ルティレは目を釣り上げ、威圧するように声を低くした。
幻影をまとったままの彼は金髪の碧眼。
ヴァリアシオン族としての特徴は伺えないけれど、その裏では真紅の瞳が油断なく光っているのだろう。
「――お嬢様がおねしょを卒業したのは?」
「8歳」
「ちょっと、ルティレ!? なんて質問してるのよ! っていうか、エトワルも!? なんで知ってるのよ!」
「フェッテが話していたから」
「フェッテ……!」
「では次。お嬢様がうっかり拾い食いして、死にかけた果実の名前は?」
「デグリャーオオベニギニン。見た目はりんごにそっくり。入っちゃいけないって言われてるのに、勝手に薬草園に入って食べたんだってね。フェッテが言ってた。彼女はいつも楽しい話をしてくれた」
「フェッテ!?」
だんっ、と勢いよく立ち上がるシュシュを尻目にルティレは続ける。
「なるほど。どちらも正解です。では――これが最後の質問です。エトワル王子の母親の名前を、お聞かせ願いますか」
碧眼の瞳が、ほんの少し揺れた。彼からはじめて感情らしいものを垣間見た気がする。
オレは何の気ないように、あっさりとした口調を作って、答える。
「簡単だよ。マリィ。マリィ・マルタン。元ジプシーの踊り子。アポテオーズ王の子を生んだ直後に亡くなっている。それともイザベル王妃と答えるのが正解?」
「……。数々のご無礼をお許しください。エトワル王子」
ルティレが腰を折って、深々と礼をするのをオレは慌てて手で制する。
今更王子なんて、もうどうだっていいんだ。
「やめてよ、ルティレ。…オレは、もうエカルテなんだ。今日こうやって話しに来たのだって、もうエトワルと呼んでほしくないからだ。話したとおり、生きているとバレるととてもまずい。フェッテのお陰でこうして今は平和に暮らしている。それを壊してほしくないんだ」
「そう、ですね。いや、そうだな、エカルテ。俺たちはただのクラスメイトだ」
ルティレが相好を崩したのを見てほっと胸をなでおろす。分かってくれたみたいだ。
彼のご主人様を除いてだけど。
「疑り深い執事さんの話が終わったところで、今後の話をしましょう。ルティレはフェッテの捜索は継続してちょうだい。人の秘密をばらした復讐を――いえ。エカルテをもとに戻す方法を聞き出すのよ」
「お嬢様、話を聞いておられましたか? フェッテは術は解けないと言っていたとのことですが」
「それはそうだけれど。やっぱりかけた当人が一番その術に関して詳しいのは間違いないじゃない。諦めてはいけないのよ。必ず道はあるの。その道を見つけるためにもフェッテの協力は必要不可欠だと思うわ」
「フェッテを、探してる? フェッテは、どうなったの?」
「行方不明よ。だけど、あなたの話を聞いて確信したわ。きっと彼女は自ら姿を消したのね。気休めじゃなく、わたくしは思うの。きっと彼女は大丈夫だって」
「そんな……」
フェッテ。オレを助けたがために、王宮を去ることになってしまった。
胸がずきんと傷んだ。
「そんな泣きそうな顔しないの。まるで女の子みたいよ、エカルテ。
わたくしたちの前では演技をしなくていいのよ。男として、元のように振る舞ってもいいの。今まで女になってからずいぶん嫌な思い、したでしょう? もう、安心してちょうだい。これからはわたくしがあなたを守って差し上げるわ」
「演技」
演技。
立ってる場所が崩れていくような不安で、全身がひんやりした。
氷で背中を撫でられたようだった。
女として振る舞うこと、最初は嫌だった。
生理だって、おっぱいが膨らむことだっていやだった。
いや、だったけど。
だけど、シエル達に出会ってからのすべてが、嫌だったなんて、そんな訳無いんだ。
シュシュは上機嫌に笑顔を見せながら、時折心底心配する目をオレに向けながら話を進めていく。
悪意の無いその顔を見ていると、自分の気持ちは風船みたいにしなしなと萎んでいく。
シュシュが本気で心配してくれているのが分かってしまったせいだ。
オレは気持ち悪くない。女の子として振る舞うのは、恥ずかしくない。
心で何度言い聞かせても、だめだった。
恥ずかしいって思ってしまった。
バカにされるのなら、気持ち悪がられるならまだよかった。
かつて、男として暮らしていて、男として接していたシュシュが、本気で心配してくれている。
男に戻ることが正しいと言ってくれている。
そんな彼女に、変わってしまった自分を見せる事が。
フェッテを犠牲にして、女として今を幸せに暮らしてい事が。
恥ずかしかった。
『全部が嫌だったわけじゃない』
その言葉が、どうしても、出なかった。
お腹、いたい。生理なんて恥ずかしくて言えない。
シエル、約束破って、ごめん。
ああ、やばい。
涙が滲んできそうなのを唇を噛んでなんとか堪えた。
血の味がした。
こんな、女の子みたいな所、シュシュには見せたくない。
「あなた、大丈夫? さっきから顔色悪いわよ」
「だ、大丈夫」
「そう……。ねえ、わたくし思うのよ。女として暮らしてきた生活が、あなたを苦しめてきた。女として積み上げたものがあるのは、わたくしにだって理解できる。フリックだって、シエルだっていい子よ。それもわかるの。だからこそ今あなたは、そうやって苦しそうな顔をしているのよ。わたくし、ずっと、考えていた事があるの」
シュシュは静かに立ち上がり、まるで紳士がダンスにでも誘うように静かに手を差し出して、言葉を続けた。
「フェッテが見つかって、もとに戻る方法が見つかるまで、どれぐらい時間がかかっても、わたくしは諦めないつもりよ。だけど、どうしても時間は経ってしまう。
こういう事を言うと失礼だけれど、あなたは胸だってすごく小さいし、顔も髪を切れば美青年としてやっていけるかもしれない。大人になるまで見つからなかったら、幻影魔術を使って容姿そのものを変えながら生きる事だってできるわ。だから――」
シュシュは微笑んだ。子供を心配する母親のように、柔らかな笑みだった。
彼女の白い手は、汚れなく、どこまでも綺麗だ。
「すべて、やり直すつもりはないかしら。別の場所で。別の環境で。誰もあなたを知らない環境で。
お父様に言えば、きっと別の学校だって手配してくれる。いいえ。学校に行かなくても、優秀な教師だって見つけてくれるはずよ。もちろん、わたくしだって付いていくわ。
あなたは心は男なのに、女として扱われるから、苦しいのよ。今とてもつらそうな顔してるもの。見ていると、心配なのよ」
「お、オレは……」
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