ブラジャー
意外なことに、学校生活は平穏そのものだった。
冬が終わり、春の気配が強くなってきたアリエスの月。
短い春休みの間に一度家に戻ったりもしつ、平穏な日々を過ごしていた。
オレはもうすぐ11歳の誕生日を迎えようとしている。
身長の伸びが悪くなるに反比例して、胸が膨らんできた。
最近服に胸が擦れて痛みを感じるのが、一番の悩み事だ。
胸のことを、シエルに相談しようと思っても、恥ずかしくてできないままだった。そういえば、シエルもいつのまにかブラをつけている。オレもいつかは、つけないといけないのかな。
やだな。女の子の体なんてやっぱり嫌だ。めんどくさいし不便だ。
そんな煩悶を抱えつつも、オレ達は成長していく。
日々は少しずつ前に進んで、良くなっていくように感じている。
シエルに話しかけるクラスメイトが徐々に増えてきたのだ。
今はまだ短い挨拶ぐらいだけだけれど、それでも大きな進歩だ。
シエルの持ち前の明るさが、周囲に『あれ。こいつもしかして普通じゃね?』と思わせた結果なんだろう。
シエルはやっぱり強い。
メリアの方も極度の引っ込み思案は相変わらずだけれど、オレ達には自分から話しかけることもたまにある。
フリックは……。そんなに変わらないんじゃないかな、たぶん。
ヴァロッテの忌まわしそうな視線。それとシュシュがよく睨むように、オレをじいっと見ている事があるのが気になるけれども、直接は何も言ってこないしてこない。
そんな春の休日。
シエルとメリアと一緒に街に遊びに来ていた。
学生都市の中だけでも、広すぎてまだ全然見て回れて居ないのだ。
レンガ造りの建物や道は人通りも多く賑やかで、あちこちからいい匂いがする。
全体的に甘いパンの匂いのする街だった。
「……え? ここ?」
シエルが指さしたその先を見て、オレは絶句した。
「覚えてないの? お母さんにこれで服を買いなさいってお金もらってたでしょ」
「そうだけど。ここ、下着屋だよ」
フリルだのレースだの。ザ・フェミニン空間。思わず尻込みする。
入り口からかもしだす、ピンクピンクして男を一切寄せ付けない雰囲気。
めっちゃ入りづらい。男だったら、店の前を足早に通り過ぎていたと思う。そんな場所にシエルはぐいぐいとオレの手を引いて行く。
「そうだよ? せっかくだから買っておこうよ。お母さんにも『選んであげてね』って言われてるの。エカルテはたぶん恥ずかしくて店員さんに希望言えないだろうし、そろそろ気になり始める頃かなーって見てるんだけど、どう? 当たりでしょ」
胸元をとっさに庇った。全力でばれてるし。
シエルはなんでかドヤ顔だ。
っていうかなんでオレの胸なんて見てるんだ。恥ずかしいよ。
「な、なにいってんの!? こんなところで! まだいいよブラなんて!」
「わたしも経験あるから分かるの。付けたほうがスッキリするよ。エカルテだって、女の子なんだし。メリアちゃん、ちょっと付き合って貰っていい? 一緒にエカルテの下着を選ぼうよ!」
メリアはオレなんかの下着を選ぶなんてこと、嫌だよね。
横目でチラと見ると、メリアも穏やかに微笑んでいた。
「はい。可愛いの、選びましょうね」
「メリアまで!」
いーやーだー。
……。
あれ。なんか胸元が痛くない。すごい。
思ったより、着け心地は悪くない。
これは下着。そう。ブラではない。ただの下着。
……なわけなくて。
ハーフトップとは言え、ついにブラなんか付けてしまった。
せめてと、ねずみ色のかなり地味なものにしてもらった。
まるで女の子みたいだな、オレ。
シエルも、メリアも自分のを選んでいた。
どっちもブラを付けてる。
彼女たちだけじゃなくて、訪れていた女の人はみんな、どこか楽しそうに下着を選んでいたのだ。
そんなに、楽しいのかな。たかが下着なのに。
「じゃ、次! 服! メリアちゃんも見よう! エカルテちゃんに可愛い服を着せよう!」
「はい! シエルちゃん!」
メリアが珍しく元気に答える。
最近、のりがいいんだか、シエルのペースに巻き込まれてるんだか、わかんない。
仲はいいんだと思う。
「まだ買うの!?」
店から出るなり、シエルがぐいぐいとまたオレの手を引いた。
はちきれんばかりの笑顔とステップで大通りを駆けていく。
オレは足が絡まり、転びそうになりながらもシエルに引っ張られぐいぐいと進んでいく。
楽しそうな女の子二人に、オレは後ろから必死に付いていく。
……。
「はー楽しかった」
平民寮の談話室の隅っこのソファーを陣取るオレ達。
シエルがソファーの後ろに立ってオレの髪をいじりながら言う。
髪も伸びて、今は肩にかかるぐらいになっている。
シエルはオレの髪を三つ編みしているのだ。
休日も終わりかけになると、生徒があちらこちらでくつろいでいて、談話室はさざめいている。
寝室は狭くていれたもんじゃないし、大体みんなここにいるのだ。
「あ。シエルちゃん。髪留めもってますよ、わたし。これどうでしょう。似合いそうです」
横に座っていたメリアがオレに体を寄せ、髪にさわってから、ほうっと息を吐き出す。「エカルテさんって髪綺麗ですよね。つやつやしてます」
「……そんな事ないと思うけど」
寮に戻ってきてから、あれこれ服を着せられ、今は髪をずーっとあれこれアレンジされている。
もう好きにして。
「そんなことあるよ! すっごい綺麗だよ! 服もとっても似合ってるし」
「あ、ありがと」
春用に買った水色のワンピース。
似合ってるって言われて、嬉しい。
髪だって色々アレンジされるのだって、嫌いじゃない。
って。はっ、となる。
だめだだめだ。
ブラなんか、つけて可愛いなんて言われて喜んで。
オレ、最近本当にどうかしてる。
完全に女の子みたいじゃないか。
「お。エカルテ……と」
レーネだ。いつもの平民グループ5人組が、オレ達に気づいた。
一瞬、レーネはグループの方を見て、逡巡するような顔を見せたけれど、にっこりとした笑顔で手を振った。
「シエル! メリア!」
他の子が戸惑ったような表情を浮かべる。でも、それもすぐに瓦解して。
レーネに釣られるように、まだ少しぎこちない笑みを浮かべてオレたちの方へ来た。
「エカルテの髪編んでるの?」
レーネがオレの頭を覗き込んで言う。
「そうだよ! 三つ編みも似合いそうって思って」
シエルはオレの頭を撫でながら、笑顔の滲んだ声で答えている。
「お。いいね。あたしもやっていい? エカルテいじり」
レーネが口の端を上げてオレの顔を覗き込んだ。いたずらっぽくウィンクしているのが見えた。
「いじりっていうな。もう好きにして」
「あ、あのシルフィード、さん」
グループの子がおずおずと、オレとシエルを交互に見やっている。
確かこの子の名前はアンジェだ。
「どっちのシルフィード?」
オレが言うと、アンジェは意を決したように、足を開いて立って、緊張の滲んだ顔で言った。
しっかり、シエルの顔を見ていた。
「シエルさん! エカルテさん! 私達も、混ざって、いいですか!」
「うん。もちろん! 今ね、エカルテの髪をアレンジしてたんだ。この子、おしゃれとか全然しないんだよ。もったいないよね?」
シエルのあっさりした答えに、アンジェにぱあっと笑顔が広がって、他の子達もほっとした表情を浮かべた。
「う、うんっ。もったいないなーって私ずっと思ってたの。メリアさんもいつも綺麗に髪編んでて、すごいなって、私、思ってたの。ずっと」
気の弱そうな、ショートカットのアンジェは、顔を真赤にしていて、メリアも戸惑ったように目をぱちくりさせている。
「え。あ、あの。わた、わたし? ですか?」
メリアの長い髪は、いつも編まれたワンテールで、とても可愛いって、私も思っていた。
茶色のふわふわした猫っ毛にすごく似合うんだ。
「メリアって手先がすごく器用なんだよ。一度縫い方を教えたら、今じゃぬいぐるみなんて自分で作るってるぐらいだし」
オレが言うと、メリアはますます顔を赤くした。おー。照れてる照れてる。
「あ、あの。わたし……ええと」
「そうなんだ、メリアさんってすごいんだね! 今度見せてよ!」
「いえ……そんなこと、ないです。見せて、がっかりする、かも」
いい加減、照れすぎて、湯気でもでそうだ。
「あーあ。わたしももっと上手になりたいな。もっと色んな髪型、覚えたいよ」
シエルが拗ねた口調でいうと、アンジェは、おずおずと、でも、しっかりとシエルに笑いかけた。
「シエルさんって、なんか、普通なんだね」
「うん? 普通って?」
「えっと、ごめん。なんか普通の女の子なんだなって……。魔族とか、怖いイメージ、あったから。今まで、ごめんなさい」
「気にしてないよ! あ! エカルテ、脚!」
「女子しか居ないんだしいいじゃん」
白状すると、わざと脚を開いた。
無意識に女の子のような座り方してたことに気づいて、慌てて開いたのだ。
ちょっと考えれば、別に今ここで開く必要なんてなかったんだ。
でも、焦ったんだ。可愛いって言われて、どこか喜んでいる自分に。
「もう。エカルテは相変わらず。お姉ちゃんは心配ですよ」
「お姉ちゃんの心配性も相変わらずですね」
「あ。皆聞いて。今日エカルテと服を買いに行ってね、ブラ可愛いのにしようって言ったのにね――」
「それ今言わなくて良くない!?」
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