遠足



「エカルテちゃん。お母さんとお父さんにばれないように裏から出よう」



「わかった。こっそりね」



 翌日。


 オレ達は早速森に向かうことにした。


 子供だけで森に入ってはいけない。例のボアーの事件以降硬く言付けされている。


 だけど、大人を伴って行けばせっかくのプレゼントの内容がグランにもろばれしてしまうじゃないか。



「ふたりとも、遠足にでもいくの?」



 速攻ばれた。


 勝手口に手をかけたと同時、背後からソレイユの声がした。



 そりゃそうだ。


 オレはともかく、普段は女子らしい格好しかしないシエルまでもが、パンツルックでなおかつリュックなんて背負っているのだから怪しまないほうがおかしい。



「うん。今日はフリック君と遊ぶんだ」



 ぎこちなく振り返りながら、シエルはさらにぎこちなく笑った。


 まったく。シエルはごまかし方が下手だ。やっぱり子供だ。


 ここはとっくに大人な、オレに任せてもらおう。



「も、森には行かないから大丈夫だよ、ソレイユ」



 シエルが無言でオレの靴を蹴った。


 すまんかった。




「ふーん? 森には入っちゃだめだからね」



 ソレイユは腕組みをしつつ、オレ達の顔を凝視する。


 瞳が鋭く光っていて、心の中を読まれている気分になってくる。



「大丈夫! 夕方までには帰るから!」



 オレはくるりと踵を返すと、シエルの手を引いた。それから逃げるように勝手口から飛び出した。




「来てくれてありがとう」



 フリックとはボアー事件の起きた現場近くで合流した。


 一応人影を窺ったけれど、畑ばかりの周囲に今の所人の姿は見えない。



 フリックは先日の一件から妙にしおらしくなってしまって、なんだかうす気味悪い。


 前の自慢ばっかりの頃と比べると、どっちが良いか。それも微妙なところなんだけれども。



「行こう」



 どこで人が見ているかも分からない。


 挨拶もそこそこに、オレ達は目配せをした後、森に入ることにした。


 わくわくしていた。



 オレは王宮からまともに外に出されたことがない。


 リンバに拾われた時も、側には付き添いの大人がいた。



 はじめての、自らの足による冒険なのだ。


 本でしか知らなかった世界が、徐々に広がっていく実感があって、わくわくする。


 心が躍る。


 冒険だ! 冒険が始まったんだ!


 男といえばやっぱり冒険だよ!



「エカルテちゃん、楽しそうだね」



 オレの隣を歩くシエルが、笑顔を向ける。


 思わず鼻歌が出てたのに気づいて、ちょっと照れくさい。



「冒険だし! 楽しいよ!」



「エカルテは、趣味が男みたいだよね。髪もすごく短いし、オレとか言うし。……本当はどっちなの?」



 まだ明るい森の中を歩きながら、フリックがオレを見ずに言った。


 恐る恐る、といった口調だった。



「ちょっとフリック君! エカルテちゃんは女に決まってるじゃない! こんなに可愛いんだから! わたしちゃんとお風呂の時にバッチリ見てるんだから!」



「ちょっ、なにいってんのシエル」



「そっか。それなら良いんだ」



 安堵したようなフリックの声がすぐ隣から聞こえる。どんな表情をしているかは見えない。


 フリックはオレが女だと嬉しいみたいだ。



 シエルもオレが妹だから、女だから仲良くしてくれる。



 本当は男なんだ。そんな事言ったら嫌われてしまう。


 でも、オレは男に戻りたいと思っている。



 戻れなかったら?


 オレは、どっちになるんだろう。


 草に埋もれた、名も知れぬ白い花をまたいで、オレは歩き続けた。



「エカルテ。怒った?」



 フリックがオレの前に走って立って、不安そうにオレの顔を覗き込んでいる。


 オレは微笑みを作って答えた。「怒ってないよ。考え事してた」



「良かった。ぼく、また変なこと言っちゃったかと思った」



 心底安堵したように、彼はほっと息を吐いた。



「言ってるよ!」



 シエルがそんな彼をびしっと指さした。


 アルカ族の特徴がよく出たシエルは、見た目は色白で病弱そうなんだけれども、オレなんかよりかなり元気で運動も得意で、そしてなにより意見をズバズバ言う。



「ええ? 大事なことじゃないかー。間違ってたら、失礼だし」



「もう。フリック君は! 何歳でもれでぃーはれでぃーなんだよ。フリック君、本当に失礼なこと言ってるからね」



 あ。


 リンバが言ってた奴だ。


 思わず、くすりと笑ってしまった。



「う、うるさいな、シエルは。ぼくだって女だって思ってたさ。でもどうしても聞きたかったんだよ。ごめんってば」



 言ってから、ちらと子犬のような目でオレをフリックは見上げる。その様子がまた、なんだかおかしかった。「別に良いよ、シエル、フリック。私も、自分で男っぽいって思ってるし」



「エカルテちゃん……?」



 私、というとシエルがきょとんと目を丸くする。そりゃそうだよね。


 オレ自身もちょっと違和感。そしてちょっと恥ずかしい。



「あー。うんだからね」頬を撫でて、言葉を継いだ。「私もさ、ちょっとは女らしくしようかなって思って。いい機会だし。ほら、男って言われると悔しいし」



 嘘だ。


 自分でも目が泳いでいるのがわかる。二人は複雑そうな顔をしたけれど、何も言わなかった。


 女らしくしていれば、この先も二人と仲良くやれる。



 いつかは、男に戻りたい。でもそれまでは、こうやって女のふりをしていれば、きっと二人は仲良くしてくれる。


 それに、王宮の時のように、知らない間に恨まれることだって、きっとない。


 髪も、伸ばそうと思った。



「ほら、先急ごう。夕方までには戻らないと」



 オレは二人ににっこり笑った。




 で! このざまだよ!



「はぁ。はぁ……ぜぇ……はぁ……」



 オレの喘鳴が、森に響いている。


 暑い。額から汗が止まらない。



「エカルテちゃん、頑張って!」



「エカルテ、もうちょっとだ。頑張れ!」



 うおお。


 そんなに応援されると余計に惨めだよ!



 あれから体感で3時間ぐらい。


周囲はすっかりと鬱蒼とした木と苔に覆われていて、昼間だというのに辺りは薄暗い。


 森の日の差さない奥地に月の花は生えているらしい。



 オレの体力は限界だった。王宮じゃ本ばかり読んでる引きこもりだったのだ。


 というかなんで二人はこんなに元気なんだ。



「も、無理……休ませて」



 へろへろとコケだらけの灌木に腰を下ろした。じめっとしていてお尻がじんわりとするが、それにかまう余裕もない。



「ほら。水」



 フリックが差し出した水筒をオレは受け取り、ごくごくと喉を潤すと少しは生き返った気がした。



「前髪、あげる? 涼しくなるよ」



 シエルがオレの答えを待たず、ヘアバンドでおでこを出してくれた。


 汗がすーすーする。



「私体力なさすぎ……?」



「うん。ないね」



 フリックめ。



「エ、エカルテちゃんは病弱なんです!」



 シエルの必死のフォローが胸に痛い。


 めっちゃ健康なんだ、オレ。風邪とかひかないし。


 もうむり。運動しよ。




「月の花まで、もうちょっとだから、エカルテも安心して。前はボアーに邪魔されたけどさ」



 それは、すごく助かる。


 あ、でも帰りがあるのか。うおお。



 頭を抱えて、落胆しかけたその時。



「エ、エカルテ!」



 フリックが叫んだ。



「エカルテちゃん、後ろ!」



 後ろ?



 振り返ると、巨大な顔があった。


 樹だ。


 成人男性の倍はあろうという、樹。


 そのちょうど真中ぐらいの高さが口のように大きく裂けている。


 口の中は赤黒い空間が広がり、腐敗した肉が引っかかっているのが見えた。



 そいつがオレをおろしている。


 生臭く、鼻の曲がりそうな異臭がした。


 枝に当たる部分を鞭のようにしならせ、オレめがけて振り下ろして――。



「アンスール・ケン」



 樹はよく燃えた。枝を燃やした火をさらに増長させていく。「フェオ」


 立ち上がるのも億劫だった。



「エカルテ……何したんだ、いま?」



「なにって。魔術」



 ぐったりとオレはうなだれる。


 ボアーのおかげで、だいぶ度胸はついたのはあるけど。


 とにかく疲れていて、驚く元気もなかっただけなのだ。


 一撃だったのは、自分でも心の中でだけ、驚いてる。



「エカルテって、もしかしてものすごく強い……? 今の、トレントだよね……? 大人でも苦戦するって、本で読んだけど……」



「そうだよ! うちのエカルテちゃんは強くて可愛いんだから!」



 シエルが代わりに答えてくれた。


 ちょっと。いやだいぶ恥ずかしいけど。

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