フリックと出会う。

そいつの第一印象は、『よくしゃべる子だなあ』だった。


 赤みがかった髪を、後ろで短いしっぽのようにひとつ結びしていて、背はオレとさほど変わらない。年齢も同い年で9歳ということだった。



 魔獣を退治しているところを途中から通りがかりの農家のおじさんに見られていたらしい。


 おじさんが他の大人たちを呼びに行っている間、オレ達は念の為その場に待機することになった。



 子供だけを残して行って良いのか、と思わなくもない。だけどそれは眼の前の、よく喋る男の子の鶴の一声で決まったのだ。


「ぼくたちが退治したのだから、ぼく達が見張るんだ!」と。


 こいつは堂々と腰に手を当て、仁王立ちでふんぞり返った。



 色々言いたいことはある。足折れたんじゃねーのかよ、とかね。


 それは農家のおじさんも同じようで一瞬困った顔をしたけれど「坊っちゃんがそうおっしゃるなら」と足早に村の方へ向かった。



 そう。


 こいつは坊っちゃんなのだ。


 名をフリック・フラック。フラック領主である、グラン・フラックの一人息子、らしい。



 いつまでも突っ立っているもなんなので、近くの木陰に移動し、腰を下ろしている。


 昼下がりのまだ少し冷たい風がオレの頬を撫でていく。


 先程の騒ぎはとうに去り、鳥の鳴き声が空高く聞こえている。とても静かだった。



 抜けるような青空と、どこまでも広がる畑と穏やかな日差し。


 緊張疲れもあって、あくびが止まらない。



 眠い。



 このまま昼寝したら気持ちいいだろうな、と思うけれど……。それは無理そうだ。



「だからね、ぼくはそこで勇敢にもボアーの巣に乗り込んだんだ! そうしたら、あいつらはぼくを見て怖気づいてさ! ちょっとからかってやったら追いかけてきたのさ! ぼくを勇敢だと思うかい? でもお父様はもっとすごいんだ!……あ」



「そーなんだ」



 オレは適当に相槌を打ち、眠い目をこすった。「あ」と言ったっきり、フリックは静かになった。ようやく大演説が終わってくれた。



「エカルテちゃん、脚!」



 シエルがおれの耳元で、器用にひそひそ声の大声を上げる。



 脚?



 分からずオレがシエルの方に首を向けると、彼女は怒ったような顔をして、またひそひそ声で叫んだ。



「スカート!」



「ん……ああ」



 そう言えばスカートだった。


 女としての所作。王子の頃には所作については厳しく言われた。


 だから、見られるって言うことには慣れている。


 でも、オレは女なんだって意識させられるのは、やっぱりすごく違和感がある。溶け込むためにはきっと女の真似をしないといけないんだ。


 嫌だなあ。早く男に戻りたいよ 



 で。



 さらにオレを落ち込ませたのは、脚が閉じられた瞬間に再開された、フリックの大講演の続きだった。



「ぼくのお父様はすごいんだ。傾きかけていたフラック領の経済を、新たな農業法を広めて立て直しただけじゃなくて、魔術にも秀でていてね! 本当に大好きで尊敬できるお父様で……! ……!」



 ああ、眠い。


 フリックの声はもうほとんど耳に入ってこない。



「そーかあ」「そーなんだあ」「ふうん……」「……」



 隣のシエルも暫くは相当我慢していたようだけど、ついにウトウトとオレによりかかり始めている。



 早くおじさん戻ってこないかなともう一度あくびをした。


 一応、オレは起きている。子供の可愛らしい自慢話ぐらい付き合ってやろうではないか。オレは大人なのだから。



 うん。


 起きてる。


 起きて、いる。……おきて……る。


 ……ぐう。



「でね。うちには大量の魔術書もあるんだ。お父様はとても研究熱心だから」



 オレの目は、そこでぱっちりと見開かれた。


 がばっと、立ち上がるとフリックが驚いてひるんだ。



「魔術書!? あるのか!?」



 男に戻る方法の手がかりがあるかもしれない。


 いや、なくてもいい。とにかく魔術書を見たい。


 物心ついた時から魔術書と本が友だちにだったオレは、すっかりその魅力に取り憑かれている 



 新たな知識と技を得る時の、お腹の奥底から湧き上がるような達成感と快感。


 あれは一度経験するともう忘れられない。


 魔術書が好きだ。


 愛していると言っても過言ではない。



「う、うん。あるけど?」彼は戸惑って目を泳がせたけど、すぐににやり、と笑顔を浮かべた。「もしかして、見てみたい?」



「みたい!」



「えーでもどうしようかなあ。あれはお父様のものだしなあ」



「なんでもするから!」



「えーでもなあ。って、ち、ちかいよ! ちかいから!」



 オレが興奮気味に、両肩を掴み顔を近づけていると、フリックはまた目を泳がせる。たぶん、困惑しているのだろうが、知ったことか!



 フリックは暫く、オレから顔ごとそむけながら口をもごもごさせていたけれど、意を決したようにオレと目を合わせると、大声で言った。



「じゃあさ! 友だちになってよ!」



「なるなる。超なる」



 オレは全力で首を縦に振った。


 今のオレは赤べこだ。なんにだって首を縦にふるつもりだ。



「え。本当に?」



「なるなる」



「そうか。そうなんだ」



 フリックはすねたんだか、怒ったんだか、照れたんだか。


 それらが入り混じったようなよくわからない表情をして、顔を赤らめてまたぷいと顔を背ける。




「ふあー。エカルテちゃんどうしたの? あれ。いつのまに仲良しさん?」



 シエルが目を覚まし、両手で伸びして、涙を零しながらオレ達を見上げる。



「さっき、なった」



「ふうん。そっか」



「あ。でも、お父様は――」



 フリックが言いかけたのを、大音声がかき消した。



「フリック!」



 よく通る、バリトンの効いた声だ。


 フリックと同じ色の、赤みがかった髪を短く刈り上げた細身の男性が、数人の男たちを引き連れ、足早にこちらに向かっている。



「お父様……」



 あれ?


 フリックは喜ぶでもなく、オレから体を離すと項垂れて父親の方を見ようともしなかった。


 あんなに自慢していたのに。



「フリック。大体の事情は聞いている」



 開口一番、グランは言った。 


 フリックをそのまま成長させたような、長身で切れ長の目の男性。間違いなく美がつく部類に入るだろう。



「……はい。申し訳ございません」



 フリックは項垂れたままだ。さっきまでのおしゃべりが嘘のようだった。



「謝ったのか? この者たちのおかげで助かったのだろう。ちゃんと礼は言ったのか?」



「いえ。あの。はい」



「フリック。私をちゃんと見て答えなさい」



「……まだです」



「フリック。いつも言っているだろう。礼を失してはいけない。お前もフラック家を継ぐ男なのだからな」



「オレ達、別に大丈夫ですから」



「フリック君はちゃんと、お礼を言いました」



 シエルも答える。



 オレは居た堪れなくなって、声を上げる。たぶんシエルも同じ気持ちだったのだろう。



 グランは『オレ』と言った時、ちょっとだけ怪訝な顔をした。


 腰を曲げてオレとシエルに目線を合わせてから、驚くことに頭を下げた。



「君たちにも迷惑をかけたね。申し訳なかった。二人は、すごいな。子供なのにボアーを3体も倒したのだと先ほど聞いたよ。君はリンバのところのシエルちゃんだね? そっちの子は……見ない顔だが、どこの子だったかな?」



「エカルテちゃんです。わたしの妹です!」



「君が、そうか。リンバが拾ったという」じっと目の奥を探るようにグランはオレを見据えたのは一瞬。すぐに柔和な顔になった。



「エカルテ、シエル。うちの息子を助けてくれてありがとう。本当に感謝している。後日、お礼に上がるとするよ」



「いえ、そんな」



 謙遜するべきか。子供らしく喜ぶべきか。


 オレはどちらも選べなかった。



「私はもう少し調査をして帰る。従者に家まで送らせよう。フリックも、良いな? ちゃんと二人と仲良くするんだぞ。それと今夜私の部屋に来なさい。言いたいことがある」



「……はい。お父様」



 フリックは結局父親の目を一度も見なかった。


 大好きなお父様。それを言ったときの彼の顔に偽りなんて無かったように見えたのに。



 ……あれ。そういえば魔術書はどうなった?

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