二人の勝利



「ちょっとー!」



 と、シエル。



「ご、ごめんよー!」



 と。並走する知らない男の子。



「ふざっけんなー!」



 と。オレ。



 3人で仲良く畑を走っていた。


 ここだけ切り出せば、青春の1ページのようにも見えたかも知れない。


 背後に迫るのが魔獣じゃなければ。



 自分でも驚くほど、息が上がるのが早い。


 荒い息遣いが耳の中に鳴り響いている。


 ひゅうひゅうと、喉から漏れる声だ。


 運動不足が身に染みる。魔術だけでなく、体も鍛えなくてはと切に思った。


 オレが一番足が遅いのだ。かなりショック。



「ふべっ」



 前を走っていた男の子が派手にすっこける。


 シエルがはっとしたように振り返り、男の子に駆け寄る。



「ぼくをおいて逃げろとは言わない! 助けて!」



「言われなくても助けるよ!」



「シエル!」



 3人共、足を止めてしまった。


 正直、オレはシエルにつられただけだ。


 そんなにお人好しではない。



 結果は、まあ。


 ぶるる、と獣の鳴き声がして。


 ようやく追いついたぞと言わんばかりに、勢いそのままにオレたちに突っ込んでくる。



「ソーン!」



 とっさに唱えた魔術はそれゆえに粗雑なものだったが、効果はあった。


 3体の魔物の足に茨が絡みつき、魔獣は驚いたように大きな鳴き声を上げ、足を止めた。



「よし。今のうちに逃げよう! そんなに長くは持たない!」



 オレが叫び、シエルが立ち上がる。「うん! 君もいこう!」


 だけど、知らない男は膝を抱えたまま、泣きそうな顔をして悲鳴を上げる。



「足が! おれた! 動けない!」



「んなっ」



 オレは頭を抱えたくなるのを、なんとか耐えた。そんな暇はない。



「エカルテちゃん! 後ろ!」



 ロープを引きちぎるような音が聞こえる。振り返ると、オレの作った茨を元気に引きちぎりながらそれでもなお前進をやめない魔獣の姿があった。


 相当に怒っている様子で、3体がそれぞれ空気を震わすような咆哮を上げながら、太い枝のような背毛を怒らせている。




「ああ、もう! あんた、立てないの!?」



「わ、わかってるけどっ」



 オレが怒鳴ると、彼は立ち上がろうとはするのだけれど、また崩れ落ちてしまう。


 折れているかはともかく、痛みが酷いのは本当のようだった。



「恨むぞ!」



 オレは彼に肩を貸すと、なんとか立ち上がらせる。


 歩き始めるが、左右によろよろとしてしまい、まともに前に進まない。



「おっもっ!」



 相手も、おそらく同い年ぐらいなのだろう。


 だけど、向こうは男の体で、こっちは少女の体なのだ。


 ついでに運動不足のな!




「ご、ごめんなさい」



「謝ってないで! もっとオレによりかかれ!」



「わ、わかった!」



 よろよろと二人で歩いて、またずっこけた。



「エカルテちゃん。倒そう」



 静かな、だけど決意の滲んだ声が響いた。


 シエルだ。


 オレは慌てて立ち上がりながら言う。



「それ、本気で言ってる?」



「本気だよ! 魔術でやっつけよう!」



 魔術を生物に向けたことは今まで一度もなかった。


 鍛錬は積んできたし、使用できる魔術も威力も大人に負けないと自負している。



 が。



 はっきり言うと、この時オレは完全にびびっていた。


 ここは現実。本の世界のようにオレは屈強な勇者じゃない。あの突進に掠りでもすれば、オレ体は宙に舞い上がって、頭でもぶつけてそれでおしまい。命を失う恐怖も当然あった。



 だがそれ以上に、自分の命を守るために相手を殺すという選択肢。今まで考えたことすらない選択肢。それに、一番びびっていた。



「エカルテちゃんとわたしなら、だいじょーぶ」



 シエルの手は震えている。声もかすれている。


 だけど彼女はぎゅっと握りこぶしを作ったまま、魔獣を見据えていた。



「……。そっか」



「うんっ」



 ああ、もう!


 男らしさとか、女らしさとかそんなのはどうでもいい。


 シエルは、格好いい。


 だからオレも負けたくない。純粋にそう思った。



 とは言え、オレが1匹。シエルが1匹やったとして、1匹は残ってしまう。


 その1匹が誰かを傷つけ無いとも限らない。


 もう、時間がない。3体を同時に仕留めるしかない。



「シエル! そこにウォーターボールして! 特大のやつ!」



 オレが指さしたのは、眼の前の何の変哲もない畑だ。



「う、うん!」



 シエルが詠唱を開始し水球を作り始める。


 大量のを、ぶちまけてもらおう。


 茨が消えるのと、ウォーターボールが放たれたのは同時だった。



「ウォーターボール!」



 シエルが放った大量の水は、乾燥した畑をぬかるみに変える。


 この場の属性を水よりに変化させるのだ。


 ボアーたちが足を踏み入れた瞬間。



「アンスール・イス・ナウシズ」



 そこは泥濘の地と化した。


 ボアー達は体の半分まで泥に埋まり、あがく度に体が沈み込んでいく。


 やがて鼻を泥が覆うのも、時間の問題だろう。



 オレとシエルが合わせて作り上げた、泥濘の魔術だ。


 オレ一人だけでは水属性を充足させる時間がなかった。


 オレは水魔術と遅延魔術合わせた魔術を構築した。


 そこにシエルの水を合わせることでより深いぬかるみを作り出したのだ。



「エカルテちゃん、すごい! すごいよ!」



「ううん。シエルちゃんの力があったから。それに、負けたくなかったし」



「うん? 負ける? わたしなんかしたっけ」



 シエルはきょとんと小首をかしげる。



「……別に良いんだ。とにかく、二人の勝利だよ」



「うん! 二人のしょーり! わたしたちは最強の姉妹だね!」



 シエルはオレの手をとってぴょんぴょんと飛び跳ねる。


 笑顔が眩しすぎて、オレは少し目を伏せた。



 姉妹、ね。ちょっとだけ胸が痛い。


オレは今後成長しても女で”妹”としてシエルの隣で笑っている。


 そんなビジョンが一瞬見えた。



 違う。


 オレは男に戻るんだ。嫌な思考を吹っ飛ばすつもりで、大きく頭を振った。




「そ、そろそろ助けてくれないか」



 あ。そういえば男の子のことを忘れていた。


 改めて見るとこの子、妙に身なりが良いんだ。

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