僕らに答えは存在しない。
夕奏琉
第1話「遠くにあった現実」
――神崎海音(かんざきかいと)が、殺された。
その報せを聞いた時、安堵した自分がいた。それと同時に、涙が溢れてきた。そんな感情はもう無いと思っていたのに。この世界から、神崎が消えた。存在意義が無くなった。その事に対する想いは怒りや喜び等ではなく、哀しみだった。
「通夜は明日行われます」
家に来た警察は深刻な表情で両親に伝えた。及川はただ止まらない涙を手で拭いながら聞き流していた。何故、神崎が殺されたのか、犯人は誰なのか何一つ手掛かりは無いらしい。
「何か解りましたらご連絡下さい」
忙しそうに警察は両親に名刺を渡して引き上げていった。平日の朝から憂鬱な報せを聞かされて、両親も椅子に腰掛けながら項垂れていた。
「・・・お通夜、出た方が良い?」
及川は静かに両親に聞いた。父が優しげな笑みを向け、手招きした。抱き寄せられた及川は父の胸で静かに目を閉じた。
*****
ドンッと思いっきり突き飛ばされ、及川は後ろのロッカーに背中を打った。
「お前はそうやって苦しんでるのがお似合いだ」
笑みを含みながら神崎は及川を見下して言った。他の生徒達も神崎の後ろで似たような笑みを浮かべている。今では見慣れた光景だ。周りで様子を眺めている生徒も同様、救いの手は差し伸べられない。
「神崎・・・」
「目障りだ。消えろ」
ナイフを向けながら神崎は殺意のある目を向ける。武器を蹴り飛ばした所で次の獲物が出てくるだけ。下手に抵抗すれば彼の思う壺。
「・・・・・・」
及川は背中を押さえながら立ち上がり、教室から出ていった。
「及川・・・!」
「水月」
追いかけようとした水月を神崎が呼び止めた。水月は肩を震わせながら振り返る。
「あいつに構うなら、お前も同じ目に遭わせるぞ」
感情の無い神崎の目が背筋を凍らせる。元々大人しい水月に逆らう度胸などなく、その視線から逃れた。俯く彼女を近くにいた女生徒が支える。神崎は舌打ちし、面白くないとでも言うように辺りを見渡した。
*****
夕方のニュースでは神崎の事を取り上げていた。及川は携帯に手を伸ばし、あるサイトを開いた。背景が黒の画面に会話が次々とアップされていく。テレビで報道された情報よりも内容が細かく記されていた。この中でどれが嘘で何が真実(ほんとう)なのかを見極めるのは難しい。ここのサイトに書き込んでいるのは2年Sクラスの生徒達だ。神崎が在籍していた教室。彼らは及川よりも間近で神崎の死を見た。おぞましい光景だったと水月が泣きながら電話してきた。
「神崎・・・」
及川はサイトを閉じ、写真を開いた。彼と写っているものが殆どだ。どれも微笑ましく懐かしさを感じる。自分の隣で楽しそうにピースサインを向けている彼はもう何処にもいない。あの日会ったのが最後だったなんて未だに信じられなかった。
昨日から降り続いている雨が一層強さを増し、家の中にいても音が煩く感じる程だった。ニュースに集中していた母が慌てて2階の雨戸を閉めに行く。秋に入ってから雨ばかりの日が多い。及川がニュースに視線を戻すといつの間にかグルメ特集に変わっていた。
*****
下校時刻の過ぎた時間に、2年Sクラスに訪れた生徒がいた。夕陽も沈み、薄暗くなった教室は静寂に包まれており少し不気味に感じた。水月は携帯を大事そうに持ちながら室内を見渡した。いつもは賑わっている教室もこの時間になるとただの箱のように感じる。同じ歳の子どもが一つの空間に収容され、同じ事を学ぶ場所。其なのに何故、このクラスはこんなにも冷たい空気を放っているのだろう。
コンッ――
何かが当たる音が聞こえ、水月は小さく悲鳴を上げた。室内には自分しかいない。何も無ければこのまま帰ってしまえば良い。其れ丈の事。
「・・・気のせい・・・かな」
携帯をぎゅっと握りしめ、水月は出ていこうとした。
ガラッ――
「きゃっ・・・!」
ドアを開けようとした際、勝手に開いたので水月は声を上げてしまった。心臓が激しく鳴っている。
「・・・なに?」
現れたのは同じクラスの蒼衣だった。不機嫌そうな表情で怯えている水月に視線を向ける。
「あ・・・なんだ。蒼衣ちゃんか・・・」
「あんた、何やってんの?」
安堵した水月に蒼衣は淡々とした口調で聞く。彼女も手に携帯を持っていた。
「・・・か、神崎に・・・教室見て来いって言われて」
「何それ。命令されたの?」
「うん・・・。ライン来たから・・・」
「其れで律儀に守った訳?あんたもバカだね」
蒼衣は自分の席に行き、引き出しの中から充電器を出した。学校では充電や況してや携帯の使用は許可されていない。けれどこのクラスは特別で担任の許可の元、室内だけ堂々と使用する事が可能だった。
「・・・で?何かあるの?」
「・・・何も無かった・・・」
「そうやって良い子みたく何でも言う事聞いてたら、其こそ神崎の言いなりだよ?少しは反抗の意思でも見せたら?」
「そんな事したら・・・」
コンッ――
また同じ音が聞こえ、水月は思わず蒼衣にくっついた。蒼衣は動揺せず、辺りに気を張った。
「・・・今、そこから聞こえたよね」
くっついている水月には構わず、蒼衣は掃除道具入れのロッカーに近付いた。
「これ・・・」
ロッカーの下から水のようなものが床を濡らしているのに気付き、蒼衣はトントンとロッカーを叩いた。
コンッ――
何かの合図みたいに音が返ってきた事に水月は益々怯え、蒼衣の側から離れられなくなった。
「誰かいる」
バンッと思いきりロッカーを開けると何かが倒れてきた。蒼衣は咄嗟に避けたが、出てきた人物に言葉を失った。
「・・・何で・・・」
ロッカーの中から現れたのは、全裸のまま縄で縛られ、口にはガムテープを貼られた及川の姿だった。後ろ手にもガムテープを巻かれており、身体には痛々しい程の痣があった。
「保健室連れて行くよ」
「うん・・・」
水月は及川を縛っている縄とガムテープを取り、蒼衣と一緒に急いで保健室まで運んだ。丁度帰ろうとしていた保健医の黒野と会い、事情を説明しながらすぐに手当てをして貰った。
「・・・酷いわね」
及川をベッドに寝かせ、消毒を終えた黒野は溜息混じりに呟いた。
「彼の制服は?」
「教室のゴミ箱の中にあったわよ」
汚れている彼の制服を洗濯機に突っ込みながら蒼衣が答えた。手慣れた様子でピッとボタンを押し、洗濯機に寄りかかった。
「誰がこんな酷い事・・・」
「決まってるじゃない。神崎でしょ」
「・・・あたしも、そう思う・・・」
「よくある事なの?」
「いじめだからね。及川がこういう目に遭うのはこれが初じゃない。今回は痣と擦り傷で済んだけど、エスカレートしてるのは事実よ」
蒼衣の話を聞いて黒野は俯いた。2年Sクラスにいじめがある事を知っているのは担任だけだ。その担任もいじめを黙認している。
「校長先生に伝えないと・・・」
「ダメだよ。これはうちらのクラスの問題だから。担任が黙認してるのも、責任逃れなんかじゃない。だから、余計な事して拗らせないで」
冷たい視線に黒野は言い返す言葉を飲み込んだ。部外者は入ってくるなと目で訴えているようだ。有無を言わせぬ強い目力に黒野は黙って頷いた。
*****
お通夜には2年Sクラスの生徒達全員の姿があった。及川もその中にいた。彼らは暗い雰囲気に飲まれそうになりながら神崎の死を悼んだ。
警察の人達も事情を取りに訪れていた。何人かの生徒が捕まったらしいが誰一人あの時の事は話したくないと首を横に振っていた。蒼衣と水月も目を付けられた。だが、蒼衣にきつく断られすぐに追い返されていた。及川の所にもやって来たが、あの時はその場に居なかったからと短く答えやり過ごした。
神崎の事はニュースでもまだ取り上げられている。警察は調べを進めているが未だ犯人すら解っていない。
「及川君・・・」
帰ろうとしていた彼に声を掛けたのは、神崎の両親だった。二人とも以前会った時とは別人みたいでとても疲れた顔をしていた。
「・・・何ですか?」
「・・・済まなかったね・・・。海音が酷く君をいじめていたと聞いたよ・・・。本当に申し訳なかった!」
深く頭を下げながら謝罪する二人に及川は手を強く握りしめた。
「・・・いえ・・・」
謝って欲しかったのはお前らじゃない。そう言いたかった。けれど、此処でそんな戯れ言を言っても意味を成さない。及川は二人に一礼し、その場から立ち去った。
*****
朝から雲行きの怪しい天気だった。2年Sクラスの担任である雨音はいつもと同じように出勤し、後輩が淹れてくれた珈琲を飲みながらパソコンを開いていた。教師になって7年目にもなると要領よく仕事を成せる事に物足りなさを感じていた。変わらぬ日常がある事は喜ばしい事なのだろうが、もう少し変化があっても良いのではないかと思っていた。
パソコンで今日の小テストを確認していると外から雷の音が聞こえてきた。空は真っ暗でいつ雨が降ってきてもおかしくない天気になっていた。
「雨音先生。荷物が届いてますよ」
用具員の武田が重そうに木の箱を抱えてきた。雨音は荷物など頼んだ覚えは無かった。
「なんだろ」
「あー!ひょっとしてこの間のテストの結果が良かったからじゃないですか?」
隣の席の体育教師が興味津々に声をかけた。1ヶ月前、雨音のクラスはテストでこれまでに無い位、高い評価を得た。クラスの全員が全教科90点台をキープしたのだ。雨音も喜んだし生徒達も多いに感動していた。校長が気を利かせてプレゼントしてくれたものだろうと思い、雨音はクラスで中身を確認する事にした。
「重いな・・・。教材か・・・?」
だが持てない程ではないので、雨音は木箱の上に乗せた出席簿を落とさないように注意しながら教室へと向かった。
2年Sクラスはいつものように賑わいでいた。雨が降り出した事にも気付かない様子で雰囲気は明るかった。
「及川、今日も休みだって」
窓側の一番後ろの席を見ながら男子達は話していた。ぽっかりと空いた席を今では誰も気にしない。
「そういや、今日神崎は?」
「さぁ?来てなくね?」
騒ぐ男子達の隣の席で水月は関わらないように静かに絵を描いていた。
「鹿目、忘れ物」
そんな水月を眺めていた鹿目に蒼衣が携帯を渡した。
「ありがとうございます」
お礼を言う鹿目の横を通り過ぎ、遊佐は読書している永瀬に声をかけた。
「はよ」
「今日は来たんだ」
「そろそろ来なきゃヤバイしね」
「自覚あるなら毎日来なよ」
「其は明日によるなぁ・・・」
ドンッ
「ごめんね」
溜息をついた遊佐にぶつかった檜原(ひのはら)は短く謝りながらドア付近にいる隣のクラスの女子に借りていたCDを渡した。
「ライブのもあるけど、見る?」
「見る見る。出来れば二人きりで」
耳元で囁かれた女生徒は真っ赤になりながら「今度持ってきます」と約束した。
「やっべ・・・!ギリギリ・・・」
ホームルームのチャイムが鳴り出した時、慌ただしく教室に入ってきた高嶺凛(たかみねりん)は息を整えながら席に着いた。
「凛サン、間に合いましたね」
「おぅ!走った甲斐があったぜ」
全員が着席した頃、雨音が入ってきた。気を付けながら木箱を持っていた為、変な所に余計な力が入り教壇の机に木箱を置いた時、手が震えていた。
「センセー。それ何ですかー?」
気になった生徒がすぐに雨音に問いかける。他の生徒達も何が出てくるのかそわそわしていた。
「あー・・・これなぁ・・・。お前ら、先月テスト頑張っただろー?その褒美らしい」
そう伝えると賑わいは一気に増した。褒美とかプレゼントとか言う言葉は生徒達の大好物だ。
「中見せてよー」
「おぉ、そうだな。何が出るかなー」
雨音も生徒達も豪華なプレゼントが出てくる事を期待した。
「・・・えっ・・・」
「うそ・・・」
「・・・っ、きゃあぁあ――!!」
ガタガタっと椅子から落ちる生徒や震えで泣き出す生徒。高まった期待は見事に裏切られ、皆は箱の中身から目を逸らした。
「・・・嘘だろ・・・」
雨音も箱の中身に対処仕切れなかった。思わず足が震え、腰が抜けた。
木箱に入っていたのは豪華なプレゼントなどではなかった。それは、見てはいけないもの。
――生徒の、生首――
とても綺麗な顔立ちをした生徒の首。有り得ない現実は唐突に訪れた。
その首は、このクラスの生徒のもの。
神崎海音の首だった――。
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