死神の贈り物

白鷺雨月

第1話死の間際に

一人の男がこの世を去ろうとしていた。

男の病名は胃ガンであった。

病気が発見されたのは、約6ヶ月前。

急な腹痛を覚え、病院に駆け込むようにいったところ、精密検査を受けるようにいわれ、そのように診断された。

すでにガンは体中に転移しており、同時に余命半年と告知をうけた。


窓から流れる風はわずかに湿り気をおび、皮膚をなでる感覚は心地よい。

日差しが眩しく、温かい。

「今日はいい天気ね」

娘の明美が言った。

窓の左右の端に追いやられた白いカーテンがゆらゆらと揺れている。

眼だけを動かし、男は娘の三十歳はこえているはずなのに、そうは見えない幼い顔をみた。

コンビニでいまだに年齢確認されるのよ、というのを、めんどうくさそうに、かつ自慢気に言うのが、彼女の口癖だった。

鎮痛剤のため、もうろうとする意識のなかで男はわずかにのぞく窓からの景色をみた。

現在の彼にとってその代わり映えのしない景色と病院の白い天井だけが、世界のすべてであった。

サイドチェストにおかれた花瓶の花たばを整えなおし、わずかに乱れたシーツを整えると明美は窓をそっと閉めた。

男の痩せ細った顔を見る。

すでに通常の食事はできなくなり、チューブなどでどうにか栄養を補給している状態であった。

医師からはいつその時がきてもいいようにといわれている。

不思議と涙はでない。

悲しいという感情はあまりない。

自分は冷たい人間なのかなと明美は時々おもう。

いがいと人間はもっとも近い人間がこの世を去ろうとするとき、氷のように冷静なのかもしれない。


葬式はどうする。

財産はどのように処理する。

お父さんの唯一の趣味の釣り道具はどうするかなど。


彼が死んだ後のことを考えると悲しみよりもそういった雑多なことに心をうばわれ、泣いている暇などなかった。

いつも急なんだから。

心の中で明美は愚痴を言い、病室をあとにした。

薬の効果だろうか糸の切れた操り人形のように男はねむっていた。


カツカツとリズミカルな足音をたて、明美と入れ替わりに一人の大柄な女性が病室に入ってきた。

赤い癖の強い髪はまるで燃え盛る炎を連想させた。ボリュームたっぷりの胸を揺らしなが、女は病室にそなえつけのパイプ椅子を引き出し、腰かけた。

ハイビスカス柄のアロハシャツにショートパンツからのびた白いむっちりとした足は健康的であり色気もあった。

派手なアロハシャツのボタンは二つめまで開けられており、豊かな胸の谷間が遠慮なくみることができた。

これまた赤くふっくらとした唇をもつ口にチュッパチャップスを咥えている。

ショートパンツのポケットからスマホを取り出し、人一倍大きな瞳でその画面を眺めた。

「山柿敏夫、六十四歳。病名は胃ガン。性格は温厚で正直。一人娘を男手一つでそだてるか……なかなかいい男じゃないか……」

想像よりも高い声で女は言った。

その女の声で意識を取り戻したのだろうか、うっすらと敏夫はまぶたをあけ、声の主に視線を送る。


「やあ、お目覚めかい。あたしは死神のエルザさ」


うふふと病院には場違いな笑みを浮かべ、彼女は言った。






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