27「それぞれー1」

「なに? まだ誰も殺せていないだと? 固まっているとはいえ、数はおまえらの方が勝っているだろう。外に通じている扉が開いていたから追いかけたのにいなかった? 馬鹿、そんなわかりやすいフェイクに引っかかるな。大方近くに隠れてやり過ごしたんだろう。ああもう、戻らなくていい! どうせ消えてる!」


 苛つき、つい踵でコンクリートを蹴ってしまう。


「正門に一グループ、裏門に一グループ、外の巡回に一グループ、残り三グループは中を担当、その状態をキープしろ。いいか、忘れるなよ? くれぐれも白いパーカーを着た奴は殺すな。そう、あの近づくとヤバいやつだよ。......ああ、そうだ。残りの六人を殺せたらおまえらの願いを叶えてやる。その代わり、できなかったらわかってるだろうな? ......そうだ、それでいい。じゃあ......」


 切ろうと通話ボタンに指を伸ばしかけるが、慌てた声が聞こえて止める。


「どうした? ......何? やつらがバラバラになってるって情報が来た? 単独行動か? 本当ならどういうつもりだ、罠か......? いや、まあいい。そいつらにはまだ襲うなって伝えろ。俺とおまえらの情報を擦り合わせて対策法を考えたから、それを送る。あいつ以外は全員無力な連中だ。慎重に、確実に殺せ。何かあったら報告しろ。いざというときは......こいつの出番だからな」


 それだけ言い残し、通話を切る。ふーっと息を吐いて見上げれば、汚れのない青空が目に入った。忌々しいと舌打ちし、暑さを振り切ろうと傍に置いてあった水を一気飲みする。空になったところでそれを投げ捨て、カコンと空虚な音を立てた後に再び舌打ちをする。


「やっぱここ以外の方がよかったか......? いくら日陰に避難して水分を備蓄していても、熱中症で倒れたら意味がない。だが少し頭の回るやつならここに逃げ込まない、つまり俺の存在がバレることもない。当然見晴らしの良さもここがまだいいし、何より見つかりにくい。それに......」


 ぶつぶつ呟いていた彼はそっと隣に手を伸ばし、黒くうごめいている影を撫でる。その影は彼の手に気づくと――噛んだ。


「いっっ......おっまえ! 主人であるこの俺を噛んだな!? 噛んだだろ!!」


 怒鳴ってみせても、影は知らんぷりで眠り始める。それにますます青筋を浮かべるが、本来の力量差を思い出して何とか怒りを鎮める。


「まあいい。いざというときは役に立てよ」


 それだけ告げれば、影は尻尾と思われる部分を一振りして応える。本当に大丈夫だろうかと一抹の不安を覚えながら、彼は自分の役割に従事するのだった。





 一階の男子トイレの個室で、梓はトイレの蓋の上で体育座りをしていた。顔を伏せたまま動かずじっとしている。断頭台に連れていかれるのを待つ罪人のようだ。

 もうどうでもいい。馬鹿みたいだ。そんな投げ捨てるための言葉ばかりが、胸中を巡っている。仲間だと思っていたのに、たった数日しか過ごしていなくても、ちゃんと絆があると思っていたのに、そう思っていたのはオレだけだった。仲間だと思っていたのはオレだけだった。とんだ茶番だ、本当に馬鹿みたいだ!!

 少しだけ顔を上げ、遠くを見つめる。思い出していたのは昨日の記憶。夏鈴が言い放ったあの言葉のとき。

 「自分はどうして生まれてしまったのだろう」という言葉は、たしかな目印だった。トラウマを抉られるけがをするかもしれない状況に精神を蝕まれつつも、梓はちゃんと仲間の表情を見ていた。息を奪われたような、あの表情。あれは身に覚えのある顔だった。彼らも「傷つけられた側」なのだという証拠。

 少しだけ期待していた。似た者同士なら、自分の傷を理解してもらえるかもと。そうしたら何か、何か少しでも救われるものがあるんじゃないかと。だがその希望は、つい先ほどついえてしまった。


「ああでも、オレはこれで正しいのかも」


 だって、あのときひかるをちゃんと止めていれば、ひかるが大怪我をすることはなかった。止めなかったのは自分だ。悪いのは自分だ。ひかるの両親から奴隷のような扱いを受けるのも、車椅子に座るひかるの姿を見るたびに、罪悪感に心が悲鳴を上げるのも、家族に心配をかけないように精神を軋ませて、無理矢理笑わなければならなくなったのも。


「全部、オレの自業自得じゃん。......何救われようとしてるんだろ」


 自分がほしかったのは「仲間」ではなく「慰め」だった。そのことに気づいた梓の瞳から、光が消えた。





 桜子は行くあてもないまま校舎内を彷徨っていた。ときどきどこかに隠れては五分も経たないうちにそこから離れ、またすぐに隠れては出て行ってしまう、その繰り返し。今は適当な教室の教卓の下に隠れているが、失敗だったかもしれない。教卓の下は地獄の始まりを思い出させる。

 すぐに落ち着かなさを覚え、下から這い出た。ふと横を向けば、外には一面の青空が映っていた。


「きれ、い......」


 苦しみに近い切なさを感じさせる空に、桜子はふらりと立ち寄ると、不用心にも窓をガラリと開けた。カーテンを躍らせて飛び込んできた風が桜子を包み込む。陽光が空に煌めいて、その眩しさに目を細めて。

 ......この空のもとで飛べたらな、なんて思う。


「林と、陽介と、一緒に、飛びたかった、な......」


 じわりと目に涙が滲む。わかっている。怜に言ったことは紛れもない本音だ。三人一緒にはいたけれど、三人だけだった。孤独には違いなかった。だから三人こどくでいること以外の安寧を知らないし、傷まみれの自分たちが誰かと笑いあえるとも思えなかった。

 でも本当は、それでもやっぱり三人でいたかった。あんな形で別れが来るなんて思わなくて、だけど二人を繋ぎ止める方法もわからなくて、何もできなかった自分がひどく憎い。


「ずっと、三人一緒、信じて、疑わなかった、のに......ううん、本当は、三人だけ、じゃなくて、あの空間が、嫌いじゃ、なかった」


 初めてに近い感覚だった。誰も彼もが敵だった場所から放り出されて、その先で急に人の温度に触れて、戸惑いもしたし逆に警戒もしたけれど。


「優し、かった。目を向けて、くれて、理解、してくれて、褒められて、助けて、くれて」


 ふる、とまつ毛が震えて湿った。


「......戻りたい、なあ......戻れない、か......」


 下手くそに笑ってみせる。少女の瞳からボロボロと零れた雫が、太陽の光のもとで輝いた。





 花木が自殺した。そのことを知ったのは、寒さの厳しいある朝のHRのときだった。

 どこから漏れた情報なのか、後から聞いた話によるとマンションの屋上からの飛び降り自殺らしく、脱いであった靴の中に入れられていた遺書にいじめたやつらの名前が書かれていたらしい。朝から学校中大騒ぎだった。

 気がつけば、少年は保健室の椅子に座っていた。いつのまにか昼休みになっており、少年は昼も食べずにここへ来ていた。いつも花木を手当てしていた場所だった。保険医は職員会議で席を離れているのだろう。

 少年は手を組み、深くこうべを垂れた。


「花木......なんでだよッ......!!」


 思えば予兆はあったのだ。担任にいじめのことを伝えてから数日後、なぜかいじめが悪化していた。自分が庇いに入ってもそれなりの巻き添えを食らうぐらいには、いじめていたやつらは激昂していた。心当たりを花木に訊いてみても「知らない」の一点張りで、それが何かを隠しているようにも思えた。

 もっと早くに担任に言えばよかった。花木に心当たりがあるのなら、無理矢理にでも聞き出せばよかった。今自身を襲っている感情が後悔だ。後悔とは、何もかもすでに終わった後に来るものだ。

 花木を喪った悲しみやら自分に対する怒りやらに押し潰されかけながら、少年はしばらくそのままでいた。伏せた表情は能面となっていて、内を荒れ狂う感情は止まらないままで、そうしているうちに予鈴が鳴った。どうにか立ち上がった少年は、フラフラと覚束ない足取りで自分の教室へ戻る。

 帰巣本能で教室に辿り着き、ドアに手をかける。しかし中から聞こえた声に思わず動きを止めた。


「じゃあ、なに? あいつらって花木がチクったから怒り狂ってたのか?」

「実際先生に言ったのは天野みたいだけどね。何にしろ、それで担任があいつらに中途半端な注意して逆上したんでしょ」


 自分の名前が出てきて驚いた少年は、咄嗟にドアの陰に隠れてしまう。クラスメイトたちは少年の帰還には気づかず、そのまま話を続ける。


「俺も見たよ、それ。天野が先生に花木のいじめについて話しているところも、先生があいつらに注意してるところも」

「注意しただけだもんな。そんなのでいじめは止まらねえだろ。逆に煽るだけ。こりゃー花木が自殺した原因は担任になりそうだな。まあ、いじめてたやつらって教師の中でも何人かビビってたし、変に大きく動いて目をつけられたくない気持ちはわかるけどな」


 少年は愕然となった。担任がそんな適当な対応しかしていなかったことを知り、怒りも湧いた。だが別の声が彼を凍らせた。


「......けどさ、そもそも天野が担任にチクらなきゃ、花木は死ななかったんじゃないのか?」

「おい、本人いないからって言って良いことと悪いことがあるぞ」


 別のクラスメイトが窘めるが、彼の言葉は止まらない。


「だって先生に言ったところでいじめなんて解決しないし、ましてやあの担任が真面目に取り合うとは思えないだろ? これ、天野の判断ミスじゃないか? 天野が花木を死に追いやったも同然だろ」


 ピシリ、少年の内にひびが入る。


「おい、さすがに気分悪いぞ」

「褒められて頼られて舞い上がったのか知らないけど、それでいじめを解決しようなんてイイコちゃんぶった行為に走るから、人を死なせてしまうんだよ。いじめなんて下手に介入しない方がいいのに、まー正義面しちゃって」

「ねえ、ちょっと言い方......」

「無理に解決しようとしなけりゃ花木ももう少し、いやそもそも自殺することもなかったかもな。どうにか耐えて卒業できたかも。それを自分の自尊心を満たしたいやつの食いものにされて、可哀想に」

「おまえ言い過ぎだろ! いい加減にしろ!」


 一人の物言いに複数から非難の声が上がる。しかし少年の耳には入ってこなかった。


 ――......花木が心当たりがないって言い張っていたのは、その原因が俺にあったから? 俺が担任に言ったことでいじめがひどくなって、花木は死んだ? 花木を死に追いやったのは、俺?


 乾燥していく口内、じとり、じとりと増えていく汗。わけもわからず緊張と恐怖でガタガタと震えだす体を抱きしめて押さえつける。極限まで見開かれた目の奥にある小さな瞳孔は、縦横無尽に激しく揺れていた。

 そこへ、ついにトドメとなる言葉が放たれた。


「あーもう、うるさいな。どうせ天野の行動なんて、全部自分の自尊心を満たして他者を見下すための自己満足なんだよ。無償で善行をする人間なんているわけないんだから。だから今回の件も、今までのあいつの善行も、全部私欲による空虚なもの」


 そんなの、無意味も同然じゃん。





 あれから少年は大人になった。背も伸び、体格もしっかりとしたものになっていた。ものの考え方も変わり、感情の制御も上手にできる大人になっていた。

 だがしかし、あのときの傷は。

 心に突き立てられて未だに抜けない言の葉だけは、少年時代に残されたままだった。

 かつて少年だった彼は、教室のドアに無気力にもたれかかっていた。生徒のいない空っぽの教室は、彼の空虚な心と同等だった。

 結局、自分のやることは何の意味も持たないのだ。誰だか知らないクラスメイトの言ったことは正しかった。本当に自分が誰かのためを思って行動したのなら、間違いなくそれは相手の心に届いていたはずなのだから。


 ――誰かのためだなんて思っていたのは俺だけで、本当は俺の言動は空虚なものでしかなかったんだな。


 なら、もういいや。空っぽの想いしか届けられないのなら、届ける相手もいないこの世界で、このまま。ああ、でも。


「あいつらのこと、結構好きだったんだけどな。こんな俺の言葉にも耳を傾けてくれて、リーダーだなんて慕ってくれて」


 帰りたい。

 その想いすらも、空虚なものだろうか。

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