6「扉を開けば」

「ッ!」


 中から飛び出してきた拳を避け、その手を掴んで引っ張り出した。だが掴んで離さないつもりが、逆に手首を掴まれて捻られたことで簡単に外されてしまう。

 飛び出してきた影は三人。うち二人は怜が一人を相手している隙にまっすぐ扉を目指していた。怜がそのことに気づいて振り返れば、虚を突かれてもう一人が怜の横を走り抜ける。


 ――このまま逃がしてはいけない。


 本能的にそう感じた怜の瞳孔が、キュルッと細くなる。瞬間、床を力強く蹴って一気に距離を詰めた。


「うわッ!?」


 最初に捕らえたのは先に逃げていた二人のうちの片方。襟首を掴んで引き寄せ、素早く抱え込んで肩に担ぐ。

 怜が相手していた一人がそのことに気づき、振り向きざまに怜の腹部目がけて膝蹴りを繰り出す――そのタイミングを狙って怜は直角に身体を動かして膝蹴りをかわすと、足払いで支えとなった左足を崩し、その身体を床に転がす。

 最後の一人を捕まえるのは簡単だった。二人を助けようと突進してきたところを受け止め――その素早さと勢いには驚いたが――小脇に抱える。

 さらにタイミング良く、少しだけ開かれていた部屋の扉が勢いよく全開になった。


「れぇぇーーいッ!! 自分、今日から居候の身になるのに何暴れてッ......は?」


 鬼の首を獲らんとばかりに怜に向かってライトを照らした恒輔は、しかし目の前の光景に出鼻を挫かれてしまっていた。そのライトのおかげで、ようやく捕虜の姿が判明した。


「あのー......逃げないから離してくれません? この体勢で連行されるのはちょっと......」

「む、無理だ。この人、力が強い......」

「逃げ、られない......」


 肩に一人、黒髪を一つくくりにしたメガネの少年。足の下に一人、怜や恒輔よりもやや身長の高い黒髪短髪の少年。脇に一人、明るい茶髪をポニーテールにまとめた少女。彼らはずっとこの家にいた。空と梓以外住んでいる人がいないはずの、この家に。


「ハアアアアアーーーーッ!?」


 地鳴りもかくや、恒輔は家を揺るがすほどの驚愕の叫びを上げた。あとからドタドタと空と梓が同時に駆け込んできたが、その二人も怜に捕らえられた少年少女たちを目にした瞬間、キャパオーバーを迎えていた。


「お、おおおおおおッ!?」

「ええええええええッ!?」


 こうして、見事な不協和音を織り成した三声合唱は世界全体を揺るがし、この阿鼻叫喚は向こう十分は続いたのだった。





 異様な光景ができあがっていた。

 この家で一番広い部屋――最下の階、リビングにて全員が集まっていた。わざわざテーブルを端に寄せ、恒輔を始めに空、梓が目の前で並べられている者たちを見下ろす。

 どこか飄々としている黒縁四角のメガネ少年。一つ括りの長い黒髪は癖毛らしく、あちこちが小さく跳ねている。いまいち考えの読めない表情は目が大きいのもあって幼げに見える。灰色のTシャツとカーキのパーカーを纏う体つきは細く、裾の折られた黒のジーンズから見える足首も細い、というより何だか不健康そうだ。

 逆にその隣の少年は背が高く、細身ではあるが筋肉質であることが窺えた。少しだけ前髪を上げた黒い短髪に、中心に大きめの黒騎士のロゴが入ったTシャツも相まって健康的な男児らしい。それなのに羽織っている薄紫のカーディガンはこんな暑い中にも関わらず、少しも腕まくりがされていなかった。今、その精悍な顔つきは気まずそうに伏せられていた。

 明るい茶髪のポニーテールを持つ少女は、どこか怯えている様子でそわそわしていた。青と白のボーダーのTシャツ、黄色のパーカー、薄青のアンクルジーンズ。ボーイッシュなその恰好はスラッとしてる体躯にピッタリで、美人寄りの顔も男なら惹かれるものを感じるのだが、伏し目がちの暗い表情がそれを台無しにしていた。

 正座させられながらも寄り添う三人は表情は様々なれど、こちらを警戒していることが目に見えて明らかだった。何もするつもりあらへんのに、っちゅーか先に何かしたのはそっちやろと面倒臭そうにしつつ、恒輔は彼らから幾分間を空けて座っている四人目を見下ろした。


「恒輔くん、この位置だと俺まで尋問受けそうなんだけど」

「むしろ自分が一番のキーパーソンやからその位置なんやけど?」


 恒輔は、ニャー太を膝に乗せて三人同様に正座させられている怜の前を陣取り、仁王立ちしていた。こいつがその程度で怯むタチではないとわかっていても、精一杯の威圧を醸し出した。案の定、彼は無表情のまま平然と返す。


「俺、隠れていた三人を連れ出しただけなんだけど」

「そうですね。襟首を掴まれたり足払いをかまされたり、それはもう懇切丁寧に誘拐されましたよ」

「思ったより強引!!」


 「もっと他に捕まえ方あったやろ!」と、今すぐにでも怜の胸倉を掴んで激しく揺さぶりたい衝動に駆られたが、一生懸命我慢する。

 とにもかくにも最年長である空がこの場を取り仕切ることになり、奇妙な裁判が始まった。空は最初に何とも言えない表情を怜に向けた。


「えーと、まずは怜」

「はい」

「いつから気づいてた?」

「ここに着く前から」

「どうやって気づいた?」

「カーテンが揺れていたのが見えた」


 「見られてたかー」と、メガネの少年は全く反省していない様子で呟いた。


「んで、怜さんは荷物を置いた後に上へ向かったわけか」

「うん。ニャー太が匂いを嗅ぎ当ててくれた」

「その猫、大分飼い主に感化されてるな」

「犬の仕事ですよ、それ」


 呆れた空気を切り替えるように空は咳払いすると、「んじゃ、次は......」と本格的に三人と向き合った。


「どうやって入った。一応、鍵はかけて出ていったんだけどな」

「ピッキングで」


 怜とはまた違う雰囲気で平然と答えるメガネの少年。空は眉根を寄せたが、そのまま続けた。


「いつ入った? 目的は?」

「二十分前。化物に追いかけられてここまで来たんですけど、どうしても腹が減ったので適当にお邪魔させてもらいました」


 饒舌に答える様に罪悪感が微塵も感じられないが、情報は落ちた。彼ら三人は化物と遭遇済みだ。

 そこで「あれ、待って」と梓が声を上げた。


「オレたちここに着いてから荷物運び込むのに十分ぐらいで、こいつらを見つけて......十分以内に鍵開けて入ったってことか? え、鍵開けってそんなすぐにできるものなのか?」

「......手慣れてるみたいだな」


 空が軽蔑の眼差しをメガネ少年に向けたが、彼は「えー、違いますよ」とヘラヘラ笑いながら答えた。


「鍵って、要はシアラインさえ揃ってしまえば開くわけじゃないですか。だからヘアピン使ってレーキングで開けたんですよ。慣れてるんじゃなくて、仕組みを知ってただけです。まあ、初めてだったんですぐに開くかどうかは運次第でしたけど」

「シ、シア......? レアケーキ......?」

「鍵は中に上ピンと下ピンがある。シアラインはそれら二つの隙間のことやな。レーキングはピンを弄り回すことで開けるピッキング方法の一つ。シアラインが揃えば鍵はなくとも開くんや」

「わー、すごい。知ってたんだ。賢いですね」

「お互いさまやね」


 棒読みに近いわかりきったお世辞を言うメガネ少年に、恒輔は営業スマイルで応えた。


「へ、へえー......って、そうじゃない!」


 解説を入れれば梓は納得しかけたが、我に返って一人一人を鋭く指差した。


「おまえら! それ! 不法侵入だろ! しかも勝手に人の家の飯食おうとして!」

「不法侵入は認めますけど、飲食はしてませんよ。車の音が聞こえたんで、念のため二階に避難して、時期を見て抜け出そうと思ったんです。おかげで食い損ねましたよ」

「~~~ッ!!」


 あくまで飄々と答えるメガネ少年に、梓の堪忍袋の緒が切れそうだった。死人が出る前に退場させるべきかと考えたところで、恒輔はさっきから残りの二人が一言も喋っていないことに気づく。


「......こいつばかり喋っとるけど、あとの二人は何や言うことないんか」

「言い訳はしません。勝手に入ったのは事実ですから」

「......」


 背高少年は気まずさを残しながらもきっぱりと答え、少女にいたっては頷くだけだった。大方はメガネ少年と同意見、ということだろう。そこへ当の彼が口を挟んでくる。


「もー、そいつらに訊いても何も面白い答えは返ってきませんよ。この二人は基本オレの言いなりで、オレについてくるしか脳がないんで」

「おまえ、そんな言い方ッ......」


 梓が彼に詰め寄ろうとしたが、恒輔は先読みしてさっと割って入って食い止めた。阻まれた梓は奥を睨んでいる。殴りはしなくても胸倉を掴むだけのことはしただろう。

 一方でメガネ少年はそんな梓をせせら笑うように、「だってありのままの事実ですもん」と軽い調子で答えるだけだった。


「オレ、この中で一番頭脳には自信あるんですよ。だから大体考え事はオレの専門。こいつらも馬鹿ではないんですけど、オレには敵わないんで。まー仕方ないですよね。生まれついての差ですからね」


 演技っぽく、両手を広げて肩を竦める、そんな人を小馬鹿にするような仕草と笑みに、恒輔は思わず顔をしかめそうになったが堪えた。


「てか話すこと話したと思うんで、もうここから出てもいいですか? それとも不法侵入して盗み食いまでしようとしたツケ払った方がいいですか? 何にしろ男ばかりに囲まれた状況って、女子にとってはキツいと思うんですけど」


 そう言ってメガネ少年がチラッと奥へ目をやった先に、いつのまにか震えが激しくなっている少女の姿があった。顔を俯かせていて表情はよく見えないが、膝の上の手は強く握り締めすぎているせいで震えていた。その隣で、背高少年が心配そうに背を撫でて落ち着かせようとしている。

 空と梓と顔を見合わせる。「どうする?」と互いの瞳が問うていた。

 たしかに、不法侵入や未遂とはいえ窃盗は許されることではないが、それで罰しようという考えはなく、済んだら済んだで拠点から追い出すつもりでいた。だが今は真夜中、ただでさえ危険な時間帯。加えて化物と狂った連中が彷徨い、そんな彼ら三人はおそらく梓より幼い。今ここで追い出すのは気が進まない。

 こちらの気を知ってか知らずか、メガネ少年は「早くしてくれません?」と急かしてくる。


「別に余計な心配はせずとも大丈夫ですよ。ここに来てから今日で三日目ですし、何度か化物に襲われたりしましたけど切り抜けてきたんで。他人の身を案じるの、面倒臭いし疲れません?」


 再び詰め寄りそうになった梓を、恒輔は慌てて再度止める。彼はこう、他人を煽るのが生き甲斐なのだろうか。それとも無意識なのか。

 そこは置いといて、これ以上は梓の精神上よろしくない。アイコンタクト会議は彼らにお帰り願うことで話がまとまった。

 「じゃあ、もう......」と議長の空が不承不承といった様子で終幕を告げようとし、微妙にだれた空気になったときだった。

 それまで背景に徹し、聞き役にも徹していた怜が口を開いた。


「俺、その三人仲間に欲しい」

 


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