第12話 二度あることは、


 その後、全学年――2、3年に関しては文理それぞれ――の掲示が写っているものを手分けして調べたものの、墨書きの一文字いちもんじが見えるのは、やはりその二つだけだった。


 指先でこすってみても、掠れるどころか、墨やインクがついたような摩擦の変化さえ感じることができなかった。

 例えば最初の写真に線を引き、それを再びプリントし直すようなことをすれば……とも思ったが、そこまでして自分を陥れるメリットが果たしてこの人たちにあるのかと考えると、途端に馬鹿馬鹿しくなった。そんなもの、あるわけがないのだから。


 しかしそうなると、問題の根はより複雑に、深くなる。


「先輩たちがしたんじゃないってなると……もしかしてこれ……」


 その推測を口にするのには、少々ならず抵抗があった。

 それでも胸に仕舞い直すこともできず、敦司あつしは結局、躊躇い交じりに吐き出した。


「……心霊写真、ってやつですか?」


 馬鹿げていると笑い飛ばされるものと思いながらのそれに、しかしみおは、眉根を寄せたままの気難しそうな表情で応じた。


「だとしたら、とても厄介だね」

「へ? 厄介……ですか?」

「だってそうだろう? ――今回の二つの死亡事件の要因が、もしも心霊的ななにかだとすれば、警察や学校による普通の捜査じゃあどうにもならない。この写真を持ち出して『もしかして霊の仕業じゃないか』なんて訴えてみたところで、思春期特有の精神疾患だろうと思われるのが、面白くもないくせに一番可能性の高いオチだよ」

「厨二病ってやつね。……ほんとに、面倒くさいったら」


 吐き捨てた織江おりえの顔には、もうすっかり血の気が戻っている。


「まあ、あんな浅い池だもの、自殺じゃないってのは誰にだってわかることだし。事故だって処理されるのが、一番いいのかもしれないわね」

「――事故ですか?」


 同情的ながらすでに興味を失いかけているような織江の言葉に、敦司は思わず目を瞠る。


「そうよ。なにか変?」

「え、いやだって、入水自殺するんならもっと深い川とか海とかだって、それはわかりますよ。でも事故って……あんな浅い池で人が勝手に溺れるなんて、なくないですか?」

「さあ、そうとも言えないんじゃない」


 敦司にとっては明らかなことを、澪が横から、軽く一蹴する。


「水位が顔の横幅3分の2以上――うん、20センチもあれば充分、大の大人でも溺れることはできるからね」

「そ……そんなまさか! だってそんなの、上向いたら助かるじゃないですか!」


 からかっているのかと声を上げる敦司に、しかし彼女は、素っ気なく頷く。


「上を向ければね。でも、転倒等によって運悪く頭部を打ち、気絶でもしてしまえば、それも叶わない。実際、そういった〈事故〉は珍しくもないんだよ」

「…………。じゃあ」


 少し考えて、敦司はささやかな期待を込めて二人を見返した。


「もしかすると、今回のも、ただの事故……?」

「さあ? それは専門家に聞いてみないと。今のところ、やっぱり『自殺ではないだろう』くらいじゃないかな」


 速やかに返されてしまった感のある掌に、敦司の口から呻きが洩れる。


「……でも、これが本当に心霊的なものだとしたら……どうしてあの二人が?」

「えー? どこかの開かずの間を開けちゃったとか、お地蔵さんに悪戯したとか、道端の供養花を蹴散らしちゃったとか、もしくはそんなのの前でいちゃついてたとか」


 ぽんぽんと放り投げるような織江は、完全に真面目さを欠いている。

 いっそ面白がるような色まで見せて、上目遣いに唇の端を上げた。


「あるいは単に、目に着いたから、とかだったりして」

「ホラー映画でもそうだよね。幽霊に理屈を求めても仕方がないのは、恋と一緒――」


 意外にもロマンスの片鱗を語りかけた澪が、停止する。

 どうしたのかと問いかけるより先に再起動した彼女は、その体勢のまま「おりー」と友人を呼んだ。


「他の学年の掲示写真、もう一度、見せてくれる?」

「え? うん、はあい」


 どうぞ、と丁寧に渡されたそれを繰りながら、澪は、鋭く細めた目を走らせる。

 そして薄く開いた唇から、ぽつぽつと、短い言葉を洩らした。


「……七留波那ななどめはな…………鈴倉吉城すずくらよしき…………小野辺皐月おのべさつき……」

「え? 先輩、なにを――」


 知った名前がその口から出てきたことに、敦司は驚いて息を呑む。

 澪はそれを一瞥もせず。


「各学年……それぞれの、首位になった生徒たちだ」

「それが?」

「『なに』と言えるわけじゃないけれど」


 織江の促しに短い前置きを返し、澪は、二人へとそれぞれ目を向けた。


「例えば『目に着いた』理由が、この掲示だとすれば」

「……え?」

「まさか――」


 だとすればなんなのか。思い当たることのできない敦司をよそに、瞠目した織江が、まるで国家機密を扱うかのような慎重さで予測を紡ぐ。


「そこで1番になっている生徒が、順番に狙われてる……ってこと? 澪ちゃん」

「可能性は、どれくらいあると思う?」


 問いに返された問いに、さっと左へ動いた織江の眼差しが、険を帯びる。


「張り出しの日に1人……2人目は、翌々日よね。それ以前にはそんなこと全くなかったし、だというのにこう連続するのは……。……それに、あの写真だわ。あんなにあからさまなんだもの。――ああもう! こんなことなら、他の首席の写真も撮っとけばよかった!」


 心底悔しそうに地団太を踏む。そこにあるのは、どうやら真相がどうのより、カメラを持つものの矜持のようだった。撮り逃した氷山の大きさを測りかねて、そのこと自体に、やるかたない憤懣を感じている。

 しかし敦司にとっては、それこそどうでもいいことだ。


「ちょ、ちょっと待ってください! だとしたら、これからその3人が死ぬかも――殺されるかもしれないっていうことですか!?」

「それがひとつ、その可能性を左右する要因だと思うよ」


 小首を傾げる澪は、どこまでも平静なようだった。

 それが、敦司には苛立たしい。


「犠牲者はまだ2人だ。まったくの偶然ということだってあり得るし、あるいは心霊的なものが関わっているとしても、最高学年で打ち止めかもしれない。3人目が出れば、そしてそれが今の仮説に則した人間なら、その可能性も高くなると思うけれど」

「そうね。なんせ3人目よね」


 織江も考え込むように頷く。


「写真を撮って回れたら早いけど、こんな時に校内撮影しまくってたら、それこそ不謹慎だと思われるし……下手したら活動停止されかねないし。そういうとこ面倒臭いのよね、学校って。ま、取り敢えず様子見ってことで、いいんじゃないかしら」

「そんな……!」


 あまりに平然と突き放した言い方に、敦司は愕然と口を開いた。


「そんなんでいいんですか? だって、死人が出てるんですよ! これからまだ出るかもしれないのに、それを防げるかもしれないのに、そんな感じでいいんですか? 先輩たちは、人を助けようとか思わないんですか……!?」

「え」「別に?」

「っ、なんで――」


 批難のために息を吸い込んで、しかし二の句は継げなかった。

 そんな敦司を前に2人は目を見交わして、そして織江の方が、問いを向けてきた。


「『なんで』はむしろ、こっちの台詞ね。――なんで丹原たんばらくんは、そんなに必死なわけ?」

「それ、は……」


 別に言いづらいことではないはずだった。

 それでも一瞬の逡巡を挟んでしまったのは、なぜだろうか。

 引き絞られるような心臓を落ち着かせるために深呼吸して、敦司は言い直した。


「……幼なじみなんです。……1年の、小野辺皐月」

「…………」

「…………」


 気まずげな沈黙が下りた。そのことに敦司は、少しだけ意外さを覚えた。それほどこの演劇部の人たちには、敦司にとって、常識外の部分があるような気がしていたのだ。

 長い長い間が開いて、もうこのまま出ていった方がいいように思えてきたその矢先、喉を慣らすような咳払いと共に、澪がようよう口を開いた。


「まあ……カメラが無理でも、確かめる方法も、なくはないよ」


 そこで彼女は、改めて敦司のことを見た。

 それまでのような会話の対象としてではなく、ある種の明確な、意図を込めて。


「〈殺害予告〉を、きみの、その目で確かめればいい」

「……おれの目で?」


 思わず顔をしかめる敦司に、しかし澪は、当然のように頷いた。


「少なくとも湯井沢先輩に関しては、遺体が見つかる前日には〈それ〉が見えていたんだろう? ということは、自殺どうこうの騒ぎの前に、確かめることはできるはずだ」

「でも……でも、あんなもの、おれの気のせいかもしれないし……」

「そんな身も蓋もないこと、今更言わないでよ」


 嫌そうに眉をひそめる織江に、つい「すいません」と頭を下げてしまう。

 それに「まあまあ」と割り込んだ澪は、並べられた2枚の〈紐付き写真〉を、それぞれ指先で示して言った。


「二度あることは三度ある。――先人の言葉を、取り敢えず信じてみよう」




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