Lollipop First Love
那月 結音
Lollipop First Love
わたくし
まだ高校三年生ですが、法律的には問題ありません。冬には十八歳になります。選挙権も取得できます。大丈夫。問題ありません。
稜樹様は、わたくしより一回り年上の社会人です。お父……お義父様の跡を継ぐべく、立派にお勤めをされています。世間知らずなわたくしは、ただ見守ることしかできませんが、それで十分だとおっしゃってくださいました。なんて優しいお方なのでしょう。かっこいい。とてもかっこいい。
ですが、やはりそういうわけにはまいりません。主人を立てるのが嫁の務め。主人の優しさに甘えて何もしないなんて嫁失格です。高校卒業後に入籍予定なので、まだ正式に嫁ではありませんが。失格です。
ともに暮らし始めて一ヶ月と三日。ロイヤルファミリーのコテージのようなお屋敷にも慣れ、じめじめと蒸せる季節から蝉がミンミン賑やかな季節になりました。今日もわたくしは、制服にエプロン姿で朝食の支度をしています。
「うん。美味しい」
今朝のメニューは、揚げ茄子の味噌汁と筑前煮。それから、
彩りやバランスを考えて盛り付けもいたしました。お皿の上も建築物と同じ。空間を有効活用するのが五感で楽しむコツなのです。ぬかりはありません。
稜樹様は和食派だと、執事の山田さんに教えていただきました。山田さんは、稜樹様が生まれるずっと前から檜山家にお仕えしているそうです。眼鏡からはみ出た目尻の皺が優しげな穏やかな人です。下のお名前はアレンさん。たしか、お母様のご出身がイギリスだとか。
檜山家には執事や家政婦が極端に少ない(というかほとんどいない)ので、嫁となるわたくしが奮励しなければなりません。花嫁修業はたっぷり積んでまいりました。なので大丈夫。問題ありません。
「おはよう、桜子」
「! お、おはようございます、稜樹様!」
スーツ姿の稜樹様がいらっしゃいました。白いYシャツにブルーのネクタイが眩し過ぎます。眩し過ぎて直視できません。真夏の太陽……いえ、それ以上です。稜樹様の魅力を語り始めると一日かかっても到底語り切れないので、残念ながら割愛いたします。
色素の薄い栗色の瞳、亜麻色がかった絹糸のような髪、整った鼻、凛とした目元、麗しいくちび——
「またずいぶんとたくさん作ったね」
「! は、はい! 稜樹様にたくさん食べていただきたくて……!」
「今朝は何時に起きたの?」
「四時です!」
「よじ……」
檜山家の嫁たる者、料理の仕込みを怠ってはいけません。たとえそれが平日の朝だとしても。大丈夫。眠くなんてありません。
「もうちょっと肩の力を抜いてくれたら嬉しんだけど」
「? 肩に力なんて入っていませんが」
「入ってる入ってる。僕が起きる前から朝食を作って、学校へ行って、僕が帰宅する前に夕食を作って……これを一月以上続けてるんだよ? 入ってないわけないでしょ」
「え?」
稜樹様の整った眉目が翳ってしまいました。笑っていらっしゃいますが、いつもの爽やかな笑顔ではありません。どうやらお困りのようです。
「で、では、わたくしはどうすれば……」
「うーん、そうだなあ。……まずは、その稜樹『様』ってのをやめようか」
「え? え?」
「僕は君の主人じゃない。夫だよ、夫。まだ結婚はしてないけどね。だから『様』をつけるのはやめてほしいな。呼び捨てにしろとまでは言わないから」
「そ、れは……」
「嫌?」
「そ、そんなことは……!」
「じゃあ練習。はい、どーぞ」
「いっ……」
「うん」
「いつっ……」
「頑張れ」
「いつきっ、さん……」
あまりの緊張に舌がもつれそうになりましたが、なんとか言えました。ああ……ああ……どうしましょう。まるで砲丸投げのように心臓が口から飛んでいきそうです。ハワイの火山のように頭が噴火しそうです。ああ……。
「よくできました!」
「!?」
ああ……ああ……!! い、いい、稜樹……さんに抱き締められてしまいました……!! い、いい、いい匂いがします。鼻が蕩けそうです。香水などはまったくお使いになっていないとお聞きしましたが、本当なのでしょうか。そしてかっこいい。すこぶるかっこいい。
ここが極楽浄土だというなら、わたくしは素直に信じます。
「桜子はほんとに細いね。ちゃんと食べてる?」
「た、たた、たべ、食べてます……!!」
「そう? なら、いいけど」
「!!」
お、お顔が、近いです!! かっこいい!! ……ではなくて、お顔が……お口が、稜樹さんの、お口が……っ!!
「……ごちそうさま」
「……っ」
ああ……ああ……っ!! キ、キキ、キスです!! 記念すべき通算二十八回目のキスですっ!!
稜樹さんの唇はすごく柔らかいです。それから、すごく甘いです。なぜでしょうか。不思議です。……あっ! わたくしリップクリームを塗っていたのですが、ミント味は平気なのでしょうか……?
キスをする際、稜樹さんはいつもわたくしの髪や頬を撫でてくださいます。昔はよく男子生徒に『目元がおフランスな市松人形』だと揶揄われていましたが、稜樹さんに撫でていただけるのなら市松人形でもこけし人形でも構いません。上等です。
「今日の朝食も美味しそうだね。桜子も一緒に食べよう」
「え? あ、はい……!!」
呆けている場合ではありませんでした。朝食を食べて、稜樹さんをお見送りして、学校へ行かなければ。何事もスマートに。スマートさが肝要なのです。
わたくしは、ここ檜山家の嫁となる人間なのですから。
「……あれ? 桜子の分の魳は?」
「あ、それは稜樹……さんお一人分しか焼いてなくて」
「そうなの? じゃあ……」
「?」
「はい。半分こ」
「!? い、いけません!! これは稜樹さんの……っ!!」
稜樹さんが、わたくしの取り皿に魳を半身入れてくださいました。よく見ると、若干身が多くついています。これはいただくわけにはまいりません。
慌てて拒もうとしましたが、稜樹さんはまた困ったように笑いました。
「さっきも言ったけど、桜子は細過ぎる。少しでも多く食べないと。……それに、せっかく一緒に食べるんだから、同じように食べたいよね」
「……」
優しい。優し過ぎます、稜樹さん。どうしてそんなに優しいのですか。もしかして、余裕のないわたくしのことを、まるっと見透かしていらっしゃるのですか。
一生懸命尽くそうとしても、空回りばかりしている気がします。できることは、なかなか増えません。やはり、まだまだわたくしは子ども……未熟者です。
稜樹さんと許嫁関係になったのは、わたくしが十五の時でした。
わたくしの父と稜樹さんのお父様は唯一無二の親友。お互い切磋琢磨しながら、それぞれ親から受け継いだ会社を大きくしてきたそうです。
そんな二人がお酒の席で交わしたのが、わたくしと稜樹さんの婚約でした。その時は大変に盛り上がったらしく、帰宅した父の嬉しそうな泥酔姿は今でも鮮明に覚えています。
明るく楽しい父でした。わたくしのことを溺愛してくれました。たまに少し(かなり)鬱陶しく感じることもありましたが、わたくしにとっては尊敬できる大切な父でした。
父は、昨年末に他界しました。病が発覚してから、わずか三ヶ月後のことでした。
その三ヶ月の間に、父は息子(わたくしの兄)が会社を滞りなく承継できるよう、何もかも整えていました。……最後の最後まで、立派な父でした。
ちなみに、わたくしの兄と稜樹さんは同い年で、蒙古斑がある頃からの幼馴染です。
わたくしは、物心ついた頃からずっと、ひそかに稜樹さんに憧れていました。だから、どんな形であれ、許嫁になれたことは昇天するほど嬉しかったのです。
でも、稜樹さんは? こんな子ども同然のわたくしで、本当によかったのでしょうか。
眉目秀麗、智勇兼備、貴顕紳士——稜樹さんのように素晴らしく素敵なお方は、淑女の皆様から引く手数多だったはずなのです。稜樹さんのお相手にわたくしが相応しいなど、烏滸がましくて口が裂けても言えません。
もしかして、亡くなった父に……わたくしの家族に、気を遣っていらっしゃるのでしょうか。
✣ ✣ ✣
「桜子様は学校へ行かれたのですか?」
「うん。僕のことを見送ってから登校するって言ってたんだけど、今日は遅出だからって説明して納得してもらった」
「一限目をお休みするとはおっしゃらなかったのですか?」
「……言ってた」
「ほっほっ。本当に愛らしいお方ですね」
「笑い事じゃないよ、山田さん。僕のためにって頑張ってくれるのは嬉しいけど、もっと高校生らしく、受験生らしく、過ごしてほしいんだよね」
「桜子様は、進学を希望されていないのでは?」
「それは本心じゃないよ」
「本当は進学を希望されている、と?」
「賢いし、好奇心も旺盛だからね。きっと充実したキャンパスライフが待ってる」
「稜樹様は、桜子様がお勉強されたい分野をご存知なのですか?」
「当然。あの子のこと何年見てきたと思ってるの?」
「ほっほっ。そうでした」
「このこと、桜子には黙っててね」
「もちろんでございます。稜樹様が幼い桜子様への恋心を紛らわすために数多の女性とお付き合いするも、どれも見事に長続きしなかったということも黙っておきます」
「……ほんといい性格してるよね、山田さん」
「ほっほっ」
「今日は早く帰れそうだから、桜子と外で食べてくるよ。そこで、桜子の考えをちゃんと話してもらう」
「……山田は、お二人の幸せを心の底から願っておりますよ」
✣ ✣ ✣
大変です。
一大事です。
進路指導の先生とお話していたらこんな時間になってしまいました。早く帰らなければ、稜樹さんが先にお戻りになってしまいます。
全速力で自転車のペダルを漕ぎます。漕ぎ過ぎて太腿が怠いです。汗も滝のように流れてきました。夏の夕焼けがいっそう目に染みます。けれど、そんな弱音を吐いている場合ではありません。一分一秒でも早く帰り、稜樹さんのために夕食の用意をしなければ。
もとはといえば先生が悪いのです。わたくしは進学はしないとあれほど強く言っているのに、この期に及んでまだ進学しろなどと。
わたくしは稜樹さんと結婚するのです。家庭に入り、稜樹さんのことをお支えするのです。大学など通っていては、妻としての務めを果たすことなどできません。失格です。だめなのです。
「……」
だめなのです。
「……っ」
唇をきゅっと結び、お屋敷まで自転車を飛ばします。止まってはいけません。下を向いてはいけません。
涙を、流してはいけません。
「あっ……」
遅かった……。
ガレージに稜樹さんの車が停まっています。夕食の用意は間に合いませんでした。……いえ、今から用意するのです。務めを放棄することなど許されません。
ゴシゴシと、流れるものをすべて制服の袖で拭います。気合一発。
「ただいま戻りました」
「おかえり、遅かったね。……わっ、すごい汗。先にシャワー浴びておいで」
「え? で、ですが、お夕飯の用意が……」
「そのことなんだけど。うちに来てから一日も休まず料理してくれただろ? 今日は僕も早く帰れたし、せっかくだから外食しようかなって考えてたんだ」
「外、食?」
「うん。だから、汗流して着替えておいで。急がなくていいからね」
稜樹さんにポンッと背中を押され、余所行きの洋服を携えてお風呂場へと向かいます。毎日掃除していますが、ここの浴槽は本当に広くて大きいです。月はのぼるし日がしずみそうです。
脱いだ制服は、クリーニング用のランドリーボックスへ。稜樹さんのYシャツやスラックスも入っていました。明日、業者さんが取りに来てくださるそうです。
明日の朝までに、代わりの制服を用意しておかなければ。明日の朝も四時起きです。
「……」
好きな人と結婚するために、好きな人を支えるために、頑張っているはずなのに。
なぜか、胸にぽっかり大きな穴が開いているようで。
「……ほんとに、これでいいのかな」
起きて、朝食を作って、学校へ行って、帰って、夕食を作って、寝て、起きて。
毎日が、同じことの繰り返し。
背伸びの、繰り返し。
「……いいわけないじゃん」
良くないことくらいわかってる。
正しくないことくらい、とっくに気づいてる。
「でも、どうすればいいか、わかんないんだもん……」
初恋なんだもん。生まれて初めて好きになった人なんだもん。ずっとずっと憧れて、叶うはずなんかないって……一度は諦めた恋なんだもん。
彼に相応しい女性になりたい。隣を歩いても恥ずかしくない女性になりたい。そう思って背伸びしなきゃ、彼と結婚なんてできない。
絶対にわたしじゃなきゃいけない理由なんて、どこにもないんだから——。
✣ ✣ ✣
「桜子様はまだ浴室でいらっしゃいますか?」
「うん。……なんか元気なかったみたいだけど、大丈夫かな」
「連日の猛暑で体調が思わしくないのでしょうか?」
「どうだろう。暑さも気になるけど、うちに来てからずっと張り切り通しだからね。もしも心労のせいで沈んでるんだとしたら、一度実家に帰したほうがいいかもしれない」
「
「ううん。桜矢には、また明日にでも僕から連絡するよ」
✣ ✣ ✣
え……?
リビングのドアノブに手を掛けると、稜樹さんの声が聞こえてきました。どうやら山田さんとお話をされているようです。
稜樹さんはおっしゃいました。「実家に帰したほうがいいかもしれない」と。おそらく……いえ、百パーセント絶対確実にわたくしのことです。わたくしを実家に帰したほうがいいとおっしゃったのです。しかも兄にまで連絡すると。
これはまさしく三行半です。言わずと知れた離縁です。
「桜子?」
「!!」
稜樹さんがわたくしに気づかれました。こちらへ歩いて来られるご様子が、すりガラス越しに見えます。
怖い。どうしよう。
こわい——。
「あ……」
目が、合ってしまいました。
稜樹さんの栗色の瞳には、情けないわたくしの姿が映っています。
「さっぱりした? そろそろ出かけ——」
「……っ、ごめんなさい!!」
「え? ちょっ……桜子っ!!」
居た堪れなさに苛まれ、わたくしは稜樹さんの前から逃げ出してしまいました。
お屋敷を飛び出し、自転車に跨ってひたすらペダルを漕ぎます。せっかく治まっていた太腿の怠さがまたぶり返してしまいました。それでも、漕ぐしかないのです。もう、お屋敷には——稜樹さんのもとには、戻れません。
漕いで漕いで漕いで。
ひたすら漕ぐこと、およそ十分。
「……ただいま」
実家に、到着しました。
「お、どうした桜子。この世の終わりみたいな顔して」
目つきの悪いこの黒髪三白眼が、兄の桜矢です。目つきは悪いですが、とても情の厚い人です。父の跡も立派に継いでいます。上唇から覗く八重歯が懐かしい。
「あ、わかった。ホームシックだろ?」
「……」
「ほら、こっち来い」
「…………ひっ、ぐっ、う……うわぁぁぁぁぁぁん!!!!!!」
太くて篤い兄の言葉に、思わず泣いてしまいました。大泣きです。
蝉のようにひしと抱きつくと、兄は優しく受け止めてくれました。
「ひっ、んぅっ、離縁っ、されたっ、ひぐっ、実家、帰った、ほうがいい、って……っ」
「離縁って……まだ結婚してねぇだろ。実家帰ったほうがいいって、それ稜樹が言ったのか?」
「ひっ、ひぐっ……う、ん」
「お前、稜樹とちゃんと話したか? おおかた、山田さんと話してたの横からちょろっと聞いて、早とちりして飛び出してきたとかそんなとこだろ」
「ひっ、……え? んっ、なんで……っ?」
「お前、手先は器用だけど、人付き合いとか驚くほど不器用だからな。たぶん稜樹は、お前が頑張り過ぎてしんどそうに見えたから、いったん家に帰して休ませようとしただけだと思うぞ。そもそも、あいつがお前との結婚諦めるわけねぇだろ」
「……え、それ、どういう——」
ピンポーン——
「お、来た来た。迎えだぞ桜子」
「?」
ピンポーン、
ピンポピンポーン、
ピンポピンポンピポピンポンピンポンピポピポピポピ——
「だーっ!! もー、うるせんだよあのバカ!! 一回で十分だわちょっと待ってろっ!!」
「!?」
狂気すら覚えるチャイムの連打に、兄がものすごい形相で玄関へと駆け出しました。さすがは元短距離選手。ランニングフォームは完璧です。
迎え? わたくしの? 誰かと約束などしていませんし、行く場所もありません。いったい誰なのでしょうか。
間もなく、ドタバタと足音が近づいてきました。ぎゃいぎゃいと言い合う声が聞こえます。兄ともう一人……聞き覚えのある声です。先ほどまで聞いていた声です。
ひょっとして。まさか。
思わず、息を呑みました。
「桜子っ!!」
「いつ、き……さん?」
なんと、狂気のチャイムの主は、稜樹さんでした。
急いで来られたのでしょうか。肩で息をされています。汗もたくさんかかれています。乱れた髪もまたかっこいい。
……などと言っている場合ではありません。
「っ!? い、いい、稜樹さん、何を……っ」
わたくしのもとへ歩いて来られるやいなや、稜樹さんは、わたくしの体をひょいと持ち上げました。いわゆる『お姫様抱っこ』というやつです。
「ごめん、桜矢。桜子連れて帰るね」
「え?」
「おう。そいつただのコミュ障だから、よろしくしてやってくれ。……あ。あと、無駄に言葉遣い丁寧にしてっけど、普段全然そんな喋り方じゃねぇから」
「なっ……ちょっとお兄ちゃん、余計なこと言わないでっ!!」
「それが普段の喋り方?」
「!?」
「僕はどっちの桜子も可愛いと思うけど、肩に力が入ってないほうがいいかな」
「あっ、えと、その……」
「おいバカップル。イチャつくのはそれくらいにして、とっとと帰れ。こちとら嫁さんが帰ってくるまでに夕飯作っときたいんだよ」
「はいはい、お騒がせしました。奥さんによろしくね」
「おう」
兄に見送られ(なかば強引に追い出され)、気づけば体は車の助手席に。
エンジンをかけるも、稜樹さんは一向に車を動かそうとしなかった。運転席に座ったまま、黙って何かを考えてるみたい。エアコンの風音が、やけに大きく聞こえる。
わたしのほうから話しかけたほうがいいのかな。突然お屋敷を飛び出してごめんなさいって。謝ったほうがいいのかな。
コミュ障にとって、この間は恐怖以外の何ものでもない。閉塞感と圧迫感で息が詰まりそう。
心臓、痛い……。
「桜子」
「……え? はっ、はい!!」
「山田さんとの話、聞いてたんだね」
「あ……ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていいよ。悪いのは僕だから。……もう少し早く、ちゃんと伝えておけばよかったね」
「……?」
「大学で建築学を勉強したいんだろ?」
「どっ、どうしてそれを!?」
「好きな子が何に興味持ってるかくらい知ってるよ。将来の夢は建築デザイナー。違う?」
「……」
当たってる。すごい。お兄ちゃんにも言ってないのに。
「僕は、桜子に大学に行ってもらいたい。大学で、本当に学びたいことを学んでほしいと思ってる」
「で、でもっ、大学に行ったら、稜樹さんと結婚——」
「できなくなる? そんなことないよ。桜子が卒業するまで待ってもいいし、学生結婚っていう選択肢だってある」
「……っ、でも——」
「ねえ、桜子」
「……!!」
稜樹さんの声が、耳元で聞こえる。上半身を抱き寄せられたと気づくまでに、少し時間を要してしまった。
甘い香り。甘い声。稜樹さんのすべてが、わたしのささくれ立った感情を、ゆっくりと撫でつけていく。
「一人で頑張ろうとしなくていいんだよ。結婚は、一人でするものじゃないだろ? 結婚するために桜子の夢を犠牲にするなんて、そんなの間違ってる。もっと話し合おう? もっと僕を頼ってよ」
「……」
「大好きだよ、桜子。ずっとずっと。大好きだ」
「……——」
稜樹さんは、全部わかってた。こんなわたしのことを、全部わかってくれてた。
不器用でコミュ障で臆病で。背伸びして空回りしていたわたしのことを。
全部。ぜんぶ。
涙が止まらない。お兄ちゃんの前で泣いたさっきとは比べものにならないくらい、涙が溢れてくる。涙が、想いが、溢れてくる。
出会えてよかった。諦めなくてよかった。
稜樹さんを好きになって、本当によかった——。
「……落ち着いた?」
「……は、い」
「よし。それじゃあ、今度こそご飯食べに行こう。桜子は、イタリアンが好きなんだよね?」
「!? ど、どうしてそれをっ」
「デジャブだね。好きな子のことなんだから知ってるよ。何年君のこと見てきたと思ってるの?」
「え? 許嫁になってから、じゃないんですか……?」
「違う違う。もっとずっと前」
「え? え? いつから、ですか?」
「うーん……この話始めると長くなるからなあ。また改めてゆっくり話すよ」
「そ、そんなに長くなるんですか……?」
「僕の君への愛は、君が思ってるよりはるかに大きいからね」
「!?」
「末永くよろしくね。奥さん」
「!!」
ロリポップみたいな初恋は、絶対に叶うはずないと思ってた。食べたらおしまい。残るのは白い棒と、甘い思い出だけ。
でも、そんなことなかった。幼いわたしでも叶えられた。彼が、叶えてくれた。
縮まらない距離に、埋まらない差に、焦ったって仕方がない。
少しずつ大人になっていこう。
あなたの隣で。
<END>
Lollipop First Love 那月 結音 @yuine_yue
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