30 世論

 塩見達は取材陣を振り切るようにして、舞浜国際渦港の職員通路に逃げ込んだ。

「塩見さん」

 ドアを背に寄りかかり息を整える二人。蒼白になった塩見の顔を見て、京子が言った。塩見は首を左右に振りながら、やがて額に手を当てて天を仰いだ。

「なぜだ。どうして漏れた」

 情報統制は完璧だった。事件現場に一般人は足を踏み入れていないし、警察が介入してからもそれは同じだ。男の体を搬送する時にも最大限の配慮をしたはずだ。通報者であるホテルの従業員には、蘇我達が十分な金銭を用意して口止めさせているはずだ。過去にも一度、エーテル被害者が出ているが、その時はこんなことにはならなかった。

「あの人達、魔法って」

 京子が塩見の肩を掴みながら言う。塩見は携帯を取り出し、ニュースサイトを見た。どのサイトも、今回の事件がトップに出ている。間違いない。日本は今、この話題で沸いている。

「ちくしょう」

 塩見は壁を拳で叩いた。

「なんで今になって魔法だなんて」

 魔法の存在を眉唾モノにするために、これに関わる者達は心血を注いできた。すでに始めてしまった異世界交流。あとから判明する魔法とその被害者。この図式は、日本を超えて世界に混乱をもたらす。混乱のさなか、憶測だけが真実のように語られ、情報は勝手に肥大していく。それが世論に浸透した時、世間は無自覚のうちに犯人捜しを行い、被害者を生み出していく。そしてその最大の被害者になるのは、異世界人だ。

「いくぞ」

 そう言って塩見は歩き出した。強引に引かれた腕の痛みを、京子は伝えることはしなかった。

「失礼します」

 特別室の扉を開ければ、既に役者は揃っていた。検見川、蘇我、幕張、そして舞浜国際渦港の最高責任者である、本千葉康則だ。

「検見川課長、これはいったい」

 塩見が入るなり言うと、検見川は手を挙げてそれを静止した。そのまま手を差し向けた先にはテレビがある。たったいま取材陣を潜り抜けてきた塩見達の様子が、繰り返し映し出されている。

「何もかにも、こういうことだ。とりあえず座ってくれ」

 塩見達はそばにあったパイプ椅子に腰かけた。彼らの議論はすでに進んでいるらしい。二人が落ち着いたを見計らって、幕張が言った。

「では会見には私たちも参加します。弁護士の用意は間に合いそうですか」

 幕張が本千葉を見て言う。本千葉は額から滴り落ちる汗をハンカチで拭きながら、言った。

「はい。顧問弁護士とは先ほど連絡が取れまして、今こちらに向かっていると」

 本千葉は完全に憔悴しきっている。先ほどから視線を落とし、誰とも目を合わせようとしない。責任という二文字に怯えているのは、誰の目から見ても明らかだった。

「事件の概要や対応についてはこちら側で答えるとして、問題は」

 幕張がネクタイを直しながら言った。「魔法関係の質問が来た時です」

「そこについては、私で対応します」検見川が眼鏡を直しながら言った。

「方針は」

 幕張の問いに、検見川ははっきりと答えた。

「魔法の存在を肯定します」

「ちょっとまって下さい!」

 その言葉に、塩見は立ち上がった。パイプ椅子が悲鳴を上げながら転倒する。

「検見川課長! 考え直してください。それでは誤った情報が交錯しかねません。間違いなく国の混乱を招きます。他に別の」

「もうなってる!」

 塩見の話を遮るように、検見川は机を拳で打ち付けた。

「世間は混乱している。情報を求めている。これ以上、隠し通すことはできない」

「でもそれじゃあ」塩見は食って掛かった。「日本中の異世界人が被害者になってしまいます。誰もが魔法を扱える訳でもエーテル被害をもたらす訳じゃない。今回はたまたま条件を満たしてしまっただけだ。異世界人が犯罪者のように扱われてしまったら、彼らの居場所はなくなってしまいます」

「だが事実だ」検見川は微動だにせず言った。

「事実だろう。エーテル被害者が存在することも、場合によっては命を落としかねないことも」

「しかし!」

 なおも食い下がる塩見を検見川は睨みつけて言った。

「お前の婚約者はどうなった。この先を俺に言わせる気か」

 部屋の空気は一気に張り詰めた。しばらくして、塩見は叫び、パイプ椅子を蹴り上げた。

「塩見、よく聞け」

 検見川は立ち上がり、塩見の肩を掴んで振り向かせて言った。

「俺達がしなければならないことはなんだ。次の被害者を出さないことじゃないのか。水面下の調整は破綻した。ならば俺達は、誠意をもって説明するしかない。理解を得られるまで続けるしかないんだ。その責任は俺達が取らねばならないんだ」

 その言葉に本千葉の肩が震えたのが、視界に見切れた。少なくとも、検見川の目は本気だ。

「協力してくれるな」

 塩見はその言葉に頷く以外の選択肢を持っていなかった。額を押さえつけ、壁にもたれかかり、小さく呻いた。

「会見には俺と本千葉支配人、幕張さんと弁護士ででる。お前は審査室で通常業務に就け。そこには取材陣は立ち入れない。わかったな」

 塩見は返事をすることなく、部屋から出て行った。扉が激しく打ち付けられる。それが塩見の心の叫びだというのは、そこにいる誰もが理解していた。

「しかし、こんなことが起こるとは」

 沈黙を打ち破り、まるで愚痴のようにこぼしたのは本千葉だった。本千葉に覇気は無い。最高責任者として君臨するこの男が、こんなにも情けない男だったのかと、京子は思った。

「魔法。本当にそんなふざけたことが現実にあるのかね。検見川君」

 検見川は言葉を選んでいるようだった。少しの間をもって、答えた。

「残念ながら。ただし扱い方を間違わなければ、問題はないものです」

「私は君を信じて任せていたんだ」

 まるで検見川の答えを聞いていなかったかのように、本千葉は言った。「そんな危険なものがあるなら、どうして報告してくれなかった。異世界交流を辞めてしまう手だってあったじゃないか」

 本千葉は官僚から天下りだった。舞浜国際渦港の責任者に就任して以来、その顔として対外的な対応を担ってきた。実際に異世界に関わることは少なく、内政は実質検見川に任せきりだった。検見川が拳を握りしめるのを見て、幕張が言う。

「今はそれを追求するべき時ではないでしょう。検見川君は過去の諸問題に対しても真剣に取り組んで来た。今の舞浜国際渦港と日本があるのは、彼の功績が大きい。その彼が時期ではないと判断していたのですから」

「しかしねぇ」

 本千葉の汗は止まらない。検見川は小さく、「申し訳ありません」と言った。

「魔法は科学で証明できていません」

 蘇我が言った。本千葉は睨みを聞かせたが、幕張が続きを促すと、姿勢を正して蘇我は続けた。

「仮に魔法が存在したとしても、今回の事件は立証が不可能。俗にいう、不能犯というヤツです。現時点では、どう法律で扱っていいのかすら分からないんすよ。そんな状況で、それを根拠に国交を辞めるとか、選択肢としてないじゃないすか」

 本千葉は若造の言葉が面白くないと言った様子だが、幕張の圧もあり、しぶしぶ納得している様子だった。次の口上は出てこない。検見川は小さく、「全力を挙げます」と言った。

 京子は頭に血が上りそうになるのを感じた。本千葉の考えていることがわからない。ただ一つはっきりわかるのは、京子はこの本千葉という男が大嫌いということだった。こんな男の元で働いていたのかと思うと、吐き気がする。思わず拳を握りしめ、何かを言ってやりたくなる。

 そんな京子の様子に気づいていたのか、検見川は京子の肩をとってドアの方を向かせ、言った。

「塩見を頼むぞ」

 検見川の切羽詰まった眼光が京子を射抜いた。今、私にできること。京子はそれを理解し、頭を下げたあと、部屋から出た。

 京子は走った。今の塩見なら何かをしでかしかねない。それを止められるとすれば、私しかいない。

「塩見さん!」

 京子は長い廊下を風のように走り回った。

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