第3話

「換体」に反対する余り、誰かに殺されたかも知れない著名な活動家の若き息子が、両親が死んでまだ間もないにも関わらず、両親の莫大な遺産をつぎ込んで「換体」を申し出た――。

 第3者の目線で見れば、面白そうな話だと思う。それはちょっとしたニュースにもなった。すぐに僕のところへコメントを求める報道関係者のコンタクトが舞い込んできた。でも、世間にその理由を語るには、あまりにもプライベートで幼稚な動機でしかなくて、ほとんど恥に近いことだと僕は自覚していた。

 だから、ノーコメントを貫いた。学校側・病院側もある程度守ってはくれたけど、メディアはあの手この手で言質をかき集めた。やれ僕の叔母の知人がこう語っただの、やれ初等教育の頃に同じ学年だった誰それがこう語っただの、やれ児童福祉専門家が『彼を取り巻く過激な報道のあり方とそれを是認する社会環境を反省せねばならない』だのと、僕からすれば蠅のようにうっとうしい言葉たちをブンブン繰り出して世間を賑わせていた。


 そう、僕の行いはとんでもない親不孝だった。親不孝である以上でも以下でもなかった。非業の死を遂げた親の顔を、信念を、生涯を、そしてその遺伝子を、全て根本的に否定する選択だった。僕はそれを明瞭に理解した上で、確かな悪意を持って、確かな正気とともに「換体」を申し出た。

 その理由を聞けば、大体の人は失笑するかも知れない。


 僕は、両親とそりが合わなかった。「換体」は、僕の姑息で最低な復讐なのだ。


 小さい頃こそ穏やかな時間もあったけれど、両親はそれぞれ激務に打ち込んでいたし、換体の話が出てきてからは、そのわずかな余暇も換体への反対活動に注ぎ込むようになっていった。幼い僕は大体の幼児がそうであるように、「仕事だから我慢してね」「仕事だから仕方ないのよ」と言われて放置されたりどこかへ預けられたりすることが大嫌いだった。

 そして、もう少し大きくなった頃、両親が取り組んでいる活動は、相当な賛否両論を巻き起こしていることもわかるようになった。生まれ持った肉体を捨てて義体に換装するなんて、ヒトとして、生命として何か間違っていると、正義に燃える両親は家の中でも外でも主張していた。それに対して、あいつは馬鹿だ、邪魔だ、頭がおかしいんだと評価を下す連中や敵対者も当然いた。両親が精力的に活動していた分、僕の眼耳にそういう不快で悲しい言葉が入って来ない日はなかった。

 だんだん、僕は両親と一緒にいるのが苦痛で、うんざりするようになった。「生命としてどうのこうのと偉そうに言うくせに、息子を何日もほったらかして活動に精を出すのはヒトとして正しいのか!」と口喧嘩の際に言い放って、父親にぶん殴られたりもした。

 父親はそもそも家にほとんど帰らず、帰って来ても深夜遅く。僕からすれば、一週間に2,3時間だけリビングに居て、僕を見るなり不機嫌にこちらをくどくどと説教してくる中年男性という印象だった。母親はさすがにもう少し家にいたけれど、だんだん何かにつけてああしろこうしろと僕を叱りつけてくるようになった。今から思えば、母親も辛く寂しい時期だったのだろうと思わないこともないが、ただ僕からすると理不尽なことで叱られる頻度がどんどん増えてきたように感じていた。


 そうして、僕は両親と口を利かなくなった。僕が口答えをしたところで、お互いヒートアップしてイライラが高まるだけ。であれば、全てを無視すれば僕も苛つかずに済む。

 そんな冷戦状態は1年続き、2年続き、3年続いた。僕が高等学校に進む頃には、お互い容易に世話話もできないぐらいに深い溝が出来ていた。


 挙句の果てに、両親はふたり揃って死んだ。事故だったのか、殺されたのかは僕にとってはどうでもよかった。針のむしろのように冷え切った3人の家庭から、ちょっと寂しい1人の家庭へ。どちらかと言えば、僕には後者の方が快適なぐらいだった。

 だから僕は、両親の死を悼み悲しむ人々よりも、むしろ喜ぶ人々の方に共感を覚えたりもした。両親が闘っていたものに比べて、僕の苦しみは虫けらのようにちっぽけで矮小なことだろう。でも、僕は確かに苦しんでいた。僕の親がそれをどこまで感じていたかは今となってはわからないけれど、誰がどう見ても家庭と活動を天秤にかけて後者を選んでいたのは明らかだった。

 技術的・法律的には是認されたものの、両親たちの決死の活動もあって議論が紛糾していた「換体」というシステム。僕の両親に対する行き場のない感情と、その復讐として、換体が最適だと考えつくのに時間はかからなかった。

 ついでに、容姿も少し変えてもらうことにした。父親の少し垂れた眼と、自分の眼がだんだん似てきたのが嫌だった。母親の口元と自分の口元がだんだん似てきたのが嫌だった。


 少なくとも、両親との関係が冷え切った初等教育以降、僕はほとんど僕の世界の中で生きてきた自負があった。両親の活動にも、思想にも、癖にも、容姿にも、僕は縛られてなんかいないということを示したいと思った。

 


 こんな卑屈なことを、公共のインタビューで言えるだろうか。

 海埼にも、クラスの友達にも、ぺらぺらと打ち明けられるだろうか。

 言えるはずがなかった。

 それが、僕の復讐。

 幼稚で、姑息で、最低な復讐、その全容だった。


 

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