僕が死んだ日
文長こすと
プロローグ
あるいは、『プライベート・ライアン』の冒頭、オマハ・ビーチの水際で敵の凶弾に蹂躙され、はらわたをこぼし、手足を失い、正気を失いながら死んでいく兵士たちを見て。
あるいは、『ブラックホーク・ダウン』で、機関銃に薙ぎ倒されても、薙ぎ倒されても、AKを振りかざして米軍に命知らずな突撃を繰り出すソマリア民兵たちを見て。
――彼らの時代の人間は、その身体にひとつきりの命を載せていた。
僕は病院の真っ白なベッドの上で、身体の色んなデータを刻々と採取されながら、端末のストリーミングを眺めてそんなことを興味深く考えていた。
なんでその映画をチョイスしたのかと言えば、ひとつはちょうど今「名作戦争映画特集」としてそれらの作品が無料公開されていたから。もうひとつは、そこで描かれる兵士たちの気持ちに、僕は何かを学び、感じ取れるような気がしていたからだ。
仮に肉体が宇宙船だとしたら、命というのはその内側にいる飛行士のようなものと思えばよいのだろうか。その場合、肉体に穴が開けば、その中の命はひとたまりもない。身体と命は表裏一体、決して不可分なニコイチのコンビ。
だとしたら、この『プライベート・ライアン』や『ブラックホーク・ダウン』が史実と考証に基づいて描写した兵士たちは、一体どういう割り切りによって、あんな地獄のような銃弾の雨に突っ込んでいけたのだろうか。
自分の身体はひとつきりで、それが載せる命はひとつきり。それを、戦術のためなら湯水のごとく投げ捨ててしまうのが戦場のリアルなのだとすれば、あっけなく倒れていった彼ら兵士たちは、その時何を感じていて、何に救いを求めようとしたのだろうか。
僕はその気持ちを参考にしたいと思っていた。
昨今では肉体と命とが、必ずしも一対一として乖離不可能なものとは見なされなくなったから。僕は生まれ育ったこの肉体を、最先端の科学が生み出した義体に乗り換えるための「換体」手術を5日後に控えていた。
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