スーパー彼氏大戦 ~学費1億円!? とんでも学園で彼氏バトル!~

第1話 - 間に合え!入学式!①

 何回か気を失いそうになった。

 それくらい、山から伸びる道は長く、険しかった。

 ギシギシと嘆くように軋む自転車は、いつぶっ壊れてもおかしくない。それくらい酷使したし、むしろよく持ってくれているものだと感心する。

 ほのぼのとした春の日差しの中、私だけ夏の猛暑日にいるみたいに、滝のような汗を流していた。


「……てーのひらを、たいようにー、すかして、らーらーらー……!」


 苦渋に満ちた顔から、絞り出すように思いつく限りの元気の出る歌を歌う。

 遠くからみれば、とんでもなく醜い姿をしているだろうに、多分、私はそれでも、笑っている。

 ここまで来た。あとちょっと、あとちょっとで、辿り着くからだ。

 奇跡のようにかろうじて繋がった細い糸こそが、このきつい山道なのだ。

 これしきのハードワーク、屁でもない。

 愛車のペダルを一層力強く踏み込む。木々のざわめきと、鳥の鳴く声だけがあたりを包んでいて、妙な心地よさがあった。


「……友達、なーん、っだ……! はぁ、はぁ、はぁ。つい、着いた……着いた!」

 

 そして、そこを登り切った先には、巨大な門が聳え立っていた。

 中世の城下街もかくやというくらいの、途切れる先が見つからないくらい、長大な壁。その中央に堂々と嵌め込まれた鉄門は、堅く閉じられている。

 私は、自転車を降り、手押しでその門にまで近づいた。

 飾り気などなく、酷薄に此処と彼処を切り分ける、強烈な境界線。

 心臓がどくどく跳ねているのは、山道を登り切ったから、だけではない。


「ほんとに、来ちゃったんだ」


 あたりに響くのは、吹き付ける風の音色と、私の独白だけ。

 口にしてやっと、事実が体に実感として染み渡ってくる。

 あれだけ手段を選ばず藻掻いて、喚いて、血反吐を吐きながら進んだ道の先に、今私が立っているんだということに震えている。

 

「御舟学園……ほんとに、私、ここに、入っちゃうんだ」


 その名を口にした途端、思わず身震いしてしまった。

 眼前に聳える世界の名がそれだ。

 山の上を切り開いて無理矢理作り上げた、空前絶後の超体制を敷く、異次元の学び舎。

 世間一般での知名度は不自然なほど低く、しかし一定の階級以上には、最早常識として認知されている、唯一無二の学園だ。

 日本全国の才女を集め、競わせることで、その才能を研磨していく、最先端の環境を揃えているが、入学の要件も比例して厳しくなっていく。

 学問、礼儀、社交性、更には顔審査なんてものもあるなんて噂まである。 

 それらの条項の厳しさもさることながら、もう一つ、この学園を象徴する制度があり……。


「いやぁ、大変だったなぁ……」


 これまでの道のりの記憶が、思わずフラッシュバックする。


――ハハハ! いいじゃんか! 気に入ったぜ、お嬢ちゃん!

――あんんたに預けてやるさ! ただ、返してはもらうから、気をつけなよ。

――そら、受け取れ。命より重い……


――1億円だ。


 1

 どれだけの才覚を持ち合わせていても、この超学費の壁に阻まれ、ここへ至れなかった少女たちは、数多くいる。

 私は、もう手元にはないはずの札束の重みを感じていた。

 賽は投げられた。後戻りはすでにできない。

 だけど、この門を抜けてしまえば、それこそいよいよ取り戻しがつかない。

 もしも怖気づいて、一刻も早く日常に戻りたいのであれば、ここで背を向け、山道を下っていくことがベストな選択肢となる。

 本当の本当に、最後の二択。進むか、引くか。

 私は、汗だらけの顔で、多分――にこりと、笑っていた。


「ようし、ここでも精一杯、頑張る……! ますわよ!」


 怪しいお嬢様語で取り繕いながら、私はずんずんと門へと進んでいった。

 引き下がるなんて、冗談でも思い浮かんでしまうのは、弱い部分だ。

 元より取り戻すほどの後なんてない。この異常な学園で無理矢理にでも、希望を作り出さなきゃいけない。

 決然と、前を行く意志だけを胸に携えて、私はずんずんと門へと近付いた。

 すると、瞳に貼り付けたレンズ型拡張デバイスが通知を受信する。


『個人情報の確認が取れました。これより開門いたします。芹沢優希様。ようこそ御舟学園へ。我々は貴女を祝福いたします』

 

 視界の隅に表示されたメッセージは、私を迎え入れてくれていた。

 どこかに設置されているスキャナーでの識別が瞬時に済んだのだろう。重苦しい地響きと共に、ゆっくりと鉄の扉が開いていった。係員などは誰もいない。自動化された最新設備は、機械的な効率性で以て、自らの仕事を素早く片付ける。

 ここから、私の人生の第二幕が始まりを告げる。背のリュックを背負い直し、自転車をつるりと愛おしく撫でて、中へと踏み入っていった。


「うわぁ、す、凄っ……!」


 そこに広がる風景は、まさしく別世界だった。

 ヨーロッパの風雅な町並みがそこに収まっており、門の前には巨大な噴水が水飛沫を吹かしていた。

 向こうに聳え立つ建築物は、幻想的な街並が連なっているかと思えば、不気味なほどに調和した、威容を誇る高層ビルのようなものまである。

 想像以上の綺羅びやかさに、若干思考がストップしてしまう。

 すると、レンズデバイスにまたもや情報が表示された。


『御舟学園の敷地に入りました。専用ソフトウェアを自動インストールいたします』

『位置情報の更新完了。【5-9 正門前エリア】です』

『メールを一件受信いたしました。表示いたしますか?』


 怒涛の通知画面が私に色んなことを知らせてくれる。どの情報から処理したものかわからないながらも、私はARポップアップに触れ、メールとやらを開くことにした。


『From:御舟多可貴

 この度は、御舟学園へのご入学、誠におめでとうございます。ここ迄辿り着いたということは、この学園が、通常とは大きく異なった、特殊な制度で構成された学園であるることを、既にご存知であるかと存じます。

 そんな場所に、多大な費用を支払って入学しても尚、貴女方が当学園を卒業できる保証というのはまるでありません。

 それでも、真っ直ぐに続く、未来の一歩目を進もうとするのであれば、我々はそれを祝福いたします。

 つきましては、本日12時より入学式を執り行いたいと思います。我が校の伝統、哲学、規則など、重要なことをお伝えさせていただきます。

 もしもこちらの式を欠席される方がいらっしゃれば、これより先にお進み頂く資格が無いとの判断になってしまいますので、ご了承くださいませ。

 それでは、会場にて、心よりお待ちしております』


 「入学式、かぁ」


 所々にある不穏な文面がすごく気になるが、一旦捨て置くとして。取り急ぎ入学式の会場とやらへ急がなくてはならない。

 時間を確認すると、9:53とデジタル時計が時刻を示していた。

 余裕があるとは言え、何が起こるかわからない。むしろもっと早くここへ到着している予定だった。山道と己の体力の見込みを大幅に間違え、遅くなってしまった。

 欠席したら退学にする、とも捉えられる、恐ろしい文書が書いてあった。

 さっさと会場へ行って、時間を潰そう。きっと彼もそこにいるだろうし――なんて考えて、ふと立ち止まった。


「入学式の会場って……どこ?」


 メールを見返す。穴が開くほど一文字ずつ確認する。その他に何か見落としてる通知がないかも確認する。

 無い。なんの情報も無い。「入学式」に関する情報だけ、不自然なくらい欠落していた。

 私は途方に暮れた。なにこれ、ミス? それとも……自力でなんとかして探せっていう、そういうやつ?

 御舟学園に問い合わせてみようにも、この学園の連絡先は完全に隠匿されている。かろうじて繋がる電子メールも、なんとなくの勘だが、どれだけ返信したところで返事なんて帰ってこないだろう。

 なんのヒントもない。非常に困った。

 私は5秒くらい、うーんって悩んで。


「しょうがないか……。とりあえず、一軒ずつ見て回ろう」


 目に映る建物に、手当たり次第突撃することに決めた。ここで突っ立っても仕方ないし。考えてもわかんないなら、とにかく足と手を動かすしかないでしょう。

 私は自転車に跨り、敷地内を走り回ろうとした――その時。


 重く響く打撃音がしたと思った瞬間、大きな影が空から降ってきた。

 思わず身構えるが、それは綺麗な放物線を描いて、後方の噴水へ見事に着水した。

 水飛沫が激しく飛び散り、小雨が降ったかのように、私のブレザーが濡る。


「あはははははは! しぶといのねぇ、お馬鹿さん! 諦めが悪いのも、考えものねぇ」

「逃す、わけ、ねぇ、だろ……!」


 飛んできた影は、二人の人間だった。小柄な女の子と――全身を朱に染めいる、息も絶え絶えな男の子。

 そして、私を挟むようにして、向こう側から、そんな声が聞こえてきた。

 そこにいたのも、男女の二人組だった。

 一人は、きらきらに飾った髪の毛を振りかざし、扇子を口元に当てながら、楽しそうに高笑いをしている女の子。

 もう片方の男の子は――岩だった。山に転がる、巨大な岩石。スケール感が狂うほどの威容。腕も胸も脚も、異様に発達した筋肉が、彼の制服の内から主張している。

 私は、困惑した。え、何、喧嘩、人間が二人、飛んだ……?

 そんな感じで呆然と立っていると、扇子を持つ女の子が、よく通る声を発した。


「嘉門。見てよ。またくだらない女を見つけてしまったわ。しかも……ふふふっ! 『彼氏』がいないじゃない! ぷくく! なんて憐れで無様。きっと見捨てられたのね、お可哀そう」


 嘉門と呼ばれた、岩のような男の子は、女の子の笑い声に合わせて、己自身も低い声を震わせ哄笑した。


「ググググ……! バカ、みたいに、突っ立ってる! あまりにも、命知らず、だ!」


 その二人組は、信じられないくらいの悪意を発散させながら、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。

 そして、噴水に浸かる二人に、反応があった。


「が……ハッ、ハッ……。クソ、やられちまった」

「コウくん、コウくん! 良かった、意識が!」

「あァ……ぐっ……! ……だが、あっちはヤラれた。俺も、本調子が出ねぇ、クソ」


 視線を後方に向けると、噴水の中で、甲斐甲斐しくコウくんと呼ばれた男の子の様子を看る女の子の姿があった。コウくんは、なんとか彼女の問いかけに小さく答えてはいるものの、全身の傷口から血が流れており、肩で息をしているような有様だ。

 ほんのりと、周囲の水が彼の赤色で染まっていく。

 そしてよく見ると、なんと彼らの傍らに、小型のバイクのようなものも転がっているではないか。

 私は、また、目の前に迫りくる、二人組を見やった。

 

 この男の子……嘉門くん、が、彼ら二人と、バイクを放り投げた、のだろうか。

 だとしたら信じられない怪力だ。そして、そんな化物に追われるなんて、これ以上の悪夢があるのだろうか。

 その化物の隣に悠然と立つ女の子と、視線が交差する。彼女は扇をぱちんと閉じると、整った唇でにこりと微笑んだ。


「ご機嫌よう。私は鴨志田貴咲羅かもしだきさら。こっちの大きいのは嘉門豪かもんごう。私の『彼氏』。どうぞ、よろしくね」

「あっ、は、はい! えと、私は、芹沢優希、です……で、ございます、わ!」


 突然のご挨拶に、少し驚いた。あまりに滲み出る優雅さに気後れしてしまい、昨晩あれだけ練習したお嬢様語が、変な形で出力されることとなってしまった。

 そんな私の言葉など、端から興味なかったのだろうか。ふふふと笑いながら、キサラ、と名乗ったその子は、再び扇を開き、己の顔を扇ぎ始めた。


「ところで、私達はそこの二人に用事があってね。優希、貴女を見逃してあげるから、大人しくここから立ち去ることを約束してくれないかしら。邪魔されると、すごく、嫌なの」


 唐突に、そんなことを言い出した。

 ええーっ、どういうことなの〜!?

 私はまだ理解が追いついておらず、ええと、なんて言葉しか絞り出せない。


「いよいよ追い詰めたのよ。万が一にも、取り逃がしたくなくて。簡単でしょう? その薄汚い自転車に跨って、どこかへ離れてくれればいいだけ。『彼氏』もいないようじゃ、どこ行ったって地獄でしょうけど」

「ええーっと。いや、まぁ、立ち去るのは、うん、すごく簡単なんですけど」


 私はちらりと、傷だらけのカップルを覗く。

 彼らは、緊張を張り詰めさせ、こちらの動向を観察していた。

 私は、思わず尋ねた。


「その後、あの子たちになにをするんですか」


 キサラは、ふふふと笑った。


 


 とてもいいアイディアでしょう? なんて自慢するかのように。そんなことを軽く言い放った。


「そういう意味では、貴女も間引かなきゃいけないけど。優先度が違うの。強い駒を早めに潰さないとね。よかったわね、優希、中々の幸運よ。逃げるなら今のうちね」


 キサラの物言いは、あまりに高慢だった。でも、隣に侍る巨人が、その存在だけで、反抗は無意味であることを告げていた。

 トンデモ学園にきて、数分でこんな修羅場に巻き込まれてしまった。

 彼女の仰るとおりで、私には身を守る術が無い。後ろで、固唾を飲んでこの光景を見守ってる傷だらけの二人も、こんなか弱い少女一人に、なんの期待もしていないだろう。

 私は俯きながら、自転車に跨り、ペダルを踏みしめた。キサラの、満足気な表情が視界の隅に見える。

 その地点から大きく弧を描くようにして、猛スピードで渦中から離れていく。


「それじゃ、仕上げにしましょうか」

「グググ……! もう、泣いても、叫んでも、容赦しねえ、からな!」


 そんな勝利宣言が微かに聞こえてくる。コウくんと小柄な少女が、どんな絶望に顔色を染めているかなんて、知る由もない。

 当然のことだ。こんな暴力が当たり前に行われる学園だということは知っていた。学費だけではない。現世とはあまりにも違いすぎる、異次元の法がまかり通る世界に、私達はやってきたのだ。

 だから、あの二人も、こんな暴力に晒されることは、覚悟の上でやってきているはずだ。

 だから私が彼女らを救ける理由なんかないし、危険からは身を遠ざけるのが、求められる『淑女』としての在り方なのだ。

 だから私は思い切りペダルを漕ぐ。ペダルの上に立ち上がって、より体重をかける。

 突風になったかのように、車体の限界までぐんぐんと加速する。

 大きく描いた円弧は狂うことなく、美しく巡り。

 トップスピードに乗った私と自転車は、最早弾丸と化した凶器で。

 弾道の先には、姿


「――うりゃぁぁぁぁああああああ!」


 私は一切スピードを緩めることはせず、そのまま思い切り嘉門の背中に突撃した。


「は――!? あ――グァッ!」

「は、え、な、ちょ、ちょっと!」


 物凄い衝撃が掌にも伝わる。

 衝突の瞬間私は身を投げ出し、地面にゴロゴロ転がった。嘉門は暴れ馬のような自転車に吹き飛ばされ、絡み合い、彼も無様に、どしんと倒れた。


「か、嘉門! ちょっと、貴女! は……? あ、頭おかしんじゃなくって!?」

「うるさい!」


 狼狽するキサラに、鋭く怒鳴り返す。

 ――またやっちゃった。

 本当に、よくない私が、また出てしまった。


「薄汚い自転車の威力はどうよ」


 キサラの整った顔を睨みつけ、擦り切れた頬を拭いながら、私は――言ってやる。

 

「デキが良いとか悪いとか悪いとか、アンタに決められることじゃない! ……ですわよ!」


 彼女は、呆然とした表情で、啖呵を切る私を見ていた。

 その隙に素早く立ち上がり、噴水まで駆け寄り、二人に手を差し伸べる。


「さあ、逃げよう!」


 彼女は戸惑いながらも、その呼びかけに応えてくれて、男の子を脇にかかえ、私の手を借りながら噴水から転がり出て、そのまま三人で走り出した。

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