第50話 旅と場所と自分の問題
僕は東京と茨城の二重生活をしている。
僕は、基本的に東京が好きである。世界のどの都市よりも東京が好きだと思う。
こんなに安全で、こんなにケバケバしく、こんなに無秩序で、こんなにコンビニがあり、こんなに食べ物がおいしくて、こんなにビルが壊されて、こんなにビルが建てられて、こんなに無軌道な若者が我が物顔に歩いていて、こんなに頻繁にケータイメールが飛び交っていて、こんなに下品な広告だらけの都市は たぶん他にない。
同時に、この世界の潮流から全く外れた進化を遂げる小さな機械が大好きである。この仕事が心底好きである。この仕事の特等席は、世界中探しても、ここ東京にしかない。
だから東京にわざわざ部屋を借り、住んでいる。
ただ、東京だけにずっと となると、それは何かが違うぞ という気分が頭をもたげてくる。東京でずっと働いていたら、普通は海外にロングステイか、旅行に行きたくなるものである。それが当然なのだ。
東京で消耗した何かを取り戻すために人は旅に出る。
茨城という土地、特に僕の自宅のある水郷と呼ばれる地帯は、ウェットランドである。基本的に湿地帯だ。水が豊富にあり、平坦な土地は北海道のように遥か地平線まで続く。
東京で消耗した何かを取り戻すには絶好で、全てがスロー。スローライフスローフードである。しかも都内からは1時間程度の移動で着く。
茨城で僕は、料理を作り、洗濯をし、掃除をし、ガーデニングや土いじりをし、クルマを思う存分乗り回し、時には畑に出ることもある。
空想の建築物を頭に描き、趣味の建築の図面を引く。
こういうバランスで、いまの生活が成り立っている。
20代のころは、南の楽園での生活を夢見て、アメリカ(ハワイ州)の公認会計士になって、ハワイあたりでのんびり暮らそうかとも思ったこともあった。
が、そんなに早くセミリタイヤしてしまうのは、もったいないと考えるようになった。仕事が面白く、それから全く離れてしまうことは考えにくかった。
若いうちに色々な経験を積むのは悪いことではない。しかし、大事なのは、その経験から何かを掴み取ることである。自分は何者で、何をする者なのか、何を成すものなのか、何をしたらしあわせを感じるのか それを掴み取ることである。
しあわせは、微妙なバランスの上に成り立っている。そのバランスをコントロールすることが、大人の生き方であると思う。
(とはいっても180度方向転換してしまうのも、それはそれで素敵だけれども)
答えは 旅の中にはない。 答えは 旅を欲する自分の中にある。
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