第5幕 死せる姫君に狼のくちづけを

死せる姫君に狼のくちづけを(1)


 移動劇団〝語り部語りテイルズテイル〟の公演にて起きた騒動。

 多くの観客を巻き込み、怪我人を出しはしたものの、幸いにも現時点で死者はない。


 駆けつけた警兵隊の応対は団長である金色孔雀が務めている。

 観客としてまぎれ込んだ数名の暴漢による傷害事件──そのような形で説明するそうだ。


 怪物云々は幻覚やら錯覚だのと適当に誤魔化すつもりのようだが、人の口に戸は立てられない。相当数の者が目撃している以上、風聞の流布は避けようがないだろう。

 それが今後の劇団の活動に悪影響がなければ良いのだが──。

 差し当たっての懸案は、この街での今後の公演予定だ。


「ふん、状況としてはこの劇団、もしくは特定の人物を狙った事件だ。単なるイヤがらせにせよ、拉致や殺傷が目的だったにせよ、劇団側が被害者なのは変わらんだろう?」


 クルークの不機嫌そうな言に、コウシロウは溜め息で応じる。


「それでも、芸能活動ってのは人気商売です。風聞の影響は大きいですよ。再び危険な騒ぎが起こるかも知れないと恐れて、敬遠されるかもしれない。何より、事件のことをあることないこと勘繰って中傷され、悪いイメージを持たれる可能性は高いでしょう」


「そのくらいはわかっている。だが、キサマはまず劇団のイメージより先に、気にすべきことがあるのではないのか?」


 イラ立ちというよりは、焦燥に駆られるように、クルークはコウシロウを睨んだ。


「状況としてはともかく、事実として狙われたのは〝白雪姫スノーホワイト〟さんであろう。あの黒い魔獣ども……あの黒髪の女は何者なのだ?」


 まるでその答えをコウシロウが承知していると決めつけるような言は、貴族ならではの態度なのか? それとも、知っていると推測しての追求なのか?


 ここは〝波鎮号ウェイブスィーパー〟内、ひとまず適当に陣取った空き室の中だ。

 もとより椅子と簡易テーブルしかないような殺風景な部屋で、端から友好的とは言いがたい男ふたりが、仏頂面で睨み合い座している様は、実に剣呑な状況だ。

 さて、正直、魔獣の方に関しては別段秘密にするようなこともない。


「東方で、忌刃キバの黒狼と呼ばれている怪物の、その眷属けんぞくですよ。人の暗い感情を糧として喰らう……ソウル・スティーラーって言えばわかりますかね? 下級のヤツらは肉体ごと喰い尽くしますが、真祖……要するに上級な純血種は、負の感情だけを結晶化して取り出して、より純度を高めた状態で喰らうことができます」


 黒狼は喰らった負の感情を素にして仔を宿し、産み落とす。

 そうして己の眷属を増やし、種として繁栄することが黒狼の生態であり習性だ。

 ジャラワンでコウシロウが葬った黒い獣は、かつて忌刃キバの黒狼がコウシロウの同胞を喰らって、その負の感情から産み出した眷属ということだ。

 すなわち、あの黒髪の歌姫〝黒泥姫グレイブハート〟は──。

 だから、そこから先は、少なくともコウシロウがベラベラとしゃべることではない。


「この大陸にも、吸血鬼ヴァンパイアとか獣人ワイルドマンとか、似たような怪物はいると聞きましたが」

「伝説や物語には伝わっている。が、実在するわけではあるまい。いや、実在したからこそ、ああして現れたのであろうが……」


 クルークは改めて双眸を細めて詰問する。


「……なぜ、あの黒い女は〝白雪姫スノーホワイト〟さんにそっくりだったのだ?」

「さあ? 普通に考えれば、生き別れの双子とかでしょうか。この劇団にきて間もない僕ではわかりませんが」


 コウシロウがわざとらしくない程度に肩をすくめれば、クルークはハッキリと腹立たしそうに鼻を鳴らした。


「それで? キサマはさっきから何をしているのだ?」

「何? とは?」

「こんなところで私の相手をしていないで、さっさと〝白雪姫スノーホワイト〟さんのもとに行くべきではないのかと言っているのだ!」


 やけに感情的なクルークの態度に、コウシロウは少し戸惑いつつ。


「……なぜ、僕が行く必要が?」


 それは確かに、同じ一座の仲間として薄情な反応ではあったろう。

 だが、クルークはハッキリと別枠のイラ立ちに顔を歪めた。


「ふん、そうか。なら、私は彼女のもとに行くぞ。私は、彼女の歌を愛する者としても、彼女自身を慕う者としても、彼女のことが心配だからな」


 立ち上がり、部屋を出て行くクルーク。溜め息とともに、コウシロウも後を追う。


「何だ? 結局キサマもくるのか?」

「部外者をひとりでウロつかせるわけにはいきませんからね。そもそも、あなたはファナティアさんがどこにいるのか知らないでしょう?」


 先導する形で甲板への出口に向かうコウシロウに、クルークは不可解そうに。


「おい、なぜ外に向かう。あんなことがあって、彼女は今、気落ちして部屋で休んでいるのではないのか?」


 彼は詳しい事情は知らずとも、あの劇場の一件でファナティアがショックを受けていたのは明白で、ならば部屋にこもっていると考えるのは、確かに自然である。

 だが──。


「……たぶん、部屋にはいませんよ。あの人の心情はわかりにくいですからね」


 声音は投げやりながらも断言するコウシロウに、クルークは口の端を下げつつ、それでも大人しく追従してきた。


 甲板に出てみれば、劇場入口では仮面の団員たちが忙しそうに動き回っている。内外の破損箇所を修理しているのだろう。金色孔雀と警兵隊は劇場内にいるのだろうか。


 吹き抜ける微風。

 それに乗って流れてくる静かなメロディ。

 風音の中でも霞むことなく響いてくるその旋律は、いかにも日差しの心地良さを堪能している様子の、優しくも明るい音色。

 見上げれば、劇場の屋根の上、陽だまりに座して楽しげに鼻歌を奏でている銀髪の歌姫の姿があった。

 屋上部の縁に腰かけ、彼方の景色を眺めながら微笑み歌う姿は穏やかで、先の騒ぎでヘタり込んでいた時の困惑は感じられない。

 ふと、翡翠色エメラルドの眼差しがコウシロウたちに降ってくる。


「あ、クーちゃん♪」


 嬉しそうな声。直後、ファナティアは空中に身を躍らせた。

 突然の投身にうろたえるクルークをよそに、コウシロウはいつものように両手を広げ、降ってきた歌姫様を受け止める。


「ふふ♪ ナイスキャッチ」

「……だから、いきなり飛び降りてくるのはやめてくださいよ」

「大丈夫よ。クーちゃんは絶対受け止めてくれるもの♪」


 ファナティアは幸せそうな笑顔でうなずきながら。ふと、そこでようやく横に立っている金髪の貴公子に気づいてわずかに目を見開いた。


「バンデルトさん……じゃなかった、バンデルト卿。先ほどは助けていただき、ありがとうございました♪」


 丁寧に改めて礼を言う。

 とはいえ、コウシロウに抱き抱えられてハシャぎながらでは、無礼なのは変わらない。そもそもこの在り様は〝白雪姫スノーホワイト〟のファンであるクルークにとっては、はなはだ面白くないだろう。


 猛烈な抗議に備えて向き直ったコウシロウ──だったのだが、予想に反してクルークは平静な様子で、思案げに首をかしげていた。


「…………ふむ」


 もらした声は、安堵と困惑とが半々に。


「気落ちしているかと思ったのだが、元気そうだな〝白雪姫スノーホワイト〟さん」


 元気であるなら良いのだ──と、尊大に首肯する。コウシロウが愛しの歌姫を抱え上げていることについては、さほど気にしてはいない様子。

 コウシロウの方こそが困惑して見やれば、クルークは眉をしかめて睨み返してきた。


「何だ? 私は空気も読めぬ無粋者ではない。東方でも〝人の恋路を邪魔する輩は何とやら……〟とか言うのであろう。だいたい、当の〝白雪姫スノーホワイト〟さんが幸せそうなら、ファンとしてそれに勝る至福があろうか」


「手下と一緒に無理矢理に押し入ろうとした人の台詞とは思えませんね」


 コウシロウの率直な感想に、クルークは頬を引き攣らせた。


「う、うるさい! あの時は人数分のチケットが手に入らずに急いていただけだ。それに普通なら……というより、ここ以外では金さえ積めば問題など起きたことはないんだぞ。金色孔雀が融通の利かぬ偏屈なだけだ!」


 憤慨よりも、心外そうにぼやく貴族のお坊ちゃま。

 それは転ずれば、手下連中にも公演を観覧させてやろうとした結果ということだ。

 先の劇場での奮闘といい、基本的にワガママ育ちの世間知らずというだけで、根はそう悪い男ではないのかもしれない。


「だいたいキサマ! 天下の〝白雪姫スノーホワイト〟さんにそれだけくっつかれながら、何ゆえそんなに淡泊なのだ。その幸福を理解しとらんのではないか!?」


 血を吐くようにうらやましそうに叫ぶクルークに、コウシロウは苦笑いしか返せない。

 熱くなった己を自覚したのか、クルークはすぐにコホン! と、わざとらしく咳払い。


「ともかくだ! 東方人、キサマのことは気に食わんが、腕が立つのは事実。〝白雪姫スノーホワイト〟さんをしっかり守れよ。彼女に何かあれば、バンデルト家の名にかけて物理的にも社会的にも必ず抹殺してやるからな!」


 クルークはビシッと指差し警告すると、足取りも堂々と立ち去って行った。

 乗降タラップを下りて行く後ろ姿を見送りながら、コウシロウはしみじみと溜め息を吐く。


「物理的には負ける気がしませんが、社会的に攻められるとひとたまりもありませんね」

「うーん、クーちゃんが抹殺されちゃったら困っちゃうなあ」


 あははー♪ ──と、笑声を上げて身を預けてきたファナティア。


「……うん、ホント、困っちゃうねえ」


 朗らかな笑顔でさらに身を寄せてくる。

 霊木の鎧越し、少しでもその体温を感じ取ろうとでもするような密着。それは、あたかも凍えた獣が身を縮めてうずくまるかのように弱々しい仕種。


(……実際は、わかりにくいというほどでもないですよね……)


 内心に呻きつつ、コウシロウは抱き上げていた手を唐突に放す。


「わわッ!」


 急に支えを失ったファナティアが慌ててしがみつこうとするが、コウシロウはその腕をやんわりと振り解いて地面に立たせた。


「……クーちゃん?」


 笑顔を微笑に変えて首をかしげるファナティア。

 その衣装や髪の乱れを、丁寧に優しくととのえてやりながら、コウシロウは静かに問いかける。


「今、ですか?」


 ファナティアは微笑みのままに、ことさら力強くうなずいた。


「……うん、スゴく楽しいよ♪ 心の奥からわくわくが込み上げてくる感じ♪」


 コウシロウは短く息を吐き捨て、彼女の顔を真っ直ぐに見つめて告げる。


「そうですか。つまり、それは……ということです」


 彼女の肩に触れれば、霊木の手甲越しに伝わってくる、小刻みで明確な震え。その震えを自覚しながらも、ファナティアは頭を振った。


「え、違うよ。これは、楽しいから♪ 楽しくて震えてるのよ?」


「そうですかね? だって、あなた言ったじゃないですか。もし負の感情が戻ってきたら……そう思うと怖いって。なら、その負の感情の化身である〝黒泥姫グレイブハート〟が現れた今、あなたは不安と恐怖で追い詰められているはずなんですよ?」


 だから──。


「今、あなたは怖がってるんです。怯えてるんです。ただ、それが反転して悦楽に感じられているだけですよ」


 静かに、聞き分けのない子供をイサめるように言い聞かせるコウシロウ。

 ファナティアは微笑んだまま、その頬を微かに引き攣らせた。


「……だったら、何?」


 笑声を上げたファナティア。


「楽しいんだからいいじゃない。楽しく感じられているんなら……、怖いよりいいでしょう? 怖くて震えているより、楽しくて震えている方が絶対にいいよ!」


 楽しそうに、嬉しそうに、けれど、それは高ぶる感情に急き立てられた大声。

 まるで悲鳴を上げるように笑うファナティアの声に、作業していた団員たちも一様に手を止めてこちらを注視していた。

 遠巻きにこちらを見ている団員たち。

 その面相は仮面に隠されてうかがえないが、気忙きぜわしそうに狼狽ろうばいしている様子を見るに、きっと心配しているのだろう。

 コウシロウよりも遥かに長い付き合いなのだ。銀髪の歌姫の歪みは、一座の者たちはみな察知しているはずだ。

 団員たちの中には、いつの間に現れたのか金色孔雀の姿もあった。

 アルスラもいて、その横にはユリシャもいる。

 多くの者が居並びながらも静まり返った甲板上で、なお満面の笑顔のままでファナティアは声を震わせた。


「クーちゃんは、わたしが楽しそうに笑っているよりも、怯えて泣いている方がいいの?」

「いいえ、誰であれ、怯えて泣いているのはイヤですね」

「だったら……!」

「ただ、本当はツラくて苦しいのに、笑っているのは……笑うしかできないというのは、とても苦しいことのように思うんです」


 ねえ、ファナティアさん──と、コウシロウは真っ直ぐに目を合わせて問いかける。


「今、?」


「…………ッ……」


 ファナティアは微かに息詰まるように身をすくめて、目を閉じた。


「ふふ……♪ ええ、楽しいよ? 楽しいから笑うんだよ? 決まってるじゃない。クーちゃんは可笑しいなあ、ホント、可笑しいねえ……ふふ、ふふふ……あははは♪」


 込み上げる喜悦に堪えかねたように、ファナティアは笑声を上げながらコウシロウに抱きついてきた。ギュッとしがみつき、胸もとに顔を押しつけて、本当に楽しそうに笑う。


「ふふふ♪ 楽しい! 楽しいよ! こんなに楽しいのに、何がいけないの? ねえ、ねえ、クーちゃん! ふふふふ、あはははははは♪」


 明るい笑声。楽しげな言葉。

 それでも、それは、すがりつき泣きじゃくる姿そのままだ。

 込み上げる喜悦が、本当は喜悦ではないと自覚しているがゆえの混乱と困惑。

 だからコウシロウは、笑い続けるファナティアの頭をゆっくりとなでる。むせび泣く悲しみをなだめるように、込み上げる憤りと罪悪感にさいなまれながら、なで続ける。


 楽しげに笑い続ける〝白雪姫スノーホワイト〟──。


 それは魂をむしばむ黒狼がもたらした歪み。ならば、彼女がこうなったのは、黒狼を解き放ったコウシロウのとがである。

 だから、そういうことだ。


 赦さない──と、ファナティアはそう言ったけれど。


 コウシロウが赦される道理など、最初から有りはしないのだった。


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