ストレイウルフ・アストレイ
アズサヨシタカ
ストレイウルフ・アストレイ 第1部
序幕 異邦獣
異邦獣
繁華街の情景というものは、どの土地もだいたい同じようなものである。
薄暗く、どこか胡散臭く、それでいてヤケクソのような華やかさに満ちている。
ましてや、それが夕刻の酒場ともなればなおのことだ。
喧騒と酒香に濁った空気。
この酒場で店主として二十年以上を過ごした彼にとっては、すでに慣れ親しんだ環境であり、常の世界である。
だから、そのいつも通りの世界にまぎれ込む異物の存在には、誰よりも早く反応した。
開け放たれたままの店の入り口、そこに現れた旅装の姿。
そいつは店内をぐるりと見回すと、ヒョロリと高い長身をフラフラと揺らしながら、真っ直ぐにカウンターの前へとやってきた。
「すみません、このあたりで、何か奇妙なことは起きていませんか?」
問いかけてきた声はまだ若い男のもの。
薄汚れたコートに身を包み、フードを目深にかぶった姿からは人相をうかがうことはできないが、それ自体は別段不審なことでもない。
西に広大な砂漠を望むこの地は、年中から乾いた風と砂埃にまみれている。土地から土地を渡り歩く旅人はもとより、屋外を出歩く者たちは皆似たような格好である。
だから、初老の店主が微かに眉をしかめたのは、そういう単純な人相風体からくる印象ではないのだ。
この旅装の青年が入店してきた時に感じた、腹の底がざわつくような違和感。怖気にも似たそれは、確かに以前どこかで味わったことがあるのだが、果たしてどこであったか──?
店主はいぶかる内心をできるだけ営業用の笑顔で覆い隠しつつ返す。
「お客さん、ここは飲み屋だ。まず何か注文してくれんかね。酒以外に
も、自家製の酵母パンがウチの自慢だよ」
席に着くことはなく、カウンター前にたたずんだままの旅人は、ピクリとイラ立ちを堪えるように肩を震わせた。長身がガチャリと音を立てたのは、コートの下に鎧でも着込んでいるのだろうか?
ならば、渡りの傭兵か?
それとも──。
微かに息をひそめて、わずかに片手を上げた店主。
その所作に、店の奥で酒を運んでいた大柄な男が、動きを止めてこちらを睨む。
どうやら用心棒代わりでもあるらしいその男がこちらに歩み寄るよりも早く、不審な旅人はいかにも申し訳なさそうに首を垂れた。
「すみません……そうしたいのはヤマヤマなんですが、先立つものがないんですよ」
申し訳なさそうに、そして、ほとほと弱った様子で嘆くその姿に、店主はやや拍子を外された思いで「……そうかい」と溜め息を吐いた。
気を取り直すように咳払いを挟みつつ。
「奇妙なこと……と言われても、漠然としすぎていてわからんね。少なくとも、ここらで起きてる事件なんざ酔っ払いの喧嘩が精々だよ。さあ、客じゃないんなら商売の邪魔だ。悪いが帰ってくれ」
やれやれと答えた店主に、対する旅人はしばし黙したまま。
店主の言葉よりも、その表情や所作にこそ注視するように、じっと押し黙っていた旅人だったが、
やがて、短い笑声をこぼして首肯を返した。
「……そうですか、お忙しいところを失礼しました」
丁寧に辞儀をして出て行く旅人。
その後ろ姿を見送りながら、店主は自分でもよくわからぬ安堵を感じつつ、もう一度、深い溜め息を吐いた。
傭兵か盗賊か、何にせよ物騒な輩には違いないと警戒していたが、考えてみれば、荒くれの客で賑わう酒場にひとりで乗り込んでどうできるわけもない。
それに、あの旅人の物腰はどこまでも穏やかだった。
果たして、店主が感じた怖気は何であったのか?
わからないが、いつまでもそんな疑念にこだわってもいられない。新たに投げられた注文の声に応じながら。
──ふと、店主は怖気の正体に思い当たって動作を止めた。
「…………思い出した。あれは〝狼〟の気配だ」
店主はずっと昔、まだ駆け出しの行商人であった頃に、森で狼の群れに追われたことがあった。
その時の感覚に、あの旅人の気配は良く似ていたのだ。
思い出して、そして、すぐに頭を振る。
(バカらしい、それこそただの気のせいだろうさ……)
苦笑しつつ、店主は常の仕事に戻っていった。
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