第45話 甘すぎる僕と父親との対面


 ――カチ、カチ、カチ。


 掛け時計が時間を刻む音が、やけにうるさく僕の耳まで届いてくる。


 姉さんはいつものように、キッチンで夕食の準備をしている。


 ただ、いつもと違うところは、あの姉さんが僕に一切話しかけずに、黙々と料理を作っているところだ。


 一体、姉さんはどんな顔で僕たちの様子を窺っているのだろうか?


 そして、本来なら誰も座らない椅子に腰をかけている人は、最初に僕に声をかけただけで、あとは黙って鎮座している。


 綺麗に整えた身だしなみに、人を威圧するような目つきが、僕は昔から苦手だった。


 どうして……よりにもよってこんな日に帰って来るんだよ……。


 悪態の一つでも付きたいはずなのに、僕も同じように黙って俯いているだけだった。


 すると、部屋着にエプロン姿の姉さんがキッチンから出てきた。


「あの……お義父さん。お茶……用意しようか? りくくんも、出かけてたから、喉、乾いたよね?」


 姉さんの声は、いつも以上に優しくて、その声についつい縋り付いてしまいそうになった。


「いや、私はいい。またすぐに仕事に戻るからな。気遣いはいらん」


 しかし、父さんは姉さんの厚意を受け取らなかった。


「ご、ごめんなさい……」


 姉さんは自分が失態を犯してしまったかのように、苦悩の表情を浮かべた。


 何で、姉さんが謝らないといけないんだ……。


 姉さんは、何も悪いことなんてしてないだろ……。


 僕は震えそうになる身体を、なんとかして抑え込もうと必死になる。


「おい、りく


 だが、父さんはそんな僕の怒りを察したのか、いきなり声をかけてきた。


「お前、新しい学校はどうなんだ? ちゃんとやっていけてるのか?」


 その瞬間、今まで抑えていたはずの怒りが霧散し、冷たい水をかけられたように身体中が寒くなる。


 昔から、僕はこの父さんの声が苦手だった。


 威圧的で、命令されているような感覚。


 僕は何も悪いことをしていないはずなのに、罪悪感のようなもので押しつぶされそうになってしまう。


 でも、昔はそんなときにでも、助けてくれる人がいた。



『もう、駄目ですよあなた。りくくんだって頑張ってるんですから。ねえ、りくくん?』



 ずっと、僕の味方してくれた優しい人。



 だけど、その人はもう、僕の傍にいない。



 ――母さんは、もう二度と僕が会えない場所に行ってしまった。



「別に……普通だよ」


 僕は、精一杯に虚勢を張って、そう答える。


 しかし、そんな僕の様子を見透かしたように次なる質問を投げかけてくる。


「いいか。お前は紗愛さらとは違って、人より何倍も努力しないといけないんだ。今は大丈夫だと思っても、すぐに周りの奴らに追い付かれる。受験はなんとか合格して安心してるんだろうが、本当に気を引き締めなくてはいけないのはこれからなんだぞ、分かってるのか、りく?」


 分かってるさ。


 僕が姉さんと同じ学校に入れたのは、たまたま運が良かっただけだ。


 僕の努力なんて、姉さんの存在に比べたら無いも同然だ。


 だから、いちいち僕に現実を押し付けないでくれ。


「あ、あの、お義父さん……りくくんも、高校に入ってから、すっごく頑張ってるんですよ」


 すると、姉さんが今の状況を見かねたのか、無理やり話に割り込んできた。


「ほら、お義父さんも知ってると思いますけど、華恋かれんちゃんと一緒の部活に入って、明日も公演会があって、その準備で今日は……」


 と、姉さんが話を続けようとすると、父さんはピクッっと身体を動かして声を発する。


「部活……だと?」


 不機嫌な様子を隠さないままで、父さんは僕に尋ねてくる。


「お前、部活なんて入ってるのか?」


 僕は、何も言い返せなかった。


「あの、お義父さん……」


 姉さんは父さんから発せられる空気を察し慌てて取り繕おうとするが、上手く言葉が出てこないようだった。


 だが、僕が何も答えなかったからなのか、今度は姉さんに問いかける。


「どういうことだ、紗愛さら? りくはお前と同じ生徒会に入れると言っていたじゃないか?」


「それは……」


 一瞬、言い淀んだ姉さんだったが、すぐに父さんの質問に答えた。


「私は……りくくんがやりたいことを見つけたと思って……許可をしました。いえ、違います。はじめから私に権利なんてなくて……。りくくんが決めたことでしたから、姉の私は、ちゃんとりくくんを見守ろうって、そう思ったんです」


 姉さんは、強い意思のある目で、父さんと対峙している。


 だが、そんな姉さんを憐れむように、父さんは深いため息を吐いた。


「……お前まで、前の私の妻と同じことを言うのか。いいか、お前たちが甘やかすから、りくは駄目になるんだぞ」



 ――やめろ。



「妻もお前も、どうしてそうりくに甘く接するんだ。だからりくは一人では何もできなくなると気づかないのか?」



 ――違う、そうじゃない。



 ――僕が、駄目な理由なんて……。



「姉さんも、母さんも……関係ない……」



「……なに?」


 僕は、今まで抑えていた感情を爆発させるように、叫んだ。


「僕が駄目なのは、僕が一番わかってるさ! 父さんが望むような子供にはなれないし、姉さんみたいにみんなから頼りにされることだってなかったさ!! でも、それは僕自身の問題だよ!! 姉さんも……母さんも関係ないだろっ!!」



 そうだ、僕が何もできないのは、昔から何も変わっていない。



 父さんはずっと、僕が立派な人間になるように望んできた。



 だけど、僕は頭も良くないし、誰からの信頼も得ることができていない人間だ。



「……わかっているのなら、私や紗愛さらのように社会に貢献できる人間になれ。私のように弁護士の仕事に就けとはいわんが、お前が社会に出るまでに必要な進路も私がちゃんと計画している。お前はそれに従えばいいんだ」


 そう言って、父さんは席を立ちあがった。


「……仕事に戻る。紗愛さら、さっきも言ったが、りくをあまり甘やかすんじゃないぞ」


「…………」


 姉さんは、父さんの言い残していったことに返事をしなかった。


 だが、父さんはそんなことは全く気にしていないのか、黙ってリビングから出て行ってしまった。

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