第五章 甘すぎる僕のお姉ちゃん

第43話 甘すぎる僕のお姉ちゃんと本番前日


 5月初旬。


 GWも後半へと差し掛かるこの日、僕は華恋かれんしお先輩と一緒に、喫茶店『ラブリーキャット』を訪れていた。


 だが、今日『ラブリーキャット』に集まったのは、華恋かれんの大好物である『トロピカルアラモード』を食べに来たというわけではない。


 僕たちは最後の打ち合わせのために、ニコさんのお店を使わせてもらっていたのだった。


 その打ち合わせとは、もちろん僕たちが公演する『ブレーメンの音楽隊』の人形劇についてだ。


『んじゃ、お前ら、本番はいよいよ明日だが、問題はねえよな?』


 ブルースさんが発破をかけるようにそう告げると、前の席に座っていた僕と華恋かれんは、同時に頷いた。


「はい、問題ありません」


「バッチリに決まってるでしょ。あれだけ練習したんだから」


 華恋かれんはもちろんのこと、僕だって明日の日の為に万全の状態でやってきたのだ。


 普通の人から見たら、ただのお遊戯会の出し物くらいにしか思わないだろうけど、僕にとっては、初めて『自分の意思』で何かをやってみたい、と思って始めたことを披露する日である。


 何としても成功させたいという気持ちは、華恋かれんしお先輩にだって負けていない。


『ふっ……いい返事だぜ。もうオレ様が教えることは何もなさそうだな』


 そう言って、クールに呟くブルースさんも、気合が入っているのか、いつも以上に渋い表情をしていた……ように思う。


「にゃにゃ~ん、お店がお休みにできたら、ニコちゃんも応援に行ったのに残念だにゃ」


「えっ? ニコちゃんも興味あったの?」


 突然現れたニコさんの登場にはスルーして、華恋かれんがそんな質問を投げかける。


 っていうか、さっきまでカウンターで接客していたような気がするのだが……。


「ありあり大アリにゃ。お嬢様とご主人様はウチの常連さんだし、ニコちゃん可愛いものなら何でも大好きなんだにゃ。だ・か・ら、このワンちゃんも触らせて欲しいにゃ!」


「!?」


 ニコさんが動くまえに、しお先輩は右手のブルースさんを覆い隠すようにして、身を縮こませた。その攻防は肉眼で何とか追える速度であり、今日の数分だけで何度も見てきた光景でもあった。


 僕たちは先ほど、公演会を行う市民会館に道具を預けてきたところだ。係りの人たちにも「子供たちも楽しみにしているので、明日は宜しくお願いしますね」と言ってくれたので、より僕たちのやる気はみなぎったのだった。


「うんうん! 社会貢献はいいことにゃ。ここは小さな町だけど、人の繋がりはとても大切だと思うにゃ!」


 なんだか、いつもよりニコさんがにゃんにゃん言っている気がするけれど、もしかしたらニコさんは人形フェチなのかもしれない。


 ただ、あれだけ触りそうにしてるのに、しお先輩からは完全に心のシャッターを下ろされているのが不憫で仕方がない。


 まぁ、しお先輩とニコさんって、性格が真逆って感じがするので、こればかりはどうしようもないのだ。


 それに、犬と猫だから愛称が悪いのかもしれない。いや、知らんけど。


「でも、ニコちゃんが来たら子供の視線がぜーんぶニコちゃんにいっちゃいそうだから、それはそれで大変なことになりそうよね」


「はにゃ!? た、確かに……それはアイドルとしての宿命……仕方ないにゃあ……」


 飾りの猫耳まで項垂れたように見えるくらい落ち込むニコさん。だが、ニコさんはすぐにいつもの営業スマイルに戻って、僕たちに言ってくれた。


「だったら、ニコちゃんはここで、お嬢様とご主人様たちの帰りを待ってるにゃ! そのときはい~っぱいサービスあげるから、期待していてほしいにゃ☆」


 最後は僕たちにウィンクして、カウンターへと戻っていくニコちゃん。「サービス」という言葉に反応したのか、華恋かれんの目がキラキラと輝いていた。


 どうやら、公演会後の打ち上げはこの『ラブリーキャット』ですることになりそうだ。


『兄弟たちは、誰か観に来ねえのか?』


 そして、先ほどの話題を引き継ぐようにして、ブルースさんが僕たちにそんなことを尋ねてきた。


「う~ん、あたしは友達が何人か観に来たいって言ってたけど、部活があるみたいで来れないんだってさ。あーでも、お母さんは来るって言ってたかな」


 注文したフルーツジュースを飲みながら、華恋かれんがそう答える。


りく、あんたは……聞かなくてもいいか。こんなイベントに紗愛さらさんが来ないわけないもんね」


 そう、華恋かれんの仰る通り、僕の姉さんは「行く行く! 絶対に行くに決まってるよ~!」とデカデカとカレンダーに予定を書き込んでおり、今朝出ていくときなんて、明日のお弁当のメニューまでどうしようかと悩んでいると相談された。もちろん、僕の分だけじゃなく華恋かれんしお先輩の分まで用意するとのことだ。


 っていうか、お弁当はいらないと思うんだけど……姉さんは僕が遠足に行くか何かと勘違いをしているのかもしれない。


『まぁ、あの姉ちゃんは生徒会の仕事ってこともあるんだと思うぜ。ほら、オレ様たちの部活って、元々は廃部危機だったわけだしな。ちゃんと活動報告を学校に上げる為にも見ておきたいんだろうぜ』


 あー、なるほど。すっかり忘れていたけれど、人形演劇部は人員不足によって活動が制限させられるかもしれないという通達を生徒会から受けていたのだ。


「いや、ないない。あの人はりくが目当てに決まってんだから。むしろ、生徒会で別の仕事があってもこっちに来るわよ」


 しかし、そんなブルースさんの意見を華恋かれんはあっさりと否定した。


「そ、そうかな? 姉さんだって生徒会の仕事があれば優先すると思うけど……」


「はぁ~、あんたは分かってないのよ、自分がどれだけ紗愛さらさんに好かれてるってことをね」


『ああ、同感だ』


 華恋かれんに続き、姉さんとは付き合いの短いブルースさんにまで相槌を打たれるとは、姉さんの僕に対する行動は、やっぱり世間一般的にみれば、相当なものなんだろうな。


「……こういうときくらい、紗愛さらさんもあたしに譲ってくれればいいのに」


「ん? 譲るって、どういうこと? 僕、今日はブラックコーヒーしか頼んでないんだけど……」


 おかしいな、「譲ってほしい」と言われても、いま華恋かれんが欲しがるような甘い食べ物はこのテーブルにはないはずだが……。


「な、何でもないわよ!? バカ、バカ、バカりくッ!」


「ええっ!?」


『はぁ~、息が合ってんだか合ってないんだか分からんが、その調子で舞台でも元気にやってくれよ、お二人さん』


 ブルースさんが肩を落としながら僕たちにそんな言葉を投げかけた。



 いよいよ、僕たちの練習の成果が発揮される日がやって来る。


 姉さんのように、沢山の人に認めてもらえるわけじゃないけれど、僕には僕の出来る精一杯のことをやればいいんだ。


 そうしたら、姉さんだって、今までのように僕を甘やかすこともしなくなるかもしれない。




 ――だけど、このときの僕はまだ気が付いていなかったのだ。



 ――やっぱり僕は、昔から何も変わっていない人間だったということに。


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