第41話 甘い話には裏がある

「どうやって二人を助けるの?」


 十数分前。

 私は、唐突に協力を持ちかけてきた黒崎朔に、その方法を尋ねていた。


 若林くんも、円佳さんも、他の誰も傷つかずにすむのであれば。

 それは、願ってもない案だ。


 だけど、往々にして。

 甘い話には、裏がある。


 そんな方法があるならば。

 ここに来るまでに、緋人くんや蒼兄が閃いていたとしてもおかしくはないし。

 環や藍ちゃんだって、今回のような強硬手段をとらないはずだ。


 もちろん、たまたま他のみんなが思い至らなかっただけの可能性はあるし、黒崎以外が知り得ない手段ということもあり得るけれど。

 いずれにせよ。そう簡単に、ついさっきまで敵だった人物の甘言に、諾と返事はできない。


「皆を助けたいのは山々だけど。内容を聞かないと、判断はできない」

「それは、もっともだねぇ」


 黒崎は、藍ちゃんの顔で小首を傾げて考え込む仕草をすると。

 やがて緩やかに問いかける。



「かつて。若林紅太は、ほぼ死にかけていた人間を生き返らせたことがある。

 なのに何故、若林紅太は『今』生きてると思う?

 前回できたことが、どうして今回はできないんだと思う?」



 思いも寄らぬ話をされて、戸惑う。

 けれど。言われてみれば、そうだった。



 くどいようだが、若林くんは死んだ人を生き返らせることはできない。

 あくまで、生きている人が対象である。

 そして前回も今回も。相手が死にかけているという点では同じだ。


 しかし前回、若林くんが危なかったという話は聞いていない。

 もし当時、若林くんが危険な状態になっていたのだとしたら、緋人くんはさっき話してくれただろう。蒼兄がいたとはいえ、その情報を隠す必要は別にない気がする。

 話を思い出す限り、そういった含みのあるニュアンスだって含まれてはいなかったと思う。


 素直に考えれば。つまり前回は、若林くんの身に危険はなかったということだろう。

 けれど。それでいて今回、緋人くんは『若林くんは致死量の血を抜かれる』と、ほぼ断定していた。


 その推測は、どこからきた?

 前と今とで、何の違いがある?



「それはね。からだよ」



 まだ私が考え込んでいるうち、黒崎は答えを告げる。



「前回は、相手が死にかけていた現場に、若林紅太が居合わせた。

 血は失われていたが、桜間円佳と違って失血しきっていなかったから、この前は血が足りたんだ」

「待って。言いたいことは、なんとなく分かるけど」


 混乱しかけて、私は手を広げて待ったをかける。



「若林くんが狙われてるのは、彼の血に治癒能力があるからだよね?

 別に、血を失われた相手に血をあげること自体が目的じゃないでしょ?」


「その通りだよ。ただ、そもそも桜間円佳があの状態なのは、極度の低エネルギー状態だからだ。

 桜間円佳はくだんの吸血鬼に自分の血をほとんど分け与え、その結果、今の状態になった。

 つまり絶望的に自分の血液が不足している。

 今回はその足りない分まで、全部を若林紅太から吸い上げようって魂胆だから、命に触るって話」


「じゃあ。そもそも若林くんが血をあげなくたって、病院に運んで輸血してもらえれば、円佳さんは助かるんじゃ?」


「別の要素を混同したら駄目だよ。整理したげるね」



 指を立てながら、黒崎は列挙する。



「一つ。桜間円佳は自分の血液が不足しており、それを補う必要がある。

 二つ。桜間円佳は半死人の状態であり、血を補うだけでは回復しない。

 三つ。桜間円佳は現時点では、病院に託すことができない」


「託すことができない?」


「吸血鬼の基準で言えば、桜間円佳は今、かろうじて生きているといえる。

 だけど人間の基準であれば、とっくに死んでる。医療じゃ手の施しようがない。病院に連れて行ったところで輸血どころか、死亡診断書が出されて終わりだ」



 至って淡々となされたその説明に、死亡診断書という単語に、どきりとする。


 でも、そうか。

 当たり前の話だった。


 人間の力で、一般的な医療でどうにかできる状況なのだとしたら。

 それこそ、環や藍ちゃんは、とっくに試しているだろう。



「それに吸血鬼の基準でも、ただ死んでいないだけで、そのままじゃ元通り動けるようにはならない。

 もっと力のあった先祖であれば、意図して永い眠りにつくことだってあったし、傷つけられて眠った場合も、そこから回復して元に戻るすべもあったらしい。

 だけど現代では、桜間円佳のようなケースは非常に稀だし、そこから自力で生還した事例はない。若林紅太みたいな特殊な能力に頼らない限りはね」



 そして黒崎は、四本目の指を立てた。


「そして、四つめ。

 若林紅太は、現在、パフォーマンスが最低レベル近くまで低下している」


「パフォーマンス?」


「ここ数日、若林紅太はろくに血を摂取していない。下手したら一滴もね。

 あいつを捕獲するためには、致し方なかった作戦だけど。その反面、身体能力ほどじゃあないが、治癒能力の精度だって当然に落ちる。

 精度が落ちるなら、必要となる血もその分、多量になるし。

 つまり死ぬ確率は、通常時よりも格段に高いってわけだ」



 その説明に、どうしようもない後悔が襲う。

 夕方に会ったあの時に。なんとしてでも、血をあげていればよかった。

 すぐに藍ちゃんが来てしまったし、それからは血をあげられるような状況ではなかったけど、それでも。

 私の痛みを治してもらうより、話をするより、何より先に。

 真っ先に、そうするべきだったのだ。



「これらを解決するには。つまり、若林紅太の安全性を確保した上で、桜間円佳を回復させるには。

 まず桜間円佳をどうにかする前に、若林紅太に血を与えて、回復させなければならない。

 その上で、桜間円佳に一定量以上の血を与えつつ、若林紅太の治癒能力を使用する。

 この段階を踏むことが必要なんだよ。

 桜間円佳は既に人間とは違う。だからこそ、失われた血を補填した上で、若林紅太の能力を使用すれば、ギリギリのところで回復できる可能性は存在する」


「なら。他の皆にも血を分けて貰って、輸血してから、円佳さんを回復させれば良いの?」


「そう簡単にはいかないよ。人数がいても、血液型はバラバラだろうし。

 おまけに桜間円佳は、RHマイナスのB型だ」



 そうだった。バカだ、肝心なことを忘れていた。

 当たり前じゃないか。輸血の場合には、血液型が一致しないと駄目だ。


 それにRHマイナスは、確か学年に一人、いるかいないかくらいの割合だったはず。

 すぐさま探し出せるような血液型ではなかった。



「だけど。その案は、いいセンだよ。

 桜間円佳を助けるには、若林紅太が死ぬ。それは『一人の人間が一人を助けようとするから』だ。

 ならば簡単な話だ。一人じゃなく、二人分、三人分の血を使えばいい」


「でも。輸血は、できないんでしょう?」


「輸血はね。だけど、君はもう一つ忘れている。

 大前提として、若林紅太は、で。厳密には異なるが、桜間円佳もそれに近い存在だ。

 つまり。輸血ではなく、経口摂取で血を与えればいいんだ」


「なら、口からみんなの血をあげれば!?」


「ただし。これまた、一筋縄じゃいかない。

 血を介した能力は、大体の場合、他の血と混じると精度が落ちる。治癒能力が落ちては、それはそれで桜間円佳の回復に支障をきたす可能性があるからね」



 そんな。

 だったら。一体、どうすればいいの?




「吸血鬼の末裔は、人間よりも遙かに早く、摂取した血液を即座に自身のエネルギーへと、すなわち




 黒崎の言葉に。いつの間にか、俯き加減になっていた顔を上げる。




「たとえば飢えて干からびカラカラになった吸血鬼が、血を吸った途端に復活するような描写のフィクションもあるけれど。あれは、あながち間違いじゃないんだよ」


 にやりと笑みを浮かべて、黒崎は私の首元へ指を立てた。



「要するに。君の血が、そのまま若林紅太の血となり、力となる。

 望月白香の血は若林紅太の血となり、若林紅太の血が桜間円佳へ行き渡る。

 君が若林紅太に血を与えることで、桜間円佳に『補充すべき血』と『治癒する血』、両方を同時に確保できるってわけ」


 ようやく黒崎の言うことが飲み込めて、合点する。

 目を見開いて、無意識に拳を握った。


「じゃあ。円佳さんに血をあげたいなら、一旦全部、若林くんを介す必要があって。つまり、円佳さんにあげたい血は、全部若林くんに飲んで貰えばいいのね!?

 そのために、私は若林くんにガンガン血をあげればいいってことだね!?」

「そういうこと。だけど、あんまり息巻かない方が良いよ。気をつけないと、今度は君が死ぬ」


 さらりと、とんでもないことを告げ。

 黒崎は、今度は私の眼前に指を突きつけ、忠告するように言う。


「一般的には、全血液量の約30%が失われると、命の危険がある。

 ただし。致死量は3割でも、2割で出血性ショックに陥る。君の血を注ぎ込める上限はそこだ」


 2割。

 円佳さんにあげなければならない血の量が、どれくらいかは分からないが。

 それでは、到底、足りるとは思えない。


「いくら即座に血に変換できたとしても、それで足りるの?」

「君が若林に血をやるからこそ、足りるんだ」


 黒崎はきっぱりと言う。


「君が。それこそ『ただの人間』であれば、届かないかもしれない。だけど君が、本当の意味での『ただの人間』なら。そもそも今、こんなところにいやしないんだよ」

「どういうこと?」

「奥村緋人は。決して『ただの人間』を身内に引き込む真似はしない。

 よく考えてみなよ。そもそも一番最初に、あいつはわざわざ、オレに君を見極めるように依頼した。

 だけど本来であれば、それ自体がおかしな話なんだ」

「え、どの辺が?」


 普通に考えれば、度が過ぎると思っただろうけど。

 若林くんの事情を知った今、緋人くんの性格を知った今であれば、別段おかしいことだとは思わない。


 が、黒崎が言っていたのは、それとはまるで逆の話だった。


「ただの人間なら。奥村緋人はまず間違いなく、見極めるまでもなく君を追い払ってるよ。

 だけどあいつは、、手間をかけてまで身辺調査することを選び、君の存在を甘んじて受け入れた。

 それはつまり。君が、みすみす手放してしまうには、あまりに惜しい人間だったってことだ」


 これまでの緋人様からの犬扱いなどを思い出し、つい怪訝な表情になるが。

 しかし黒崎は至って真面目に続ける。


「被血者にも『質』があり。吸血鬼と被血者にだって『相性』というものがあるんだよ。

 他にも根拠はあるけど、長くなるからそれは省くよ。

 なんにせよ憶測ではなく、百パーセント近い確信を持って言うけど」


 どこか仏頂面をした藍ちゃんの顔で。

 黒崎は、私の目を真っ直ぐに見据える。




「君の血は。若林紅太にとって、他のどの人間のものよりも、最高のパフォーマンスを発揮することができる血だ。

 君の血を摂取することで。若林紅太の能力はそれこそ、うるさいくらいに増強される。

 だからこそ。現状で若林紅太を救えるのは、君の血を与える他にない」




 黒崎の話に、鳥肌が立った。


 なんて。

 なんていうことだろうか。

 なんていう、巡り合わせなんだろうか。


 私は単に。純粋な人間だから、同族からの血よりは人間の血の方が効率がいいからこその、そのための要員だと、それだけの要因だと、思っていたのに。

 そんな。まるで、ロマンスみたいな、宿縁みたいな話を提示されるだなんて、思ってもみなかった。

 まるで、ご都合主義な小説みたいだ。


 だけどこれは、私にとって生憎と、徹底的に現実だった。

 それに言われたじゃないか。

 ご都合主義じゃないからこそ、私は今、ここにいるんだ。


 そうでなかったら私は、早々に縁が切れていたのだろうし。

 彼らとここまで深く関わることはなかっただろうし。

 こんな場所まで、来ていなかった。



 だからこそ。

 私たちには、可能性が残されているのだ。




「さっき言った致死量の基準の数値は、あくまで人間の場合だ。吸血鬼の場合には、もう少し猶予がある。

 桜間円佳の体重を50kgと仮定すると。正常な状態での血液量は4000mL。桜間円佳に与える血は、2800ml以上は必要だ。

 オレも限界近いところまで血を提供する。人間じゃあないから、そこまでのパフォーマンスは出ないけれど、一定の底上げにはなるだろう。それはもう準備してある。

 その上で、君がなるべく多量の血を若林紅太に与え、そして若林紅太が血を桜間円佳に与えれば。

 即座に目を覚ますまでは行かないかもしれないが。桜間円佳を、病院の医療に託せるレベルまで、もちあげてやることは可能なはずだ。

 ただ。かなり、ギリギリなラインではある」


「ギリギリなライン……」


「つまり。この案は、若林紅太が死ぬリスクを減らす代わりに。

 やり方によっちゃ、




 甘い話には裏がある。

 最初に、私がそう思ったことだった。


 黒崎は、まるで私の思考を読んだみたいに、にんまりと口角を上げる。



「ね。ちっとも上手い話なんかじゃあ、ないだろう?」



 だけどこれは、裏を返せば。

 リスクを冒さない人間は。甘ったるいご都合主義の、ハッピーなエンドに辿り着くことだって、出来やしないのだ。

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