第38話 甘言と左手

 黒崎が何を言っているのか、理解できない。

 いや。理解は、できるんだけど。

 何故、私にそんなことを言い出しているのか、意図が全く分からない。


 しかも。まるで、先ほどの私の思考を見透かしたかのような、都合の良い甘言に。

 当然のように、疑いしか湧いてこない。


「そうやってこっちを油断させて、人質にする気では」

「君を人質にとるつもりなら、とっくに眠らせてるよ。あの運転手みたいにね。

 サクッと眠らせて、そのまま車を運転して瀬谷ん家まで運んで行きゃいい話でしょ」


 確かに。

 ……確かに。


 現時点で、状況的に私はほぼ詰んでいる。

 既に黒崎は、少し手を伸ばせばすぐ私まで届くところにいる。相手がその気なら、私は三秒後にでも眠らされてしまうだろう。

 さっき考えたみたいに、目潰しをした隙にドアから逃げる手もありはするが、可能性はほぼゼロに等しい。相手の方が単純に腕も長いし、まず黒崎の方が早い。もし目潰しが成功したところで、逃げてもすぐ捕まるのがオチだ。


 だというのに。わざわざ黒崎に、私を騙して連れて行くメリットはなかった。

 人質にする気なら、奴が言った通りにここで眠らせて車ごと運ぶ方が、余程も楽だ。



「オレはね。現時点をもって、敗北を悟っている」



 困惑する私を余所に、黒崎はそう、あっさりと告げる。


「あの二人にとっては、まだ可能性はあるかもしれない。

 だけどは、既にあり得ない段階にきてるんだよ」

「あり得ない?」


 相手の術中にはまってはならない、と警戒しつつ。

 しかし思わず私は聞き返した。


 藍ちゃんの家には、緋人くんと蒼兄の二人が向かっている。

 環と藍ちゃんたちにとって、立場的にも能力的にも蒼兄が脅威なんだろうなということは、なんとなく分かる。緋人くんだって、こういう立ち回りに向いていそうな能力だし、決して油断できない相手だろう。


 だけど単純な数でいえば、こちらが負けている。若林くんは捕まっているのだろうから、二対三だ。

 環は人間だけど、藍ちゃんの能力を使った飛び道具があるし、いくらあの二人だってそう簡単には勝てないはずだ。


 なのに、『あり得ない』とまで言い切ってしまうのは、なんでだろう?



「環と瀬谷の勝利条件は、桜間円佳の復活だけど。

 オレの勝利条件は、そこじゃない。

 安室蒼夜がそちらについた今、あいつの血が手に入る見込みはほとんどなくなったからねぇ」



 そうだ。

 環たちの目的は、円佳さんを復活させることだけじゃない。

 蒼兄の能力を使って、『三人の特定の記憶を消す』ことだ。


 てっきり、そちらは円佳さんの復活に伴う副次的なものだとばかり思い込んでいたけれど。

 円佳さんと私ともう一人、『三人目』の人物が誰なのか、何の記憶を消す気なのかは、謎のままだ。


 おそらく。その謎の三人目の記憶を消すことこそが、黒崎の目的なのだろう。

 もしかしたら黒崎は、蒼兄の血を手に入れるために、一時的に環たちと手を組んだに過ぎないのかもしれない。


 しかし、だったら尚更、コイツの言うことには警戒しないといけないぞ。

 自分で言うのもなんだけど。

 蒼兄にとって、私は効果的な人質の一人になりうるのだから。




 少しでも距離を取ろうと、気持ち身体をのけぞらせるが。

 しかし黒崎は、更にずいと距離を詰めてきた。


 近い。

 近い近い近い近い!!!!!



「君さぁ。あいつらの、奥村緋人と安室蒼夜たちの『勝利条件』が何か、分かってる?」

「勝利条件、って。若林くんを助けることでしょう?」

「違う。今助けたところで、どうせまた狙われるだけだ」


 フェイストゥフェイスが、その距離、実に十五センチほどに縮まった状態にて、藍ちゃんの顔をした黒崎から必死に顔を背けていると。

 奴はしゃくさわる口調で、かんさわる嫌みな笑みを浮かべる。


「その感じだと。案の定、さっきの会話じゃ気付かなかったみたいだねぇ」

「会話?」

「君たちが環をつけていたように、オレはオレで君たちを盗聴してたんだよね」

「なんで!?」


 だから発信器とか盗聴器とかホイホイ出てくるのおかしくない!?

 ネットで割と容易に買える時代ではありますけどさぁ!

 今の世の中めっちゃ怖ァ!!!


「二人は、君に気付かれないように会話をしていたけどねぇ。あの場で二人は、暗にそれを合意していた」

「合意、って。だから一体、何を」

「奥村・安室サイドの勝利条件は。

 『桜間円佳を完全に死亡させること』だよ」


 黒崎の言葉に、ヒュッと息が詰まる。

 待って。

 それは。


 どういう、こと?



「さっき彼らは丁寧に話していただろう。

 若林の能力は、

 ならば完膚なきまでに桜間円佳の存在を壊してしまえば、今後一切、『桜間円佳の復活』を理由にして、若林紅太が狙われることはない」



 黒崎の言葉に、呆然として。

 しかし遅ればせながら、じわじわと思い出す。


 言われてみれば。あの時、二人は、随分と含みのある言い方をしてはいた。

 私も気にはなったのだけれど。若林くんの過去の話になって、そのまま流していたのだ。


 もしかして、それは。

 私に深く追求されないように、緋人くんが意図的に話題を逸らしたのだろうか。



 嫌な予感が悪寒となって、じわじわと背中に浸食してきて、身震いする。



 だって、それじゃ。

 そのやり方、じゃ。


「それは、そうかも、しれない、けど。だけど、でも、そんなことって」

「だから二人は君に伏せて会話をしていた。つまり、現状はこうだ」


 うろたえる私に、黒崎は流れるように整然と事実を突きつける。



「奥村・安室サイドにとっての勝利条件は『桜間円佳の死亡からの若林紅太の生存』。

 桜間・瀬谷サイドにとっての勝利条件は『桜間円佳の復活からの若林紅太の死亡』。

 図らずも、どちらかの勝利には、どちらかの死がもたらされる可能性が、極めて高いわけだ」



 それじゃ。

 それじゃあ、変わらないじゃないか。


 緋人くんと、蒼兄だって。

 環と藍ちゃんがやろうとしていることと、何も変わらないじゃないか!


 それに、そんなことをしたら。

 今回のことで、終わりはしない。

 残った皆だって、互いに互いを恨んで憎んで、最悪の連鎖になってしまう。

 そうなったら泥沼だ。

 もう、どうにも、できない。


 駄目だ。

 そんなのは、駄目だ――!




「だけど。オレとしては、桜間円佳を壊されるのは少々困るんだよ。

 そして今となっては、若林紅太が死ぬこともね」




 混乱する最中。聞こえてきた彼の言葉に、私は無意識に顔を上げた。

 黒崎は目を細め、すっと左手を広げてみせる。



「オレにとっての最良のエンドは『若林紅太が死に、安室蒼夜の血を入手する』ことだけど。今や安室の参戦で、最良のエンドに至る確率は極めて低くなった。

 そしてオレにとっての最悪のエンドは、『若林紅太が死に、しかし安室蒼夜の血を入手できないこと』だ。

 君を人質にとったところで、この段階に至っては、安室蒼夜は逆上こそすれ、決して血を渡しちゃくれないだろう。悪手も悪手の悪手だよ。

 だからオレは、最悪のエンドを回避するために、ポイント稼ぎがてら、『若林紅太が生き延び、桜間円佳もそのまま保持する』エンドを目指す」


「……そんなこと、できるの?」



 できるのであれば。

 もしそれが可能なのであれば、それに越したことはない。


 若林くんが死ぬのは嫌だ。

 絶対に、嫌だ。


 だけど、彼を助けるために円佳さんを殺してしまうのだって嫌だ。

 緋人くんと蒼兄が、そんなことに加担するのは、嫌だ。



 誰かが被害者になって、

 誰かが加害者になって、

 誰かが犠牲にならなければならないなんて、

 そんなのは、嫌だ!




「そのための君だよ。

 奥村緋人と安室蒼夜の手から桜間円佳の身体を守り。

 桜間環と瀬谷藍から『今は』若林紅太の命を守る。

 このエンドに導くには、君の力を使うしかないのさ」


「私の力?」


「君だからこそ、君にしか出来ないことだよ。

 君がただの人間であるからこそ、可能にできるものがある」




 本当に、二人とも無事で済むのならば。

 全員が、生きて戻れるのならば。

 最後は、みんなで和解して、平和ないつもの生活に戻ることが出来るのならば。


 私なんかにできることがあるのならば。

 多少わたしの犠牲くらいは、どうだっていい!




「望月・黒崎サイドの勝利条件は、『桜間円佳の復活からの若林紅太の生存』だ」




 そう言って。

 黒崎朔はにんまりと笑い、手を伸ばした。




「オレの手を取りなよ、望月白香。

 君の好きな人たちを、死体にも殺人鬼にもしたくないのならね」

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