第23話 吸血鬼がいるなら人狼だっている

「怪しすぎるだろ」


 緋人くんは、渋い表情で言い切った。




 金曜日の夕方。私たち三人は、二週連続で若林くんの家に来ていた。結局、今週は環に邪魔されたり都合が合わなかったりで、学校で血を提供することはできなかったからだ。


 学校よりは誰かの家の方が安全ではあるし、授業終了後の夕方なら週のどこかで都合は合わせられる。そこまで家は遠くないし、さほどの負担ではない。

 だけど、自宅の利用にはリスクがあった。家がバレてしまったら、それこそもう逃げ場がない。来週はどうするか、環の隙をつける時間帯を考えなくては。



 ともあれ本日は無事に血の提供を終えたところで。おもむろに緋人くんは先ほどの懸念を私たちに告げたのだった。

 血を摂取し、どことなくツヤツヤした若林くん(可愛い)は、小首を傾げて緋人くんに聞き返す。


「なに、緋人? 怪しいって」

「瀬谷藍に決まってるでしょ」


 不満げな表情で、緋人くんはテーブルへ頬杖をつく。


「この半端な時期に、桜間と同時にサークルに入ってくるなんて。タイミングがいいにも程がある。怪しすぎる」

「だけど藍ちゃん、環とは初対面だって言ってたよ」

「裏で手を組んでることをバカ正直に申告する奴がいるかよ。馬鹿?」


 緋人くんは、いつもより辛辣な口調で、私へじろりと目を向けた。

 うん、何も言えない。その通りだと思いますわん。



 環は先週、恐らくは誰かのタレ込みを受けてサークル部屋に潜んでいた。ダメもとで環に聞いてはみたけれど、やはり教えてはくれなかった。サークル内にいるだろう協力者の存在は、謎のままだ。



 若林くんは、ポカリの入ったコップを両手で持って、こくこくと水分補給をしながら(可愛い)、首をひねる。


「だけどさ緋人。それにしちゃ、いくらなんでもあからさまじゃない? 潜入するなら、もっと上手くやるでしょ」

「確かに。紅太の言うとおりなんだよな」


 緋人くんは口元に手を当てて考え込んだ。


「手口としちゃ、詰めが甘い。逆にそれで裏をかこうって手だとしても、どうしたって俺たちが警戒するのは向こうだって分かってるだろ。悪手だ。

 そう考えるとな。タイミングが異様に合っただけで、瀬谷は本当に無関係なのかもしれない。けど」


 緋人くんは目線だけ、ちらりとこちらに向けた。


「それにしちゃ、初日からシロに絡みすぎてる」


 ごめんそれはむしろ私が積極的に絡みに行った所為かもしれない。

 でも。距離の詰め方はともかく、互いにそこそこ気が合うと分かれば、そこからは、まあ。


「仲良くなれば、くっつき具合とかは、女子校だとあんなもんだよ? 藍ちゃんも高校まで女子校だったって言ってたし」

「そう言われると、僕からは何も言えないんだけどね。

 まあいい。今の段階じゃ、どのみち瀬谷には白黒つけられない」


 はあ、と物憂げに息を吐き出して、緋人くんは首を横に振る。


「とにかく気をつけろよ。仲良くするなとまでは言わないけど、警戒は怠らないでね。瀬谷は不確定要素が多すぎる。

 敵だとしても、シロには滅多なことはしないと思うけど。不審なことがあったらすぐ報告しろよ」


 普段は悠然と笑みを宿している人物が、その穏やかな面持ちに憂いを湛えている様は、大変に絵になるものがあった。美術館に寄贈したい。

 だけど状況が状況だけに、私はポーカーフェイスを装いながら、至極、真面目に尋ねる。


「ねえ緋人くん。敵って、どういう人なの」

「そうだな。そろそろ一部はシロにも話しておくべきか」


 緋人くんは若林くんと一瞬、視線を交わしてから、静かに続ける。


「前にも話したけど。俺たち吸血鬼の末裔には、一定数の敵がいる。

 人間もいれば、そうじゃないのもいるけど。今の時点で一番有力な敵、とりわけ注意しとく種族は――お前も多分、聞いたことくらいあるだろ。

 人狼だよ」


 人狼。

 吸血鬼と同じくらいにネームバリューのあるだろうその存在のことは、もちろん知っていた。

 そういえば、初めて若林くんの事情を知った日。私は、まさに彼へそれについて尋ねていたなと思い出す。


「狼に変身する人のことだよね。若林くんみたいに、満月の日に」

「そうだ。だけどあいつらも俺たちと同じように、末裔だ。オリジナルより力は劣るし、一般に知られてる伝承は全てが真実じゃない」


 頷いてから、緋人くんは補足した。


「今じゃ、完全な狼の姿に変身できる奴は稀だって聞くし、中には満月じゃなくても化ける奴もいる。

 それから、俺が痛みを麻痺させたりするみたいに。あいつらも特殊な能力をもっていることが多い。個体差が大きいけどな。

 あいつらも人に混じって、普段は人間として生活している。だから奴らのことは一見、人とは見分けがつかない」


 つまり。吸血鬼の末裔の、変身する人バージョンだとざっくり理解すれば良さそうだ。

 だけど変身ってなると難儀だな! 周りから隠すの大変そうだな!

 若林くんも満月の日には外見が変わっちゃうけどさ。


「だから文字通り。奴らが尻尾を出さないと、外からじゃそう見抜けない。

 けどあいつらは、往々にして嘘吐きで、惑わすのが上手い。もしお前へ、俺たちのことや何かそれに関係することを、まことしやかに吹き込んでくる奴がいたら用心しろよ。

 だっていうのに。こんな時に、暢気にシロはデートかよ」


 デート、と言われて、何のことかと首を傾げる。

 が、すぐにそれが何か思い当たった。安室くんと能を観に行く旨も、先ほど一応、報告していたのだ。


「デートじゃないよ。勧誘だもん」

「あのさ。先週、俺が言ったこと覚えてる?」


 呆れ顔で緋人くんは、私の眼前に人差し指を突きつけた。


「俺は、サークル内に敵がいるって言ったよな?

 確かに瀬谷は怪しい。だけど桜間を手引きしたのは、少なくとも先週の時点で既にサークル員だった奴だ。それは安室の可能性だって十二分にありえるんだよ」


 緋人くんの言うことはもっともだ。私だって警戒心は持つようにしているからこそ、日曜日に能を観に行く件を二人に報告したのである。

 だけど私があの日、安室くんのいる和室を訪れたのは偶然だ。環に追いかけられていなければ和室に近寄ることはなかっただろう。


「状況からは考えにくいよ。サークル員の数が少なくて、部員が欲しいのは本当みたいだしさ。それに」

「それに?」

「本来一万円近くする公演がタダで観られるチャンスなのに、行かないとかもったいな」

「シロ。ステイ」


 緋人くんの号令に、思わず姿勢を正して口を閉ざす。

 いけない。条件反射になっている。


 含みある笑みを張り付けて、緋人くんは私の頬肉をつかんだ。


「シロな。お前な。理由な」

「らって、きにはなってるんらもん!」

「こっちが深刻に考えてるっていうのにお前ときたら……。

 あとさっき僕を見て、またいかがわしいことでも考えてただろ」

「なぜばれたし」

「そろそろ本格的にお仕置きが必要みたいだなシロ。そのだらしない口に煮えたぎった重湯でも流し込んでやろうか」

「いひゃいいひゃいいひゃい!」


「緋人、やめろ」


 若林くんは緋人くんをたしなめて、私から引きはがしてくれた。


 優しい!

 大天使!!

 ありがとう私の推し!!!


「疑心暗鬼になっても仕方ないよ。それに望月さんだって、安室の可能性を案じたから、俺たちに日曜のことを話してくれたんだろ」

「……そうだな。安室が敵なら、俺たちにこの情報が流れることも織り込み済みだろ。だったらこっちも、そのつもりで動くだけだ」


 若林くんの言葉に、緋人くんは素直に退いた。

 よかった。また調教が進んでしまうところだった。


「あぁ、もう。むしゃくしゃするなぁ」


 けれど緋人くんはそう言うなり。突然、私の腕に噛みついた。

 お願い、予告して。びっくりする。


「唐突がすぎませんかね緋人くんや」

「うるさい。お前は俺の非常食だろ」


 牙を抜き、緋人くんは、ぺろりと唇の端を舐めた。

 そういういやらしい仕草をするから、私みたいな変態にエサを与えてしまうのだということを、緋人ごしゅじん様にはもっと自覚していただきたいですな。

 言えないけど!


「今日は俺にも飲ませろよ。ちょっと鋭気を養う必要がある」

「そういうもんなの?」

「人間だって、気合い入れる時にはリポDやモンエナを飲むだろ」


 吸血鬼にとって、血って栄養ドリンクなの!?

 でもなんかちょっと分かりやすいぞ!?


 例によって腕に傷を作りながら、緋人くんはまたもや不満げに告げる。


「今回は今更だから仕方ない。だけど、どんな企みがあるかも分からない誘いに、そうほいほいとのるんじゃねぇよ。

 シロはシロらしく、俺だけに尻尾を振ってりゃいいんだからね」

「シロらしくとは……尻尾とは……」

「返事」

「わん」


 間違えた。




 若林くんは、どこか冷たい眼差しでこちらを眺めていた。

 そういえば今のやりとり、若林くんの前でやるのは初めてだ。やだ、引かれたかもしれない! うわーん、変態なのは今更隠しようがないけど、どうか嫌わないでね!


 それにしても。多方面に神経を配ってぴりぴりしているせいなんだろうけど、緋人くんの飲みっぷりが容赦ない。

 うーん。今日もまた貧血かもしれない。

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