5章:安室蒼夜は性癖ではない

第21話 着物に能面の和風男子(怒)

 若林くんと奥村くんとの関わりを続ける、との結論を環に告げ。

 親友としての関係を改めて確認した私と環は。



「待てや白香ァ!」

「待たぬ!!!」



 大学構内を全力疾走していた。






 環は、私の意思を尊重すると言ってくれた。

 しかし。その意思を受け止めた上で、このまま吸血鬼に血をあげる行為を許すかといえば、それはまた別の話、というわけらしく。


 というわけで次の水曜日。私は例によって血をあげようとサークル部屋に行こうとしたところで環に阻まれ。

 現在、背後から迫りくる環から全力で逃げている。そりゃあもう逃げている。


 麗しい出で立ちの環が、走る姿まで美しいフォームで、それでいて鬼神が如き表情で迫りくる様は恐怖でしかない。楚々としたロングスカートだというのに、何故あのスピードが出るのか疑問だった。


 全力疾走なんて久しぶりだよ!

 元より文化系な私の呼吸器官が悲鳴を上げているよ!!


 一旦、校舎の外に出て走り回っていたが、広い場所の方が不利だと気付き、また室内に舞い戻る。環の方が足は早いけど、私の方が小回りは効くのだ。

 玄関ホールに飛び込むと、ちょうど目の前に扉を開けたエレベーターがあった。チャンスとばかりにエレベーターに滑り込み、急いで『閉』ボタンと最上階の数字を押す。幸いにして、エレベーターに乗ったのは私一人だ。

 扉の隙間から追いついてきた環の姿が見えたが、先に扉が閉まり、エレベーターは動き出した。


 安堵し、一息つく。

 だけど環はすぐにエスカレーターを駆け上がって追いついてくるだろう。


 ひとまず時間稼ぎに最上階のボタンを押したが、最上階のほとんどを占めているのは、普段は施錠されている講堂だ。逃げ場もなければ隠れられそうな場所もほとんどない。

 四階には隣の校舎との連絡通路があるけど、それは環も見越しているだろう。それよりは、もう一つ上の階に行った方が、環が登ってくるまでの時間を少し稼げるし、環の動向を見ながら階段で四階に降りて逃げたりもできるだろう。

 そう思い、私は五階のボタンを押した。


 やがてエレベーターは、途中階で止まることなく、無事に五階へ到着する。

 環はまだ追いついてはいないが、エスカレーターのある方角から響いてくる派手な足音は、環のものだろう。

 とりあえず階段のあるところに移動して、すぐ逃げられるようにしなくては。




 と思ったら。

 どこかのサークルが置いた資材で、階段が見事に埋まり通行不能になっていた。


 これはあれかな?

 演劇関係かな?

 うわあ、ベニヤ板とかダンボールで埋まってすぐに通り抜けられそうにないー☆



 ちくしょう作戦が裏目に出た、っていうか公共の場所は丁寧に使えぇーーーーー!!!



 確かに五階ってサークル部屋ばっかのフロアだから、一般の学生はあんま来ないけど!

 だからって階段に荷物置くなよ開けとけよ!!

 鬼から追いかけられている人が必死で逃げてくる場合だってあるんですよ!!!



 いや、けど今は脳内で絶叫してる場合じゃない!

 考えねば!


 階段はもう一つあるけど、環が現在、登ってきているエスカレーターの側だ。見つかってしまう。

 荷物をどかしながら行けば、階段は通り抜けられないほどではない。が、脱出しようと四苦八苦していれば、物音もするし、すぐに発見されてしまうだろう。

 いっそこの荷物に隠れるとか?

 でもこれ、環が四階と五階どっちに行くかにもよるな。それ確認しなきゃな。


 とりあえず、こっそり環の様子を窺おうと開けたホールの方へ戻ると。階下から、さっきよりもだいぶ大きな足音が聞こえた。



 やべぇ。

 これ四階スルーして五階来てるかもしんない。


 ど……どうする……?



 文字通りに頭を抱えると。

 突然、背後から誰かに引っ張られ、そのまま後ろの部屋に連れ込まれた。目の前で扉が閉じ、辺りはすっと暗くなる。


 驚いて振り返り、背後の人物を見上げた私は。

 いよいよ驚いて、口をバカみたいに開けた。




 そこにいたのは、性別年齢不詳の人物。


 明かりのついていない、薄暗い部屋の中。

 黒の紋付きの着物に、黒と白の縦縞の袴姿で。

 手には閉じた扇を持ち。

 そして、顔には能面をつけている。






 …………。




 市ヶ谷キャンパス能面殺人事件!?


 サイコパスホラー!?!?


 環に捕まる方が数百倍マシじゃない!?!?!?






 泡を食って逃げだそうとしたが、そのあまりにあまりな現実を前に、足が動かない。声すら出ない。

 待って、確かに着物は性癖だけど猟奇殺人は性癖ではない!


 動揺を取り繕う余裕もなく、命の危機を感じて硬直する。

 が、当の和式ジェイソンは顔の前で人差し指を立て、『静かに』のジェスチャーをした。



「環から逃げてるんだろ。ここならバレない」



 その台詞に、拍子抜けして「ふへっ!?」と間抜けな声を漏らした。

 どうやら敵意はないらしい。

 というか、事情を察してくれたらしい。



「ここだと気付かれるから、中入りなよ。今は、俺しかいないから大丈夫」



 そう言って草履を脱ぎ廊下に上がると、すぐ正面にある襖を開けた。その先には、広い板の間の部屋がある。それで、遅ればせながらようやくここがどこか気が付いた。


 ここは和室だ。新歓の時に何度か来たことがある。

 今、私がいるのは廊下に面した玄関のたたきだ。奥には、板の間や広い畳敷きの和室、茶室などが数室あり、茶道や歌舞伎など、古典芸能系のサークルが使用している。普通の学生は、用事がないので近付かない。


 ここは国際法研究会のサークル部屋同様、普段は施錠されている。確かに環も、私がここに逃げ込んだとは思わないだろう。



 なるほど。

 さっきは突然の能面だったので、猟奇殺人事件でも起こるのかと思ったけど。冷静に考えれば、ここはそういう部屋だ。十中八九、サークル活動中なだけだろう。板の間を使用する古典芸能系サークルは、能楽研究会だ。単に衣装を着てたのか。

 そこに私が通りかかったので、声をかけてくれただけだ。


 状況が飲み込めて、ようやく私はほっとした。

 寿命が縮まるところですよ全く。

 でもまだ能面が女の人のやつでよかった。これが般若だったら卒倒してたかもしれん。




 いや、でも待って。

 この人、誰だ?




 能面の下から聞こえてきたのは、低く良く響く、心地の良い声だ。声からすれば、間違いなく男性だった。

 新歓の時に能楽研究会の先輩と話したことはあったけれど、女の人だった。他に、能楽研究会で知っていると言える人物はいない。


 この人、誰だ?


「望月さん?」


 名前を呼ばれて、びくりと肩が跳ねる。

 顔と名前を知られている。

 っていうか、まず環のことも知られている。




 フーアーユー?




 …………。




 三十六計逃げるに如かず!!!!!




「すみません! ちょっと通りかかっただけなんですけど、お邪魔して申し訳ありませんでしたっ!」

「ちょっ、ちょっと待ってよ」


 私は回れ右して和室を退散しようとしたが、能面男子は慌てて私を制止する。


「俺だよ、俺」


 オレオレ詐欺にはひっからんぞぉ!

 今は私に男兄弟なんかいないぞぉ!!


 など思いながら、振り向くと。

 能面男子は、そのたおやかな面を外したところだった。


 そして。

 能面の下から現れたのは。



「安室くん?」



 明るい茶髪に、どこか気の抜けた表情。

 彼は紛れもなく、同じ国際法研究会に所属する安室あむろ蒼夜そうやくんだった。


 予想外の人物に、私は再度、ぽかんと口を開ける。


「え? なんで安室くんが?」

「国際法と掛け持ちしてるんだよ。言ったことなかったっけ?」

「でも、法学部だよね?」

「別にうちは、文学部に限定してないよ。先輩にだって法学部の人はいるしね」

「そうなんだ」


 驚きと困惑が入り混じりながら、呆然と私は受け答えた。




 私はこの春、和風なサークルをあちこち見てまわっていた。

 他のサークルをなんだかんだと却下していく中、一つだけ、最後の最後までどうしようかと悩んだのが、この能楽研究会だ。


 能楽研究会は、舞台では着物に袴を着用する。他のサークルは、服装は特に変わらなかったり、着ても浴衣程度だったけど、ここはまさにピンポイントで私の大好物の服装だ。

 そういう、性癖にヒットして心がうずくという理由もあったし。

 純粋に、活動そのものにも惹かれるものはあったのだ。


 だけど結局、私は入らなかった。文学部で古典を勉強しているわけでもない人間が、ただの好奇心だけの生半可な気持ちで入るのは、どうにも申し訳ない気がしたからだった。

 けれど、同じ法学部の安室くんが入会しているのだ。それなら遠慮することはなかったんじゃないかと、なんだか無性に悔しい。


 それに。

 まして、がしれっと入っているというのなら尚更である!


「安室くん。一つ、どうしても言いたいことがあるんだけど」

「何?」


 知り合いならばなおのこと。

 私はこの男に、言わなくてはならないことがあった。



 私は、据わった目で安室くんを見上げる。


 素晴らしい……!

 眼福……ッ!!!


 まあ長髪ではなかったし、それ以上に見過ごせないポイントもあるけど、着物と袴姿はそれだけで尊いし、大変に素晴らしい。

 しかし尊みに負けそうになる気持ちをぐっと堪え、麗しき黒の紋付の着物(黒の紋付の着物って最高に格好良くない? シンプルな中にある美を極めてて素敵すぎない???)の襟元を崩さない程度に、拳を彼の胸元に打ち付けた。



「貴様、能研に所属していながら、何故、髪を茶色に染めたァ!」

「いきなり何そのいちゃもん!?」



 確かに。

 確かにね。着物に袴に能面と来られたら、、ときめかざるを得ない。

 私が入学してこの方、探し求めていた存在だ。


 だけどね!!!




「茶髪の和服男子は萌えないッ!」

「なんでだよッ!?」




 静かだった和室内に、力強い私の主張と、困惑した安室くんの悲鳴がこだました。

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