第18話 吸血鬼の眷属

 環に連れて行かれたのは、学校の近くにあるカラオケボックスだった。

 いつもなら、環と話すのは学食やホールだ。だけど今回は、他の人に話を聞かれるわけにはいかない。


 室内には賑やかなBGMが流れていたが、機械の音量をゼロにした。途端、妙に静まりかえったカラオケボックスの個室にて、私は右斜め前に座った環に、これまでの経緯を話した。

 一部の事情は話していない。若林くんが満月の夜に銀髪赤目に変わることや、二人の特殊な力については話さなかった。勝手においそれと秘密を話すわけにはいかない。


 伝えたのは、若林くんが耐えきれず私の目の前で自分の血を飲んだことや、事情を知り私が血の提供を申し出た流れだ。二人が吸血鬼の末裔であると環に知られた以上、そこはもはや隠しても仕方がない。それに、状況が状況なのでそこは話しても構わないと、奥村くんから密かに許可の連絡が来ていたのだ。


 黙ってうつむき加減に話を聞いていた環は、一通り私が話し終えると、思い切りため息を吐き出した。


「事情は分かった。大体、想像どおりだ」

「想像どおりって」

「ある程度の合意がされてるんだろうなとは思ったさ。お前がそこまで積極的に加担してるとまでは思わなかったけどな」


 だったらどうして、と問いかけようとした矢先。

 先んじて、環ははっきりと言う。


「白香。もう二度とあいつらと関わるな。サークルも辞めろ」

「なんで?」

「理由を言う必要があるか? 冷静に考えてみろよ」


 腕組みした環は、険しい表情で顔を上げる。



「あいつらは、



 その言葉に。

 私は、唇が震える。


「いくら相手が好みの野郎だからって。どうしてお前が身を削らなくちゃならねぇんだよ。あんな奴らのために、白香が血を流す必要はない」

「やめて」

「自覚しろ。お前が相手にしているのは、化物なんだ」

「やめて、環」


 私は環の腕をつかんだ。

 真一文字に結んだ口を、どうにかこじ開けて。


「いくら環だからって、その言葉は嫌だ。そんな風に二人のことを言われるのは、嫌だ」


 言葉が震えそうになるのをどうにか堪えて、きっぱりと言い。

 じっと、環を見つめる。


 環は驚いたように私を見つめ返した。

 しばらく、お互いに無言で視線を交わしてから。やがて環は、サークル部屋にいたときからずっと強ばっていた身体の力を抜く。


「悪い、そうだよな。お前はそういう奴だ。俺なんかを、親友だって言ってくれるくらいなんだから」

「ねえ環、やめて」


 私はより一層、環を掴む手に力を込めた。


「若林くんたちのことを悪く言うのもだけど。

 環のことを悪く言うのも、私が許さない」

「……悪かったよ」


 優しい口調で言って、ようやく環は柔らかい表情に戻ると。はあ、と一つ大きな声で息を吐き出し、がしがしと髪をかきむしる。

 環は気を取り直すように頭を振ると。ソファーの背もたれに肘をかけ、足を組んだ。スカートの裾から、ちらりと細い足首が覗く。


「どうして俺が女の格好をしているのか。話したことなかったな」


 思いもよらないところから話が始まり、思わず私は背筋を伸ばした。


「そういえば。ない、ね」

「つーかな。お前が聞いてこなかったんだよ。普通聞くだろ」


 言われて、首を傾げる。

 だって男の恰好でも女の恰好でも、環は環だから。


「そういうところだよ、お前。他の連中は、ろくすっぽ話してもいないうちから、ずけずけ聞いてくるぞ。ま、本当のことは言ってねぇけどな」


 綺麗な赤い唇を引き結び、穏やかに微笑んでから。

 環は真顔になって、静かに話し始める。


「俺の妹はな。あいつらの仲間に、吸血鬼に、眷属にされたんだ」

「けんぞく……?」


 けんぞく。という言葉で思い浮かぶ単語は、『眷属』しかない。

 頭の中には、コウモリが思い浮かぶ。だけどきっと、そういうことじゃあないんだろう。


「眷属っていうのは。言葉を選ばなければ、あいつら専属のエサになった人間ってことだよ。

 いや。奴隷って言った方が近いのかもしれない」

「奴隷」


 強い言葉に、思わずたじろいだ。

 感情を押し込めたような声で、淡々と環は続ける。


「白香は、自分の意志で若林たちに血をやってただろ。

 だけど眷属は違う。ひとたび眷属にされたら、もう逃げられないんだ。

 人間でありながら、少しだけ吸血鬼の血が混じった状態になった眷属は、定期的に自分を眷属にした吸血鬼の血を得ないと、正気を保てなくなる。そういう隷属関係なんだよ。

 妹はあいつらの仲間に騙されて、眷属にされた。もう今まで通りには暮らせなくなって家を出て、今は行方不明扱いになっている」


 腕組みした環の手が、白くなっている。力任せに腕を握りしめて、必死に感情を抑えているのだろう。


「吸血鬼が好んで狙うのは、女だ。だから俺は女の恰好をして、奴が罠に引っ掛かるのを待っていた。この街のどこかに。確実に、あいつらがいると分かっていたから」


 話の重さにしては、簡潔すぎるくらい、簡単な説明だった。

 だけどそうでもしないと。きっと、きちんと話せなかったのだろう。



 環の話してくれた内容は、衝撃で私の言葉を奪うには充分すぎるものだった。

 吸血鬼の末裔に、そんなことをする人がいたことにも。

 環の妹が、そんな目にあっていたことにも。

 環を苛んでいたその事実に、少しも気付けなかった自分にも。

 怒りと、悲しみと、いろいろなものがない交ぜになった感情で、どうしても手の震えを止めることができなかった。



 環は、私の肩を掴んだ。


「今はまだ、無事みたいだけど。いずれきっと、お前も眷属にされちまう。だからもう、あいつらとは関わるな」


 しかし。環のその言葉に、私はまた我に返る。


「待って。それとこれとは話が別だよ。若林くんたちが、そんなことするはずない」

「どうしてあいつのことを信じられる? 俺の方が、ずっと白香と一緒にいたはずだ。どうして俺の言葉を信じてくれないんだよ」

「環のことは信じてる。いつだって信じてるよ。でも今の話は、環の想像でしょう。

 悪い吸血鬼はいても、あの二人は悪い人じゃない」


 必死に言い募る私の言葉に、環は哀しげな顔をすると。



「ねぇ、白香。

 俺は。お前が想像してるより、ずっとずっと、白香のことが大切だよ」



 耳を澄まさなければ聞き取れないような、細い細い声でそう言い。

 私の額に、こつんと自分の額を合わせた。

 ふんわりと、環のつける化粧品の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。



「俺はね。大学生活に、何一つ期待なんてしていなかったんだ。

 いや。大学どころか、これからの人生に期待なんかしていなかった。自分のことは捨てて、全部を全部、あいつの復讐に費やすつもりだったんだ。

 でもね。そんな俺の前に、お前が来てくれたんだ。白香が俺に、また価値を与えてくれた。

 だけど。今度はその白香が、吸血鬼の毒牙にかかろうとしている。それを見過ごすことなんて、できない」



 顔を離して、環は無理矢理に口だけ笑ってみせる。


「俺はね。あの時のことを、物凄く後悔しているんだ」

「あの時?」

「一ヶ月前。学食で若林を見た時に、あいつが好みかどうかなんて、聞かなければよかったって」

「だけど。環が言おうと言うまいと、どのみち若林くんとはこうなってたよ。別に私が無理矢理、二人きりになろうとした訳じゃないもん」


 そもそもあの時、図書館に着いてきたのは若林くんの方なのだ。

 あの日のことは、だ。


 だけど環は、ゆるゆると首を横に振った。


「あるさ。俺が余計なことを言わなければ、白香は若林に注目することはなかった。吸血鬼の本性を見せた時にも、ただ怖くて逃げ帰ってきただけで済んだかもしれない。

 俺だって、余計な期待を抱かずに済んだんだ」


 環は、にわかにロングのウィッグを取った。その下から、黒の短い頭髪が出てくる。

 初めて見る、環の本当の髪だった。だけどその艶やかな黒髪は、やっぱり環に似つかわしい、綺麗な髪だった。


「俺はね。あいつとほとんど背丈や体格は変わらない。肌の色も、顔の系統だって、俺がこんな格好をして化粧をしていなければ、ほとんど似たようなものなんだ。

 あの時に俺が聞いたのは。若林がどうって話じゃないんだ、白香。

 俺はお前が思ってるより、ずっと臆病で、ずっと弱虫な人間だ」


 知ってるよ、環。

 凛として、綺麗で、誰よりもかっこいい環は。

 とても傷つきやすくて、人の痛みに敏感で、繊細な人なんだってことも。


 そして、それでも前を向いて強くあろうとしている環が。

 たまらなく、かっこいいってことも。




 だけど、そう言い募ろうとした言葉は。環の胸に口が塞がれて、告げることができなかった。

 環に抱きすくめられ。腕の中で、私は否応なしに自覚する。


 この固い感触は、女の子のものじゃない。

 男の人の、身体だ。



「全部。全部、吸血鬼のせいだ。

 あいつらがいなければ、俺はもっとちゃんとした形でお前と会えていたかもしれないし。

 白香の好みの人間に、お前の言う性癖になれたのは、俺だったかもしれないのに」



 違う、と叫びたかった。

 性癖どうこうじゃない。

 私は、今の環が好きなんだ。


 だけどより一層強く環に抱きしめられて、言葉を告げるどころか、私は身動きすら取れない。



「なあ白香。俺じゃ、駄目なのかよ」



 環は、私の身体を解放してから。

 もう一度、額をくっつけた。




「頼む。俺を、選んでくれ」




 泣きそうな、環の声に。

 情けないことに私は。咄嗟になんと返事をしたらよいか、分からなかった。


「今すぐに結論を出して欲しいとは言わない。

 いや、正直に言うよ。

 今すぐじゃ、俺が耐えられない。

 だから、少し考えてみてくれないか。俺は、いつまででも待ってるから」


 環の言葉に。

 ただ、私は黙って頷いた。

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