エピローグ:赤と黒

第69話 奥村緋人は言い淀む

 乾杯の声と、グラスの澄んだ音が鳴り響く。

 まだ日が沈みきらず、ほんのりと明るい夕方。合宿の打ち上げのバーベキューが開始となった。


 しばらく肉や肉や肉を堪能していると。不意に輪が崩れ、緋人くんが一人になった瞬間を捉えた。きょろきょろと辺りを見回し、彼に近付いてきそうな人がいないことを確認すると。

 肉の載った紙皿とウーロン茶の入った紙コップをしっかり持参しながら、すすす、と彼の近くに寄った。


「お疲れ様でーす」

「お疲れ」


 サークル用の社交辞令テンションで挨拶すると、同じく緋人くんは無難なノリで切り返した。そのにこやかな笑みを貼り付けたまま、抑えた声で尋ねてくる。


「待ちきれずに聞きに来た?」

「……ご明察ですけれども!」


 バレバレだな!

 まあね、この人に隠し事できる気もする気も毛頭ないですけれども!!!




 夏合宿中に私を襲った、一連の出来事について。動けるようになった直後に若林くんから聞いた以上のことは、まだ知らされていなかった。

 主にその場を取り繕うのに忙しくて、時間がなかったからだ。


 蒼兄が投げ飛ばした彼女を、緋人くん・村上くん・蒲沢くんで急いで回収し、残った面々で、現場の回復と音を聞きつけてやってきた人たちへの言い訳にいそしんだ。

 因みに机と椅子が崩れたのは、転んで盛大に蒼兄が突っ込んだことにした。少し不満そうな顔をしていたけれども、そもそも彼女をぶん投げて第三者が来る状況を作ったのは蒼兄なので、そのくらいは我慢して頂きたい。

 そうこうしているうちに、気が付いたらバーベキューの時間である。時の流れって早いね。


 だから、あの場で起こったことについては把握したけど、全体像については、ちんぷんかんぷんだった。

 ちんぷんかんぷん、なんて、最後に使ったのがいつか分からないような語彙を使用してしまうくらいには、ちんぷんかんぷんだ。



 緋人くんは、襲ってきた彼女を人目につかない場所に連れて行ってから。何かいろいろと対話をした後、穏便にお引き取り願ったらしい。少なくとも合宿中はもう襲ってくる心配はないと言っていた。


 『何か』が、『何』なのかは知らない。

 そこについては、知りたさ半分、知ったらヤバいんじゃないかという恐怖半分である。


 なお、現場に立ち会ったはずの村上くんに物知りたげな目線を向けたら、青い顔でそっと目を反らされてしまった。

 世の中、知らなくていいこともあるようだ。

 深淵をのぞき込んでしまった彼は、もう戻ってこられないかもしれない。


 なんにせよ。抜かりのない緋人くんのことである。その時にきっと、彼女の目的とか、諸々を聞き出しているはずだった。




 ただ、知りたいのは山々だけれど、今は無関係な人目もありまくる合宿中。

 ダメと言われたらそこは仕方ないけど。


「今は無理でも、とりあえず事情を知りたいという希望については、今のうちにお伝えしておこうと思いまして」

「まあ。ある程度なら、今だって大丈夫だろうけど。どうせ誰も聞いちゃいないし、ネズミも追い払ったしな」


 辺りの様子を見回し、緋人くんは肩をすくめる。


 皆々様は、肉と会話に夢中だ。

 ないしは、酒に酔っている。


 バーベキューの開始から、まだそこまで時間が経っていないはずだけれど、いつもの飲み会よりバラけるのが早かった。既に姿の見えない人が割といる。どうやら暑さに耐えかねて、早々にいつもの宴会場に戻り、エアコンの効いた室内で優雅にしけこんでいる人たちも一定数いるようだった。


 外でそのままバーベキューをしている人たちも、自分のいる輪で話し込むか食材を焼くのに忙しく、他のグループのことを気にしている様子はない。段々と暗くなってきたので、周りのことがよく見えていない、というのもあるだろう。

 私が緋人くんのところにやってきたのだって、今なら平気かもというタイミングを見計らったからこそなわけだし。



 なんにせよ許可を得たところで、私はさっそく本題に切り込むことにした。


「結局。あの子の目的って、何だったの? 桃子さんを犯人にすること?

 それと、彼女のことを『黒』って言ってたけど。それって何か、特殊な意味合いがあるの?」


 緋人くんや蒼兄たちの間では、共通認識のように語られていたけれど。

 彼女を『黒』だと言った緋人くんの話しぶりは、普段の私たちが使う『白か黒か』、というニュアンスとは、少し違ったような気がする。

 そして事情はさっぱりながら、話の中身はだいぶ物々しかった。



 私の問いに、少しだけ考え込んでから。

 緋人くんは、まず後者について口を開く。


「村上たちのSAIを『虹』と呼ぶように。亜種に関する言葉は、隠語として色で呼ばれることがある。人前で話をする時は、大抵そっちを使うんだ。

 俺たち亜種は、『赤』と呼ばれてる」


 一呼吸置いて。

 先ほどまでより、一層低く抑えた声音で、緋人くんは告げる。



「『黒』ってのは。

 俺たち亜種を殺そうとしている、明確な人間側の敵だ」



 淡々と非日常な説明をぶっこまれ。

 にわかに理解が追いつかない。


「殺すって。……えっと、それは。どういう、意味で?」


 咀嚼できないまま、間抜けに返した質問に、緋人くんは至って真面目な表情で首を横に振った。


「文字通り。社会的に、とか含みを込めた意味じゃなく、ストレートな意味で、この世から亜種を消そうとしている」

「なんで、そんなこと」

「理由は、黒の中でも色々だ。虹は『SAIという一つの組織』のことだけど、黒は『亜種を狙う人間』全般を指すから、一枚岩じゃない。

 目的だって、分かりやすく私怨という奴もいれば、賞金稼ぎのためにビジネスとしてやってる連中もいる」


 さらりと語られた単語に、しかしぞわりと鳥肌が立つ。


「賞金、稼ぎ?」

「裏では。そういう商売が成り立ってるってことだよ。

 場合によっては殺すんじゃなくて、能力を利用するために生きたまま捕獲する場合もある。金目当てのはそっちのが多い。要は人身売買だな」


 緋人くんは無表情で紙コップのジュースを飲み干した。


「亜種に私怨を持つ奴が金で雇っていることもあるし。もっと大きいものが絡んでいることだってある。

 だから黒と遭遇した場合、その背後にある正体を見極めることが、俺たちが生き残るために重要になるんだ。

 そういう事情があるから、一応、あの場に安室たちも呼んだ。後からバレて情報提供しなかったことが露見するのも厄介だしな。

 こと黒に関しちゃ、普段は対立してる亜種同士が手を結ぶことだってある」


 確かにさっき、蒼兄が言っていた。「黒を見つけておいてみすみす野放しにはできない」と。

 それは想像より遙かに重い意味合いだったのだ。



 改めて私は、春に起きた出来事のことを思い出していた。

 彼らは、私みたいに、生ぬるい世界で生きているわけじゃない。

 素性の知れない人間がのこのこと近付いてきたら、警戒するに決まっている。もしも私が『黒』だったとしたら、それこそ殺されるのは彼らの方なのだ。





「随分と不安そうだけど」


 背筋に冷たいものが走って、黙り込んでいたら。

 おもむろに、ぽん、と頭へ手が置かれた。


「本当にヤバい『黒』は一握りだから、安心していい。

 普通に生きてりゃ、大抵は会うことすらなく終わるよ。あいつらだって、ほいほいバカみたいに俺たちを殺しにかかる訳じゃない。目的があった上で、手を下している。

 変に人間に恨みを買うような真似をしなけりゃ、大丈夫だ」


 いえ。

 皆を狙うそんな存在がいるってだけで、安心なんか一つもできないですけれども。


 本当に。

 何一つ、安心できない。

 大丈夫なんて保証はどこにもない。


 それに、ヤバいのは一握りだと言ったけれど。

 紅太くんは。その能力からして、どうしたって狙われてしまう可能性が高いんじゃないだろうか。


「そのために俺がいる」


 私の思考を見透かしたように、緋人くんが続ける。


「紅太は確かに危ない立ち位置だけど。そのために俺が目を光らせてる。いざという時には、あいつだけは無事なように立ち回るから、そこは安心しろ」

「それはダメ」


 それは大変によろしくない思考ですよ、緋人さん。


「二人とも無事でなければ、大丈夫とは言えないので、それはダメです」


 ぶんぶんと首を振った私を、きょとんと見つめてから。何かを言い含めようとして口を開き、しかし途中で諦めたように、緋人くんは息を吐き出す。


「分かったよ。どうにかして、俺たち二人とも無事なようになんとかするから。だから、今は安心しておきなよ」

「そう言われましても」

「言うことが聞けないの?」


 緋人くんは、大きな手のひらでぐっと私の頬を掴んだ。

 アッなんか久々だなコレ。


「飼い主が大丈夫だって言ってんだから。お前は安心して尻尾でも振ってればいいんだよ」

「飼い主」

「お手」

「わん」


 なんだろう。上手いことはぐらかされた気がする。

 これではぐらかされる私もどうかと思うけどね!


 それ以上は話をしてくれそうにないので、もう一つ気になっていたことを尋ねる。


「今日、襲ってきた人の仲間が。蒼兄たちにも攻撃を向ける可能性はあるの?」

「大丈夫だよ。安室を止める手前、ああ言ったけど。少なくとも、あいつらは人狼に手出しはしない。そういう陣営だ。

 情報を他の黒の陣営に流されれば別だけど、それはしないようにしっかりと教育をしておいたからね」




 教育て。



 何を……。

 何をしたんだろう……。


 ……教育……。




 調教士……。




「あいつらの狙いは、亜種全般じゃない。ピンポイントで俺たちを狙い撃ったものだ。

 だから今後、安室と瀬谷には被害が及ぶことはないだろ」


 触れてはいけない部分に思考が飛びかけたところで、緋人くんが補足してくれたので、私は無事に現実に戻った。


 ピンポイントで。

 ということは。大規模な組織じゃなく、私怨で動いてる人たち、なんだろうか。


「今回に関しては、元からシロを手にかける気はなかったんだ。

 ただ、大事にならない程度にお前を三回襲撃して、『白雪姫』に繋がるヒントを残せればそれでよかった。だから二回目だってあっさり引いただろ」

「白雪姫」


 そうだ。気付いたことをもはや忘れてたけど、そうだった。

 紐、櫛、林檎と、毎回毎回、襲撃は白雪姫を連想させる物とセットになっていたのだ。

 私なんぞが伝えなくても、緋人くんはしっかりその関連に気付いていたらしい。さすがである。

 だけど、それはそれとして、だ。


「じゃあ。『白雪姫』っていうメッセージを緋人くんたちに伝えるために襲ってきたってこと? それだけのために? 桃子さんを犯人に仕立て上げてまで!?」


 なんて迂遠なんだよ!

 LINEでも送れよ!!!

 他人を巻き込むなよ!!!!!



「それだけ、……で済む意味合いならよかったんだがな」



 脳内で派手にツッコミを入れてしまったけれど。

 思いのほか緋人くんの表情が苦々しいものだったので、私は握りかけた拳を引っ込めた。



「あいつの言いたかったことは。

 『こいつも白雪姫になっていいのか』ってところだ」


「白雪姫に、なる?」



 一瞬だけ、迷う素振りを見せてから。

 緋人くんは、ちらりと辺りを見回した後、ため息交じりに言う。




「お前に分かりやすく言うなら。

 『望月白香も、白雪しらゆき円佳まどかのようになってもいいのか』、だ」




 一瞬、誰のことかと首を傾げてから。

 その名前の部分に思い当たる。


「円佳って。それって、もしかして」

「そうだ。例の、桜間の妹だよ」

「え、だけど。なんで『白雪』?」


「親が離婚してて、時期によって苗字が違う。だからこの前も、すぐには桜間が身内だと気付かなかったんだ。

 桜間や瀬谷は『桜間円佳』の方がしっくり来るだろうけど。

 俺たちの間では『白雪円佳』の方が知られている。

 人間として過ごしていた時期は『桜間』で、眷属けんぞくだった頃は『白雪』だったという認識が一番分かりやすいだろうな」


 浮かない様子で、緋人くんは続ける。



「つまりこれは小手調べ。

 これ以上は止めろという牽制けんせいであり、宣戦布告だ」



 宣戦布告。

 すなわち、敵がやってくるのはこれからだ、ということ。


 要するに。

 彼女を捕まえて、緋人くんが調きょ……話をしたところで、終わりじゃ、ない。



 それには、きっと私も巻き込まれるのだろう。

 春先のように。あるいは、もっと深刻な度合いで。


 そして相手は、前回みたいに身内じゃない。

 話が通じるかどうかは分からない。



 その予感に、私は顔をしかめていた。

 巻き込まれるかもしれないこと、そのものというよりも。

 彼らの『弱み』として、きっと足を引っ張るだろう事態が。

 そしていざという時、可能性としてきっと私にはどうにもできそうにないのだろう事実が、純粋に不快だった。


 だけど知識も能力もなく、自分で立ち向かえるすべがない以上。

 どうにかしたいという気持ちがあっても、私が何かしたいと動いたところで、ただ彼らの邪魔になるだけだ。

 いざという時が来たら、私は緋人くんに従って、おとなしくしているしかない。

 それが一番、緋人くんさくしにとって、確実で無難な手段なのだろうから。



「これ以上は。さすがに長い話になるから、この場で話すのはリスクが高い。今はこれ以上、説明できない」


 顔を上げ、緋人くんはぐるりと他のサークル員を見回す。相変わらず雑然としていたけれども、この先も込み入った話を聞かれないという保証はなかった。

 いつの間にか、盛ってきた紙皿も紙コップも空になっている。そろそろ補充しなければ、ちょっと怪しまれるかもしれない。


「別ルートから、俺はあいつに牽制しておく。夏休みの間はおそらく大丈夫だと思うから、そこは安心していい。新学期が始まる前には早々に話すよ」

「どうして断言できるの?」

「……ちょっとばかし、情報を知ってるから、なんだけどさ」


 歯切れ悪くそう言うと。

 緋人くんは、がりがりと頭をかいた。


「悪い。根拠はあるんだ。だけど、全部吐くのには勇気が要る。周りに人がいるこの状況で上手く話せるとも思えない。

 危なそうだったらすぐ連絡する。もし何かあったら全面的に俺が悪い」

「勝手に推測するなら、因縁の相手ということでしょうか……」

「因縁も因縁だよ。さすがに、紅太にもお前にも申し訳ない。今回の件だって、根本的には俺が原因なんだ」


 緋人くんにそこまで言わせるとは。

 一体、どんな相手なんだろうか。


「最後に、一つだけ」


 話を切り上げ、肉を取りに行こうと足を踏み出しかけたところで、呼び止められた。


「お前を襲ったあの女は。『黒崎くろさきひょう』と、名乗っていた」

「黒崎!?」


 黒崎。

 その名前は、忘れようがなかった。


 先々月、奴の名乗っていた名前と同じ苗字だ。


 ってことは、彼女は、あの黒崎朔と血縁関係にあるんだろうか。

 いや、偽名の可能性もあるか。単に同じ所属だということを示すのに、メンバーがその苗字を名乗ってるってことなのかも。



「『黒崎』を名乗る奴の狙いは、基本、俺か紅太だと。それだけ覚えとけ」



 その忠告をしっかりと脳に刻んで。

 私は深々と頷いた。

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