第59話 亜種の距離感と我々の関係性について
目の前に推しが登場したというのに。
私は、手放しに喜ぶことが、できない。
だって。
だってだよ?
……さっきまで。持ってませんでした、よね?
体は硬直したまま、視線だけを村上くんの手元に注ぎ、じっと刀を凝視する。
今、彼が手にしている刀は、さっき助けて貰ったときに帯刀していたのと同じ加州清光。私が認識しているそれと一緒だった。
短刀ではない。一メートル程度の長さだ。
そんなものを、浴衣姿の一体どこに隠し持っていたというのだろう?
「そう身構えないでよ」
村上くんは語調を緩め、ふっと肩の力を抜いた。
「ただ話をしただけじゃ、中二病認定されそうで信憑性が薄いかと思って。イレギュラーな要素として、手元に出してみただけだからさ」
いや流石にこの状況で疑いませんけれども!?
命を助けられておいて、中二病の妄想判定はしませんけれども!?
とはいえ、村上くんの言うとおり。会話のそこだけ切り取れば、中二病ととられても仕方ないのかもしれない。状況からして、設定からして、あまりに二次元めいている。
渦中にいなければ、尻尾を振って喜びそうな人も知っていた。私だ。
だけど私はこれまでに、亜種と呼ばれる人々のことを、彼らの実態を、目の当たりにしていた。ただの一般人であるところの私が知っているのだ。彼らの存在を知る人は、もっと沢山いるだろう。そういう組織があったところで、おかしくはない。
いや、むしろ彼らに関する事柄を処理する、人間側の機関が存在しない方が不自然なのかもしれない。
「相手にする人たちは、一般常識じゃ考えられない能力を持っているのもいる。だから人間の俺たちは、こういう対抗手段、自衛手段としての『武器』を所有してるんだ。
今これを出してみたのは。手品、みたいなものだと思ってくれればいい」
「手品」
「詳細は企業秘密ってやつだな」
ええー、なにそれ!
そこまで見せてくれたなら教えてよー!
と、それこそ厨二病の血がうずいたけれども、ごねるのはやめておいた。
今、村上くんは『企業秘密』という言葉を使った。多分、この場合は本当にそのままの意味なんだろう。おいそれと私なんぞに話すわけにはいかないのだ。
「ともあれ、そういうわけで。俺たちはこの春から、若林たちがいるこのサークルに派遣されてきたんだ」
「ですよね。この人数だもんね」
ようやく、私も調子を取り戻して、まともな相づちを打った。
彼みたいな立場の人が、うちのサークルに派遣される理由はなんとなく分かる。なにしろ一学年十二人のサークル員のうち、亜種と呼ばれる人たちは吸血鬼と人狼を合わせると、五人もいるのだ。とんでもない確率である。
けれども、村上くんは首を横に振った。
「いや。普通なら、それだけじゃ俺たちは動かない。
たとえ人数がいても、それだけなら特に問題はないんだ。というか、むしろ大抵のコミュニティでは、同種族の亜種が固まって存在していることが多い。そこにいちいち目を配らせてはいないさ」
「じゃあ、どうして?」
「このサークルが異常なのは。『吸血鬼』と『人狼』の二種族が同時に所属していることだ」
指を二本立て、村上くんは続ける。
「通常は、あり得ない。大抵は別の種族がいると気付いた時点で、争う気がないのならどちらかが身を引いているし、必要以上に近寄ろうとはしないんだ。
別種の亜種が集っていると、火種になることが多い。この前みたいにね」
そうか。本来は、別の種族同士ってそういう距離感なんだ。
詳しいことは知らないけど、この前だって、吸血鬼と人狼の関係がどうとか、ちょっと物々しい話が飛び交ってたもんな。結果的に穏便なところに落ち着きはしたけど。
……それにしても。
「やっぱり、この前のこと知ってるんだね」
「言っただろ。俺たちは動向を見張ってるって。ちょっと今回は早期で介入しそびれたけど、概要なら把握してる」
さらりと告げられた事柄に、私はつい顔をしかめる。
ううん。確かに、村上くんの立場を考えると、必要なことなのかもしれないけど。見張られていると知って、あんまりいい気分はしない。いや、その対象は私じゃないけど、それでも、だ。
私もただの人間ながらに事情を知ってしまった身ではあるけど。
彼らのセンシティブな事柄を、外の人間が情報として共有しているというのは。身内の身からしてみれば、いくら必要性があったとはいえ、なんだかなと思ってしまうのだ。
複雑そうな私の表情を見て、村上くんは付け加える。
「勘違いしないで欲しいんだけど。俺たちは、あいつらの敵じゃない。あくまで争いを防ぐために動いてるだけなんだ。必要以上に踏み込むことはしないよ。
ただこの均衡を守るために、人間と亜種、ないしは亜種同士が衝突しかねない状況が発生していればそれを見張るし、いよいよ事が起きた際には、口も手も出してそれを調停する。それが俺たちの役割なんだ」
うん、だけど。
話を聞く限りじゃ、中立な立場の組織みたいだし。その仕事を遂行する上では、スパイみたいに立ち回らないといけないっていう村上くんの立場は想像できる。
個人的な感情は、ともかくとして。理性としては、納得できた。
表情は真面目なままながら、無言で私は頷いてみせる。
それで多少なりとも彼も安堵したようではあった。
「なんにせよ。それで俺は、サークル内部から目を配らせてたんだ。だけど。途中から、ちょっとイレギュラーが起こってね」
「イレギュラー?」
「君だよ、望月さん」
おん?
私???
急に自分に矛先が向いて、驚いて顔を上げた。
真顔で村上くんはじっと私を見つめる。
「これだけの人数の亜種を引き寄せた原因の一端は、君だ。
だから最近は、望月さんのことも注視していた」
彼の指摘に、戸惑う。
確かに、蒼兄がそもそもこのサークルに入ったのは私のせい、みたいだけど。
元々がどっちの意見かは知らないけど、若林くんと緋人くんはセットで入ったのだし。環と藍ちゃんは、私がいたからというより、若林くんがいたから入ったのだ。誰かの意思を左右するような、そんなご大層な立場に私がいるとは思えない。
それとも。私が認識してる事態とは、現状はもう少し、違うのだろうか?
「その結果、さっきあいつに襲われてたところに居合わせたってわけなんだけど。
なまじ今の状況だと、どこにどんな立場の人間がいるか未確定が過ぎるし、どういう意図でどこの陣営が襲ったのかも分からないから、ひとまず黙ってて貰ったんだ。悪いね」
私の立場とか、ぴんとこない部分はあったけど。いずれにせよ、概要は分かった。
さっきタイミング良く村上くんに助けて貰えたのは、それで私のこともついでに目を配らせていてくれたからのようだった。
しかし今、冷静になったところで考えると。もしちょっとでも状況やタイミングが違ったら、いよいよ私は詰んでたかもしれないな? 怖すぎるな? 本当に村上くんが来てくれて万々歳だったね!?
身震いし、改めてさっきのお礼を言おうとした時。
「なるほどね。どうせ、どこかに潜り込んでいるだろうとは思ってたけど。
村上が『虹』だったのか」
壁の向こうから、唐突に声が飛んできた。
ぎょっとして、私たちは振り返る。
ごく自然に会話に混ざり、悠々と姿を現したのは、飲み会場にいたはずの緋人くんだ。
おかしい。悟られないように抜け出してきたはずなのに!
彼の動向は一番、注意してたはずなのに!?
「緋人くん!? 何故にここへ!?」
「いつからお前は俺を欺けるほどご大層な身分になれたわけ?」
「なれてません!!!」
緋人くんを欺けるわけがなかったのでした!!!
なんなのこの人!?
さっき一切、私の方に目をくれてませんでしたよね!?!?
背中にも目が付いてるの!?!?!?
私と村上くんのちょうど間まで進み出てから、緋人くんはじとりとした視線で私を一瞥する。
「何だか怪しかったからね。また厄介な輩にでも絡まれたら困ると思ってつけてきたんだ。
だけど相手が『虹』だったから、さっきまで静観してた」
「虹?」
「俺たちが、村上みたいな立場の人間を呼ぶときの俗称だよ」
「……ああ!」
少し考えてから、理由が分かって思わず声が出た。
なるほど。SAI……『
「それで?」
私が手を打っているよそで。
おもむろに緋人くんは、村上くんを促した。
「他の虹は、どいつ? 少なくとももう一人いるんだろう?」
「どうしてそう思うんだ?」
「さっき『俺たち』って言ってただろ」
淀みない緋人くんの指摘に、村上くんは天を仰ぐ。
「……バカ!!!!!」
押し殺した声量の、渾身の自分ツッコミが廊下に響く。
それじゃもう認めているようなものでは……。
まあこの人の前で誤魔化そうとしても、無駄な気がしなくもないけど……。
顔をしかめる村上くんを前に、緋人くんは淡々と流れるように告げる。
「別に、言うのが憚られるなら言わなくてもいい。今の状況からして、大体の見当は付いてるしね。どうせあいつだ。
だけどお前の失言がなくても、そう推察するのは妥当だろ。お前らのセオリーを考えれば、吸血鬼側と人狼側、両方を見張っておくのに、最低二人は内部に放り込んどくはずだ。
あとは外部からの支持と支援役が数人で、おそらく四~五人程度のチームで動いてるとみてるけど」
「……正解とも不正解とも言わねえけど、お前、その洞察力で、どうして今まで俺のことに気付かなかったんだよ」
「探す気がなかったからな」
緋人くんは小首を傾げてみせた。
「前期はお前らにまで気を配ってる暇がなかったからね。どうせいるだろうとは思ってたけど、いようがいまいが害はないだろ」
彼の発言から察するに。確かに村上くんの立場というものは、警戒対象にするようなものではないらしい。そうでなければ、もっと緋人くんは静かな笑顔ながらバリバリに敵意をむき出しにしているはずだ。
前に人狼の話をしていた時の態度と、だいぶ違う。まあ、あの時は既に切迫した状況があったせいもあるんだろうけど。
それを裏付けるように、緋人くんはにこやかに続ける。
「俺個人としては、今のところ。村上にも、もう一人にも、悪感情は持ってない。むしろ今後も同じサークル員として変わらずに接していきたいって思ってるんだ。今だって、事と次第によっちゃあそのまま知らないふりをしてあげて大人しく引き下がるつもりだったんだよ。
だけどね」
しかし彼はそこで一旦、言葉を切って、静かに目を閉じると。
見る者を威圧する怒気を滾らせた眼差しを、彼に向けた。
「俺のシロが不届き者に襲われたことに対して、封殺することだけは看過できないなって思って」
その迫力に、気圧され。
村上くんは助けを求めるように、視線だけ私によこす。
「……彼氏?」
「違います」
違う。
断じて違う。
「しいて言えば。……飼い主と犬?」
「どういうことだってばよ……」
それは私だって聞きたい。
私たちが戯言を叩いている間に、緋人くんは一瞬で村上くんの懐に飛び込み。
村上くんの首を、掴みあげた。
あ、これ既視感がある。
人がやられてるの客観的に見ると、怖いな……。
怖すぎるな……。
一寸たりとも隙がないし逃げられる気がしないな……。
詰んだな……村上くん……。
「洗いざらい、一部始終を話して貰おうか?」
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