第54話 ギャップの振り幅がでか過ぎる件

 緋人くんと桃子さんの二人は、互いに互いの両手をつかみ合い、拮抗した状態で睨み合う。その腕はぶるぶると震えており、二人とも手加減抜きに全力であることが分かった。私の思いすごしでなければ、額には青筋が浮かんでいる。



 って。



 いやなんだよこれ!?

 どういうことだよこれ!?


 いかにも華奢で可憐な有栖川さんが、殺気と狂気を全開で相手に掴みかかっているというだけでも、ちょっと、いや物凄い光景なのだけれども。


 その相手が、よりにもよって緋人くんである。

 泣く受けも黙るスーパー攻め様、緋人様である。



 すげぇな?



 少なくとも私にはそんな度胸も勇気もない。

 直後にくびり殺される気がする。



「どうやって嗅ぎつけたんだアリス」

「あんたに教える筋合いはないわねさあ死ね今死ねすぐに死ね」

「ふざけんな誰がお前にやられるかよ今すぐ消え失せろ」

「あらやだ消えるのは貴男の方でしょう? 貴男が消えればすぐにでも引いて消えてあげるわ大人しく死んで頂戴さあ死ね今死ねすぐに死ね」

「てめぇに殺されるつもりはねぇよこのヤンデレストーカーめ」

「謂われのない暴言に傷ついたわぁ、今すぐ謝罪するなら百殺しから十殺しで許してあげるわよ。さあ死ね今死ねすぐに死ね」

「今のどこに齟齬そご瑕疵かしがあるんだよ事実だろうがアリスゥ……」

「その名で呼ぶなっつってんだろ緋人ォ……」



 会話まですごかった。

 主に語尾がおかしい。


 やだ……怖いけど目が離せない……。

 ヘタな怪談より、よっぱどゾクゾクして納涼にはちょうどいいかもしれない……。

 夏だけに……。

 二人分の殺気が室内に充満して怖いよう……窓が開きっぱだから容赦なしに熱気が室内になだれ込んでいるというのに、何故か鳥肌が立ってるの……。




 事情も状況も何も分からないままに、私が二人の様子に釘付けになっていると。


「望月さん」


 背後から話しかけられ、またもや盛大に肩が跳ねた。慌てて振り返ると、そこにいたのは紅太くんだ。


 やめて!

 今このタイミングで急に話しかけないで!!

 新たな怪談かと思っちゃうでしょ!!!


 しかし混乱したテンションのままに紅太くんへ話しかけようとすると、口元へ人差し指を立てた彼に「しっ」と制される。


「こっち」


 短くそう告げると。彼は有無言わさず私の手首を引いて、開いた窓のところまで音を立てずに誘導する。

 すると紅太くんは、おもむろに私を抱え上げ。

 そのまま、ひょいと窓から飛び降りた。




 …………。




 待って待って待って!!!!!




 君らはどうして! こう!!

 予告なしにいろいろとんでもないことブッ込んでくるかなーーー!!!




 二階だよ!?

 二階ですよ!?!?

 二階なんだよ!?!?!?


 白昼堂々の大学構内なんですよ!!!!!


 待ってこれ飛び降りる必要あるー!?

 まあ確かに教室の入り口は、やばい人×やばい人のせめぎ合いで、そのままだと命の危険があったかもしれないですけど!!


 しかしだからって窓はやめよう窓は!?!?

 でも抱えられてるから逃げたくても逃げられませんねーーー!!!

 ねえ抱える必要あるーーー!?!?!?

 いや自力で行けと言われても困るんだけれども!!!!!


 そして、いかな細マッチョであるところの大天使といえども、決してモデル体型ではない私なんぞを抱えて飛び降りた日にゃ、足にかかる負荷はきっと相当なわけで!

 似たようなことは前に蒼兄でもあったけど、体格が違うのよ体格が!!

 お願い折れないで!!!

 大天使のお御足に何かあったらしぬ!!!!!!




 一瞬で脳内にはそんな思考がめくりめく。

 とはいえ、二階から一階に飛び降りるまでの時間なんてものは、それこそ一瞬である。どん、と鈍い衝撃と共に、私は悲鳴に近い渦巻く感情を吐き出す間もなく着地した。

 抱えられているので私はノーダメージだ。だけど。


 おそるおそる、紅太くんを見上げると。


「……折れないよ?」


 先んじて言われた。

 緋人くんのみならず紅太くんにまで思考を読まれた。


 そんなに私の思考はダダ漏れなんだろうか……。

 いよいよ常日頃から、なんか仮面をつけておくべきなのかもしれない……。

 でも大丈夫ならよかった……。



 ほっとしてため息を吐き出す。

 安堵したところで顔を上げ辺りを見回せば、幸いにして私たちの他に人影はなかった。試験期間の大学、おまけに試験時間中であるため、構内に学生の姿自体がほとんどないようだ。

 よかった。飛び降りたところを他の人に見られなくて。さすがになんて言い訳したらいいか思いつかないぞ。

 おまけにこんな体勢だし。



 ……こんな体勢だし?



 私は、はたと紅太くんを見つめる。

 彼の顔は、私の視界の斜め右上という至近距離にあった。その顔の向こうには、真夏の青い空と白い雲が広がっている。

 そして私の体は、紅太くんの腕によって、背中と膝裏との二カ所で支えられていた。うん、服の上からでも分かるよー。細い割に腕の筋肉がたくましいねー。


 えっと。

 くどくど言ったけど、つまり。

 今の体勢、すなわち。




 いわゆる、お姫様抱っこである。




「ひあっ!?」

「あ、ごめん」


 ワンテンポ遅れて私は事態に気付き、奇声を上げた。短く謝罪して、あっさりと紅太くんは私を抱えた手を緩める。その隙に、するりと紅太くんの腕から滑り降りた。


 二階から飛び降りたことの衝撃が先に来て、すっかり反応が遅れましたけれども。


 なんでかな?

 なんでさらっとそういうことするかな!?


 心臓に。

 心臓に悪いです。




 私が脳内で大騒ぎする一方、紅太くんは何食わぬ表情で私に向き直る。


「ごめん、いきなり飛び降りたりして。でも、あのまま教室にいたら望月さんまで危ないと思ったから」

「うん、紅太くんが無事なら、別に私は全然平気なんだけど。

 なんというか。その、ですね」


 えーっと。

 ……何から聞いたらいいのかさっぱり分からんな!


 つっこみどころのオンパレード過ぎて逆に言葉が出てこないな!?

 まあ紅太くんに会ってから、割と毎日がそんな感じのフィーバー状態なんですけれども!!!


 ともあれ。

 

「あの二次元ナイズな文学少女は何者なんです?」

「二次元ナイズ……?」


 例によっておかしな私の発言に首を傾げつつも。

 紅太くんは、答える。




「桃ちゃんは、俺たちと同じ吸血鬼の末裔だよ」




 桃ちゃん。

 ……




「えっと、その」


 喉が乾いているわけでもないのに、言葉がかすれる。

 なんだろう。暑さのせいかな。



「彼女は、有栖川さんは、二人にとってどういう存在なの?」



 その問いに。

 あからさまに目を反らして、紅太くんは言葉を濁す。


「ちょっと、その。厄介な立ち位置の子でさ。なんというか、ここでは一言で説明しづらいんだけど。事情があって、俺たちとは絡むことが多かったというか」



 ほう。

 ……ほう?



 あんまりね。

 こういうことを、思うのも、言うのも、好きじゃ、ないんだけど。




 この期に及んで、そういうこと言うの?




「許嫁」

「……え」

「許嫁って、言ってた」

「桃ちゃんが、そう言ったの?」


 だから。

 

 それな。


 いつの間にか、眉間に皺が寄っていた。

 自分でも意図しないうちに、ほろりと言葉が漏れる。



「そういうのは。……どうかと、思うの」



 もっと。

 もっと言いたいことは、あった。


 だけどどうにもそれ以上はうまく言葉にすることが出来なくて。

 私はそのまま、気まずい思いを抱えたままに、その場を一目散に立ち去ってしまった。


 勿論、その後に控えていた試験は全く集中できずに、悲惨な出来栄えだったことは言うまでもない。

 ああ。どうか、どうにかなっててくれ、私の単位……。




******




 そんなわけで。

 私は先日から、紅太くんに怒っているのだった。


 あれから私たちは滞りなく……いや滞りはありましたけれども、とにかく試験期間を終え。あの日以後、会うこともなく夏休みを迎えてしまった。


 だけど。別に許嫁でも恋人でもなく、公言できるような関係などでは一切ない私たちだったけれども。対外的にも違うことなく『同じサークルの同期』ではあるわけで。

 本日、我らが国際法研究会の夏合宿に出発するにあたり、久しぶりに顔を合わせ、遠巻きに彼を眺めていたというわけなのだった。




 いや、別にね。

 別に、拗ねてるわけじゃないんですよ。


 当事者が突撃してくるまで事情を教えてくれなかったこととか、結局最後まで自分から言ってくれなかったこととか、そういったあれこれに拗ねてるとかでは決して断じてそういうわけではないんですよ。

 ただちょっとね。

 なんだかちょっと、理不尽だなって、思っただけなんですよ。


 もっとも。彼からしてみれば、それこそ私の言動の方が、よっぽど理不尽極まりないのかもしれない。

 だって、あの日の去り際に私が言った言葉なんて、曖昧にもほどがある。紅太くんからしてみたら、何がなんだかさっぱりだろう。

 当たり前だ。私だって、何が言いたかったのか、自分でもよく分かっていないのだから。


 そもそも。別に付き合ってるわけでもない以上。

 彼がご丁寧に私へ情報開示をする筋合いはないのだろうし。

 私が彼のあれこれに口出しする理由だって、きっとないのだ。


 うん。

 やっぱり、理不尽の塊なのは、私の方なのかもしれなかった。

 



 と、ここしばらくは意図して考えないようにしていたことが、もやもやと脳内を渦巻いていたわけなんですけれども。

 一つ、ちょっとばかし気になることが起こりまして、思考が急ブレーキをかけてストップしたのが現在です。


「……どうしてここに座るんです?」


 私たちを、三泊四日の夏合宿の会場へ誘うバスが到着し、アンニュイな気持ちでぼんやりとバスに乗り込んだ私の隣には。

 何故だか、しれっと何食わぬ表情の緋人くんがやってきたのだった。

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