第55話 フィーバータイム(後日ペナルティ付与)
緋人くんは私の隣に座ると。他のサークル員たちには、笑顔の貴公子という呼称に一切の疑問を感じさせない、にっこりとした笑みを浮かべて。しかし私にだけ聞こえる冷ややかな声で言う。
「なぁに。俺が隣じゃ不満?」
「いいえ! 断じて!! そういうわけではないですけれども!!!」
同じく周りの人に聞こえぬよう、小声ながら必死に弁解した。
いや、弁解ってのも違うな。急に来られてびっくりはしたけど、別に緋人くんが隣に来ることが嫌なわけじゃない。
単純に疑問だったのだ。
「なんというか、その、若林くんと座るとばっかり思ってたから。だって、さっきまで一緒だったよね?」
「あいつは村上と座ってるよ。今から打ち合わせだってさ」
言われて緋人くんの視線を辿れば、なるほど前の方の座席で、紅太くん……いや若林くんは、同じ一年生の村上くんと並んで座っていた。
交流が目的だった新歓合宿と違い、夏合宿は秋に行われる研究発表会に向けて、がっつり学習会が行われる。レクだってあるけれど、合宿の中日は午前・午後・夜とに三回、各二、三時間に及ぶ学習会で予定が占められているのだ。
そういえば若林くんと村上くんの班は、合宿での一発目の発表だった。よく見れば、二人の前に座っているのも同じ班の先輩たちだ。
スケジュールでは、合宿先のペンションに着くのはお昼頃。荷物を整理してお昼を食べたら、すぐに学習会だ。着いてから打ち合わせをする時間はほとんどない。
七月の前期総会以後はサークル活動がなかったし、夏休み中で大学にも行かないから、今日まであまり打ち合わせはできなかったのだろう。
なるほど、事情は分かった。
だけど。
私は、ぐるりと車内を見回す。
小中高で遠足や課外授業に出かけた際、バスの座席は四十人近い生徒でほとんど埋まっていた。
だけど、今バスに乗っている人の数はそこまで多くない。サークル員はだいたい一学年に十人前後いるけれど、四年生の先輩は引退してるから不在だし、欠席の人や、用事があって途中参加の人がいたりするので、席は割とスカスカである。
私たち一年生も、二名が不参加で、四名が途中参加だ。このバスに一年生は六人しかいない。
というか因みに、他ならぬ途中参加のメンバーのうち三人が、
環と藍ちゃんはバイトがあるために、藍ちゃんは今日の夜、環は明日の昼から合流することになっていた。
蒼兄は能楽研究会の合宿と被ってしまい、今は佐渡島にいる。あちらの合宿が終わったら、三日目の早朝に夜行で東京に帰ってくるので、そのまま直で来るらしい。忙しいな。
だから今日の夜に合流するはずの藍ちゃんが来るまで、私は基本ボッチを想定していた。行きのバスだって、一人で座るとばかり思っていたのだ。
なにしろ、気兼ねなく私が会話できる人たちが、ことごとく不在なのである。
そして残った会話可能なメンバーは、若林くんと緋人様だ。
うん。
緋人くんはともかくとして、若林くんは今の状況だと気兼ねがありまくりですね!
そして緋人くんは若林くんとセットだから、必然的に除外ですね!!!
うだうだ現状を思い出してしまったけど、そんなわけで。
つまりは、若林くんの隣が埋まっていたとて、他に座る場所はいくらでもあるのだ。
まして、よりどころの少ない私と違い、緋人くんは同期とも先輩ともサークル員とまんべんなく仲良くしている。他の人からしたら、わざわざ私の隣に来ていることの方が不思議に写るだろう。
そう思って緋人くんを見つめると。
例によって私の思考を見透かしたように、じろりと見返された。
「予防線だよ」
「予防線?」
「あいつに隣に来られたくないんだ。分かれよ」
くぐもった低い声で緋人くんは答えた。
それでようやく私は、意識して避けていた人の姿を、そっと視界に入れる。
バスの一番後ろの席で、女の先輩たちに囲まれているのは。
紅太くん……若林くんの許嫁であり、緋人くんに掴みかかっていった、
彼女はこの夏合宿から、私たちのサークルに入会することになった。と、バスに乗り込む前に、会長からそう彼女の紹介があった。
もう一度言おう。
『この夏合宿から』である。
知ってる人がほとんどいない中で、いきなり三泊四日の合宿である。
先輩も、いきなり合宿では大変だろうから後期の活動から参加してはどうかと勧めたらしいが、当の彼女が『なるべく早く馴染むために合宿から参加したい』と主張したらしい。
すげえな!?
……まあ、それはつまり。
そうまでして、彼女は一刻も早く彼を追ってきたかった、ということなのだろう。何故だか知らないけど、あの二人は今の居場所を有栖川さんに隠していたようだし。
そっと、意識を背後に集中させる。距離が離れているので、会話の内容までははっきり聞こえないながら、最初に私の前に登場したとき同様の可憐な文学少女キャラで通しているようだった。もっとも、まだ彼女とはほとんど絡みがないから、どっちが本性でどっちが地なのかは分からないけど。
うーん、しかし遠目で見ても眼福な可愛らしさだな。これはモテるな。サークル内で彼女を巡って揉めないといいね。二次元で楽しむ分にはいいけど、身近なところで繰り広げられるのはキツいものがある。
あっでも彼女にはもうお相手がいるから、その心配もないですね?
今のところ、若林くんとも緋人くんとも知らない同士のふりをしているし、許嫁だなんて話も先輩たちに話してはいないようだった。
けれども彼女は本日がサークル初日。今はまだ周りの人たちと自己紹介している段階だ。夜の飲み会の時なんかに、そういう話をする可能性は充分にある。なにしろ、初対面の私にそう言ってのけたくらいだ。
そしたら一気に広まるだろうし、完全に外堀から埋まる。今後はそう逃げようがないだろう。
……えっいや別に皆さんに言って二人の関係が既成事実になったところで、親同士も絡んだ事実なんでしょうから別に何の問題もないだろうし、逃げられないなら有栖川さんにとっちゃハッピーなんだろうし、私にとっては至って何の問題も関係もないんですけどね?
首を横に振って、私は悶々した思考を吹き飛ばした。
一方の緋人くんは、私たちの前方に座っているもう一人の一年生を一瞥して付け加える。
「室山はもう重田先輩と一緒に座ってる。だったらもう、俺が座れる場所は消去法でお前の隣しかないだろ。それまで会話してない先輩のところにいきなり行くのは不自然だ。
隣の席を空けておいて、何かの拍子に奴に来られるリスクを負いたくない」
今いる一年生は、有栖川さんを除けば五人。若林くんは村上くんと、室山くんは先輩と座っているので、残る一年は私一人だ。
先輩たちは同じ学年の人と並んで座っている人が多いし、まあ、緋人くんの仰るとおりではある。
ある、のだけど。
「そこまで心配しなくても、この状況で、わざわざ隣には来ないんじゃないの? もう既に先輩と一緒に座ってるんだしさ」
「お前はあいつのことを知らないからそう言えるんだよ。想定しうる可能性を、排除しておくに越したことはない」
うんざりした口調で、緋人くんは頬杖を付いた。
どうやら私が思うよりずっと、緋人くんは有栖川さんを警戒しているようだった。
けど。そもそも、どうして二人が彼女を避けているのか、どうして彼女が緋人くんにあそこまでの殺意をむき出しに掴みかかっていったのか、私は全くもって理由を知らない。
気になるところではあったけれど、同じバスの中に当事者がいる。込み入った話はできないし、たとえ話を振っても答えてはくれないだろう。
今の会話だって、結構ヒヤヒヤものだ。
「別に。行きは俺が隣だって支障はないでしょ。桜間たちはいないし、紅太みたいにバスで打ち合わせする予定もないんだろ」
「そりゃそうなんですけどね」
そんな予定があったら、バスを待っている時から班員でかたまっていますとも。わざわざロンリーを決め込んでいませんとも。
そもそも私の班は、班員の
「わざわざ余計な気ィ張って疲れたくないんだよ。俺と話すのがそんなに嫌なら、着くまで寝ててやるから我慢しろ」
「別に嫌じゃないし、そこまでしなくていいけど」
気になって、色々聞いたのは私ではあるけど。
それにしたって、妙に言い方に険がある。
「あの、緋人さん?」
「なんだよ」
「……怒ってらっしゃいます?」
その一言に、彼はふっと唇を引き上げる。
「自覚はあるんだ?」
「ひえ……」
怖い怖い怖いその目線怖い!
窓際に座ってる私からしか見えないからって、他のサークル員たちから見えない位置だからって、表情が緋人様のそれになってるー!
漆黒極まりないスーパー攻め様になっていらっしゃるーーー!!!
いつもだったら多分、顔面を掴まれていただろう。
だけど本日はさすがに周りの目があるので、緋人くんは視線だけで私を威圧しながら言う。
「あの時。お前が即座に逃げてれば、わざわざ俺はあいつの相手をしなくて済んだんだよ」
「それは、……まあ、そうでしょうけども!」
確かに二人と一緒に逃げていれば、私は有栖川さんとエンカウントはしなかったし、緋人くんが戻ってきて彼女と対峙することもなかった。
だけど。
何度もしつこいようだが、夏休みに突入してしまったため、私たちはこの数週間、接触がなかった。緋人くんと喋るのだって、あの日以来なのだ。言いたくても言えずに、くすぶっていたものは色々とある。
それに。直接、緋人くんが何をしたわけじゃないけれど。
彼に対してだって、思うところは、まあ、ある。
「私だって、この前の件については、思うところがあるんですけれども……」
恐怖よりも不満が勝って、おずおずと言ってみると。
緋人くんは、あっさりとそれを認める。
「まあ。ただの一般人のお前に、危機をすぐ察して逃げろってのも無茶な話だよな。見た目だけなら人畜無害だ。奴の危険性を事前に伝えなかった俺にだって非はある。
けどな。俺が言ってるのはそこじゃない」
緋人くんは、すっと目を細める。
「お前は。一番、厄介なことをやらかしたんだ」
「厄介?」
「紅太とケンカしただろ」
「……シテオリマセンガナニカ」
「俺を騙せるとでも思うの?」
固すぎる私の返答に、絶対零度の冷ややかさで彼は切り返した。
怖い怖い怖い怖い怖い!!!!!
他の人がいるから声量は最小限だけど、声音も表情も暗黒ーーー!!!!!
ごちそうさまです!!!!!
緋人くんは眉間に皺を寄せ、軽く舌打ちする。
「……ちっ。今は手を出せないな」
そしてどうやらまたもや思考を読まれているゥーーー!!!
でも今は周りに人がいるからラッキィーーーーー!!!!!
えっ待って。今日、ボーナスタイム!?
やだ、フィーバータイムじゃん!?!?!?
「今日ニヤけた分は、きちんと加算して後でまとめてお仕置きするから、思考を慎めよ?」
言われて、すっと私は背筋を伸ばした。
よし。煩悩を抑えるために、素数を数えよう。
……それは、それとして。
前はそもそも、私はここに一人でいることがデフォルトだった。
けれども今は、環と、蒼兄と、藍ちゃん。今はちょっと話しづらいけど、若林くんに、緋人くんと、いつのまにやら私が話せる人は、だいぶ増えていた。
気がついたら。私はもう、このサークルでも、一人でいることが寂しいと思うようになってしまっていたのだ。
だから。彼に事情があったとはいえ、隣に緋人くんが来てくれて、少しだけ気が楽になったことは秘密である。
そうして、気が抜けていたから、だろうか。
私はこの時、気付かなかった。
バスの後ろの方から向けられている、鋭く突き刺さるような視線を……。
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