4 逃げたらどうだろう?

 ケルベロスが倒されたと確信するまでにそんなに時間を要さなかった。たとえケルベロスと言えどやはり勇者たちにはかなわなかったのだ。沈黙の時間が長いほど、不安の大きさも増して来ていた。

 

「そうだ! 良いこと思いついちまったぜ! いっそのこと戦わねーで逃げちまうってのはどうだ?」


 沈黙を最初に破ったのはゴブリンBだった。そして嫌みったらしい薄笑みを顔に広げて、ある意味当然というような提案をした。


「逃げる? このまま? トンズラこくってのか? おお! なるほどな!」


 ゴブリンAはそれは名案だとばかりに左の手の平に、握りしめた右手で軽くポンとハンマーのように叩いた。お前もたまにはいいこと思いつくじゃねえか、そう言っているかのような賞賛の笑みをゴブリンBに向けている。


「へへへ、まあな」


 ゴブリンBは得意げな顔をしてあぐらをかいて、鼻を人指し指でこすっている。

 まあ、お前らじゃ到底思いつかねえだろ、オレがいてよかったな。そんな自己満足にひたっているのか、あるいは完全に自分の世界に入っているかのような照れた笑顔だ。


「無理だよ、それは」

 

 ゴブリンCはすでに落胆した面持ちだ。それは無駄な抵抗、いや無駄な提案だと言いたげに、申し訳なさそうに、はあ、と小さくため息をついた。


「何だって? 無理ってどういうことだよ?」

 

 自信を持って提案したゴブリンBがムカッとした表情でゴブリンCに問い詰める。気弱でひ弱なお前が何オレの提案を否定してんだ、そう言いたそうなのがはたから見ててもわかる。


「僕見たんだ、今君が言ってたことを実行して、逃げ出そうとしたほかの仲間のゴブリン達が殺されるのを……」


ゴブリンCは震えだした体を鎮めようとして、精いっぱい体に力を込めた。


「殺された? 誰に? わけわかんねえぞ」


 ゴブリンAはまるで状況が理解できないらしく、ゴブリンBにも動揺が走った。勇者どもが来る前なのに一体誰に殺されるというのだ。


「魔王様だよ」

「魔王様?」

 

 晴天の霹靂、ゴブリン達の背後に本当に稲妻が走った。そしてその稲妻はどこか遠くの山に落ちたらしい。


「ま、魔王様が何で……」


 ゴブリンAは何故だ、どうしてだと理解できない顔だ。体がプルプルと震えだしている。それはゴブリンBも同じだった。


「思い出してよ、魔王様の手下になった時の誓いを」

 

 ゴブリンCは諭すような目でゴブリンAとゴブリンBを交互に見た。


「あっ!」

「そうか! そうだった!」



 今日から諸君らは我が配下となる。それは最も偉大で光栄なことである。

 諸君らは我が子も同然、諸君らの望む物は何でも与えてやる。しかしそれは我が盾になるということが条件だ。



 我が子も同然と言っておきながら盾になれという魔王の都合のいい言葉をゴブリンAとゴブリンBは思い出した。


「魔王のやつ! 裏切り者は殺して消してしまえということかよ! くそ! 口車に乗せられたぜ!」

 

 ゴブリンAはとうとう魔王を呼び捨てた。


「どうすんだよこれから! 勇者どもと戦っても殺される! 戦わねえで脱走したら魔王に殺される! ははは、どうしようもねえな!」


 ゴブリンBは混乱の状態だ。さっきまでの、自分が唱えた、

< 戦わねえで脱走大作戦 >で勝ち誇っていたのが遠い昔のようだ。

   

「落ち着いてよみんな!」


 ゴブリンCは自分の足を抱きしめて、膝に顔をうずめて今にも泣きだしそうだ。


「……」

「……」


 ゴブリンAとゴブリンBは黙ってしまった。それは声を荒げたことを反省しましたという意思表示か、それとも完全にもう勇者達に抵抗するのをあきらめたという意思表示なのかどうか、それはわからない。

 今確かなのは不気味なほどの沈黙と静寂の空気が立ち込めているということだけだ。

 他のモンスターたちはどうしているだろう、腹をくくり、玉砕の覚悟を決めて勇者達を待ち受けているのだろうか、ゴブリン達はそんなことを考えていた。


「会議は終わったのかい?」


 今まで何も言葉を発しなかったゴブリンⅮであったが、今静かに言葉を発した。

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